はじめのはじめ

 この「旅日記」は1990年当時、旅行から帰ってきて一気に書き上げたものです。
ふと、自分の店に(レコードショップ)ブルースツアーへ行って来たよと小冊子を置きたくなったんです。
毎日何処へ行って何を見た(した)かを記録して置いたのが役に立ちました。
 この小冊子は店に置いておくだけで通算500部位、はけたのを覚えています。
帰ってきたばかりで書いた文章は数年たった今書き直したくなるところもあったんですが、
ほぼそのまま再現しました。

-- bluesboy 3 July 1997


はじめに

念願かなって’90年6月にブルースの旅に行ってきました。
毎年6月に実施されるJODの「ダウン・ホーム・ブルース・ツアー」に参加、ウワサのツアーです。
この目で見た本場のブルース・シーンは、想像以上に熱かった。

ベテランだけでなく若手も後からあとから育ってきている。
ブルースはもう死にかかっているのでは、などと心配していた私は嬉しかった、、このことを誰かに聞いて欲しい、
そんな気持ちでこれを書いたのですが例え読んでくれる人がわずかしかいなくてもいい、その一握りの人達のためにも書くぞ、と。

このツアーは東京のJOD(日本海外開発株式会社)という旅行社が主催しているのですが、ここにハイエナジーな方が居ます。
ベテランの添乗員である高梨さん、この高梨さんこそがブルースツアーの原動力なのです。
自らもブルース好きな高梨さんが困難を覚悟でこのツアーを企画して、今年(1990 年当時)で7年目という実績をあげたのです。
それだけに現地での人々の強力も厚く、ツアー中に何度も暖かい歓迎を各地で受けました。

期間は6月8日-19日
コースは、シカゴ-メンフィス-ヘレナ-クラークスデイル-ヤズーシティ-ジャクソン-ニューオリンズ
6月8日から3日間実施されるシカゴ・ブルース・フェスティバルに焦点をあわせてあります。

今年は黒人音楽研究家の鈴木啓志氏と大阪のブルース・レコードの店「サム’ズ」の佐藤氏の二人のゲストを含む
男女31名が参加しました。
 このツアーのために会社を辞めた人、2年連続参加の人、前日に式を挙げたばかりの新婚さん、
それぞれの思いを胸に成田をあとにした。

<一日目> 6月8日(金)

夢にまで見たシカゴの地に立つ。
かつて伝説のブルースの巨人たちが続々と、このシカゴを目指して故郷を後にしたときの気分を味わったような気がした。
戦前、戦後を通じシカゴはブルースが娯楽として文化として最も栄えた都市だ。
南部の黒人たちにとって、シカゴは夢と希望の地であったといわれている。
実際早くからブルースのレコーディングの盛んな都市であり、数々の歴史的なブルースのレコードはシカゴから生まれている。
現在でもシカゴでは連日連夜、ブルースのライヴを聞くことが出来る。
ブルースは今でもシカゴの文化のひとつなのだ。
シカゴブルースフェスティバルは三日間、フリーコンサート形式で行われ、南北戦争のグラント将軍ゆかりの
「グラント・パーク」が会場になる。

メインステージのほかにふたつのサブステージがあり、終日ブルースを楽しむことが出来る。
グラント・パークは非常に広い公園で、メイン会場に入りきれない人々が公園一面にひしめいている。

シカゴの夏は、南部ほどではないが日本とは比較にならないくらい暑い。
日も長く夜の9時くらいまでは明るい。
初日からJames Cotton、Carey Bell、A.C.Reed等、ひいきのブルースマンの登場で舞い上がってしまった。
特大カップに入れてくれる会場で飲むビールは、喉越しも良く格別に旨い。

フェス終了後は各自希望のブルース・ラウンジへ散った。
私は"Buddy Guy's Legends"へBuddy本人のライヴを観に行った。
店の前は長蛇の列で30分並んだ。
バディのギターが店の外まで聞こえてきて早くも血が騒ぐ。

中は超満員で客はすべて白人だったが、狂乱状態で踊りまくっている。
今夜のバディは熱かった。
ノッた時のバディはエグイと聞いていたが、予想以上である。
歯で弾くわ、肩の上で弾くわ、ひっくり返して弾くわの、トリッキーなプレイもお手のものだ。
硬軟取り混ぜてのブルースはギター・ヒーローとしての面が強調され、ハードロック・ナイトしていた。
バンドのラスト・チューンは「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ」でもの凄くワイルドなプレイで閉じた。

時差のせいで丸二日眠っていなかったが、この夜はぐっすり眠れた。

<二日目> 6月9日(土)

シカゴ・ブルース・フェスティバルのサブ・ステージにはイス席はない。
聴衆は芝生の上にあぐらをかいたり、寝そべったりして気ままに聴いている。
演奏中の曲に合わせてギターを弾いたり、ハーモニカを吹いたり、持ち込んだ楽器で楽しんでる人もいる。
なかにはぐっすりと寝込んでる人もいるが、みんなとにかくブルースを楽しんでいる。
それにしても暑い。演奏も熱いが、シカゴの昼間の気温も相当なもんだ。一気に日焼けしていくのが解る。

私の好きなLowell Fulsonは今日は忙しい。
サブ・ステージではギター一本の弾き語り(エレアコ)、メイン・ステージではバンドで二度の登場だ。
貫禄充分のステージはシカゴ・ブルースの醍醐味をたっぷりと聴かせてくれた。やっぱり、やるなぁ親父。
会場で即売しているフェスのTシャツは買っておきたい。
長蛇の列が出来ているビール小屋へも並んだ。とにかくビールがとても美味で癖になる。
メイン会場は5時開場だ。4時にゲートへ行ったが、すでにかなりの行列が出来ていた。
ここでは少数派の黒人のグループにくっついて並んだが、今日はずいぶん黒人が多い。
本日のメインの一人、Otis Clayが目当てだとすぐ気がついた。やはりA級のソウルマンの魅力は大きい。
並んでる客は陽気な会話が多いようで笑い声があちこちから響く。
入場後ツアー仲間と合流、皆ビールが効いていてゴキゲンが良い。昨夜のライヴの情報交換をする。

やはり今夜のハイライトはOtis Clay のショーだった。
会場全体が異様な盛り上がりを見せた。ステージと会場のコール&レスポンス、この一体感がたまらなく良かった。
オーティス・クレイのファンでもあるbluesboyとしては至福感に包まれた瞬間だった。
ラスト・セットではオーティス・ラッシュとロウエルが一緒に登場、今夜のラッシュは良かった。
得意のスロー・ブルースでギターが泣きに泣いた。'85のサンフランシスコ・ブルース・フェスのライヴCDを思い出した。

フェス終了後はノース・サイドとサウス・サイドに分かれてライヴを楽しむことになった。
bluesboyとしてはこんな機会でもないと行けないサウスの方へ行くことにする。
観光地図には載ってない黒人街区で危険地帯でもある。
深夜の国道をキャデラックで南下すること30分、まるで異なった風景が見えてきたらそこがサウス・サイドだった。
車から見る街の様子は妙にすさんで危険な匂いがした。
ガイド兼ドライバーのグレイグもここは怖いところだという。

半分、腰が引けた感じで一軒目のラウンジ"checkerboad"に入る。
熱気でムンムンした会場一杯の黒人客に混じってちらほら白人の客もいた。
ソウルマン、Johnny Christianのステージの真っ最中だった。
シカゴのソウルの本場の音だ、いやが上にも興奮してくる。さっきまで腰が引けてたことなど忘れてしまう。
客の反応もハッピーな感じでくつろいで聴いてる。いい雰囲気で踊ってるカッップルもいた。
この"checkerboad"はかつてはバディ・ガイが経営していたが、現在はL.C.サーマンが運営に当たり、
チェッカーボード・レコードも立ち上げたそうだ。
一昨日ここで収録されたライヴがオムニバス・アルバムになるとのこと(後で知ったことだけど)
最も熱い、シカゴ・ゲットーのクラブと言っていいと思う。

今度はさらに車で20分、HEYES CENTERへ向かった。
ディープ・ソウル・ナイトだ。気持ちが高揚してくる。
このツアー、ラウンジへの移動はガイド付きのワゴン車の用意があるし、一般のタクシーを利用するケースもあるけど、
今夜のようにシカゴに日本料理店を持つ社長さんがガイド役を兼ねて案内して下さることもある。
こういったブレーンを抱えているのもこのツアーの実績か。

着いたときにはDENISE LaSALLのパフォーマンスが終わった後だったのが非常に残念だったけど、
L.V.JOHNSONのこってりしたブルースもなかなか聴かせる。
客は全員黒人ばかりでさすがにここまで見に来る白人は居ないようだ。
年齢層は比較的高く、30-50代が中心で7割位が婦人客だ。
次のBETTY WRIGHTが到着が遅れていると聞いて時間つぶしに周辺のテーブルへ思い切って移動し、おばさん達と話してみた。
おばさん達は陽気で話好き、色々聞かれたけどそこにいたごま塩頭のおじさんはむっつりしてたなぁ。

仲間もあちこちで親睦をはかっている。記念写真をさかんに撮っている。
一時間待ってもこないBETTY、時計は午前三時を指している。
さすがのおおらかなお客達もグラスでテーブルを叩き始め、会場全体がドーン、ドーンと、
時折混じる罵声とともにその苛立ちが沸騰してきた。
主催者があわててなだめにかかる。
言ってることが解ったわけではないが多分、
ここへ来る前の会場でステージが長引いたのではないか。

そのベティのパフォーマンスは待っただけのことはあった。
レコードで聴いていたのとは比較にならないほどグルーヴィーでホットだった。
歌とおしゃべりでグイグイ客をのせていく。
時に優しく、時には激しく、まさに熱唱というにふさわしいステージ。
舞台に寝ころんだり、座ってみたり全身を使っての表現が印象的。

終わった後も去りがたい気分で帰途についたが、途中ミシガン湖のほとりで車を止めて記念写真を撮る。
夜明け前の湖面には、対岸のビル群の照明が反射して幻想的な雰囲気をかもし絶景だった。
そういえばジョン・ハンコック・センター・ビルから観たシカゴの夜景も
「ブレード・ランナー」を思わせるSF的な美しさがあった。

三日目 6月10日(日)

朝、ホテルのロビーでツアー仲間に会う。
みんな眠そうな顔をしているが自分もきっと同じだろう。
昨夜、ノースサイドに行った組は"LILY'S"でJIMMY ROGERS、"BLUES ETC"でMAGIC SLIM" 、"BLUES"でSON SEALSを観たそうだ。

サウス組とお互いどっちが得をしたのか心の中が忙しい。身体がふたつ欲しい瞬間である。
フェスティバル会場への途中でストリート・ミュージシャンのパフォーマンスを観る機会があった。
ニューオリンズから来たという夫婦者のDAVID&ROSELYNというストリート専門のシンガーが印象的。
カウボーイ風のヒゲのおやじがギターとハーモニカ、ブードゥー・ファッションの黒人女性がギター、マンドリン、マリンバ。
音の方はカントリー・ブルース。
置いてあるギターケースの中には自主制作のカセットが並んでいたので一本買った。

会場に着くとここでも公園の一角でパフォーマンスをやっている。
ベース&ヴォーカルの黒人女性がまぶしかった。かっこいい!のだ。
ギターが白人、ドラムが黒人、良くまとまってて結構感動した。
人だかりも多く、やはりサムシングが有るんだと感じた。

日曜日とあって会場はもの凄い人。
移動もままならないくらい人、ひと、ヒト。
途中で寄った仮設トイレはもうすでにあふれそうだった。きったねぇー。
みっつバンドを観て抜け出すことにして、一息入れるために街に戻った。
今夜も朝までラウンジをはしごする体力を温存しておかねば。

深夜、車に分乗しラウンジを目指す。
街にはけっこう荒っぽい運転のドライバーが多い。
信号はあってないに等しい。
エルモアの「ダスト・マイ・ブルーム」がBGMにピッタリ来そうな状況。
そのエルモアを師と仰いでいたJ.B.ハットゥーの甥っ子であるリトル・エドを見に行く。

店はシカゴのノース・サイドにある"WISE FOOL's PUB"で今夜は目一杯混んでいた。
ホールの方に入れない客のためにカウンターにはステージの様子を写すモニターが二台並んでいた。
仕方なくそこでビールを飲みながらしばらく画面で見ていたけれど、耳に届く音はドキドキさせるに充分だった。
意を決して、満員の客をかき分けつつ強引に中へ入っていった。
テーブル席が多くそれ以上は前へ進めなかったけれど、生のステージは見える。
エドのパフォーマンスをカメラに納めようとシャッターを切っていたら、
突然エドがギターを弾いたまま客席の方へ降り、そのままテーブルをかき分け
私の目の前まで来て延々とアドリブを弾いてくれた。
跪いてのけぞって弾きまくるスライドを眼前で見られるとは。
こんなチャンスは滅多にないので喜びの余り何度もシャッターを切った。迫力の接写が撮れるなんて最高。
一度来日している彼は日本人にも好感を持ってくれているのかも。
私の嬉しそうな顔を見て満足したかいと言う感じで、他の客をも楽しませつつステージの方へ戻っていった。

これぞリヴィング・ブルースの醍醐味!
どんな名盤、ブルースの巨人でも「歴史」になっているブルースではこういう楽しみがない。
こんなブルースが日常的に毎日聴けるシカゴの街は最高。
そばにいた白人の客二人が盛んにJ.B.ハットゥーの名前を連発しているので、
演奏が似ているのか?と声をかけてみた。
親切に沢山の言葉で色々教えてくれたのだけど半分も理解できなかった。
J.B.の甥っ子ではあるけどエドのプレイはエドのスタイルだと言ったことは理解できた。
おまえもエドが好きかと聞かれて好きだと答えると嬉しそうにしていた。

エドの胸には昼間のフェスの時のバック・ステージ・パスが。
やはりこのフェスへの出演はエドにとっても栄光のシンボルなんだと感じた。

二軒目はROZA'sへ、やはりノースのラウンジ。
ここではうってかわり渋いアコースティック・ブルースだった。
ギター、マンドリン、ハーモニカにピアノという編成でかなりいい味を出してる。
私はこれをFRANK PELLEGRINO BLUES BANDだと思い観ていたけれど、
後で意見が分かれ、CEPHAS&WIGGINSだという人もいた。
でも後日FRANK PELLEGRINO BLUES BANDのLPをツアー仲間が見つけ買ったのにはこの日と同じ顔ぶれが写っていた。

バーボンのグラス片手にステージの真下に座り込み自分ではめったにしない手拍子を始めた。
リズム音痴の私は手拍子が苦手なのだけど、この日は精一杯曲の最後まで頑張った。
やった、一度もハズさずに出来た。
しかも途中から他の人たちも手拍子を打ち始め、会場もメンバーも異常に盛り上がった。
アコースティックなのにバンド全体から感じるパワーは凄かった。
そんなことに満足しながら、聴き惚れていた。手のひらがジンジンしているのもこうなりゃ快感。
終わってステージを降りるとき、ヴォーカルをとっていたハーモニカ・プレーヤーがこっちを見た。
にっこりしている!これが小さい会場での良いところ。直にふれあった気がする。

次に登場したのはLUIS MEYERS。
ダウンホームな味わいのイレクトリック・ブルース。
枯れた味の訥々としたブルースが続く。
そこへ新たに登場したのが若手のMELVIN TALOR。
凄まじい早弾きで会場を圧倒する。
なんという超絶テクニック!
側にいるルイスの立場はどうなるんだ。
ジャズ的なアプローチの、ナチュラル・トーンで変幻自在なアドリヴが印象的。
時にベンソン、時にウエスという切り替えが旨いので目が指板を走る指に釘付けになる。
二枚目で気品さえ漂う顔立ちはブルース界の貴公子といえそう。

一気に駆け回ったシカゴのブルースラウンジの数々だけど、
それぞれの内容が濃かったのでひとつひとつの印象がくっきりしている。
ツアー中にどこかのラウンジで妹尾さんが飛び込みでGIGをやったという噂が、、
今は懐かしいフライング・ドッグというビクターのレーベルから二枚のアルバムを出していた
日本のブルース・ハープの第一人者、ウイーピング・ハープ・セノオ、
私はファンなのでいつかこのアルバムが再発されるのを期待しているのです。
(注)--現在はP-Vineから二枚ともCDで再発売されてます。
このときに妹尾さんは大量のブルースのビデオを買いまくったらしく
帰国後ブルースビデオおたくと化しているとの記事を見た。いかにも!な話です。

四日目 6月11日(月)

シカゴ・ブルース・フェスは昨日で終了、今日はレコード店と楽器店をまわる。
こちらではまだレコードが中心でCDは少ないし高い。
ジャズ・マートではいちいち人が何を買っているかをチェックしにくる女性客がいた。
買うつもりでとりあえず置いたモノを横から手にとって一枚ずつ眺めるのは好奇心からか?
ジョニー・コープランドのLPに反応して、何処にあったと聞くからコーナーを教えてあげると飛んでいった。
悪気はないらしい。

ギターセンターではレスポールのオールド・リイシューモデルでゴールドトップのシングルコイルのものを見つけてしまった。
余分に持ってきたつもりのトラベラーズ・チェックの大半がこれで消えてしまった。
買うと言った途端マネージャーが出てきて、実は価格を間違えていた、あと300 ドル上乗せになるというので、
表示通りの値段でしか買わないと、30分も交渉する。結局マネージャーが折れて引っ込んだのだけど、店員はその間さわらぬ神に祟り無しの状態。
一件落着したのでほっとしたらしい店員が愛想のいい態度でケースに入れてくれたので、救われた気分になった。

日本人は高くても買うという定評があって、現地の人価格と、日本人価格の二本立てが実はあるんだと話には聞いていたけど
この日のことがそうなのかは私には解らなかった。

五日目 6月12日(火)

メンフィス。
エルヴィスの家「グレースランド」を見た後、サンスタジオへ。
最近では U2 がここでレコーディングしているが、スタジオ内はエルヴィス一色。
工藤夕貴が出ていた映画「ミステリー・トレイン」にこのスタジオでのシーンがあったけど、
1953年にJUNIOR PARKERがこのサンスタジオで吹き込んだのが"MYSTERY TRAIN"だった。
映画のラストにこの曲が流れていた。
サンスタジオのT-シャツ、前から欲しくて買った。
ネヴィル・ブラザーズのライヴ・ビデオでデニス・クエードがこのT-シャツを着ていたのが印象に強かったんだ。

ここメンフィスにはかつてSTAXもあった。
STAX=メンフィスサウンド
映画「ブルース・ブラザーズ」でもブッカー・T、スティーヴ・クロッパー、ドナルド・ダック・ダン達が活躍してたけど
かつてはSTAXのハウス・ミュージシャンだった人たちで、「グリーン・オニオン」の大ヒットを生んだ、
BOOKER T & THE MG'sのオリジナル・メンバーでもある。
これにWAYNE JACKSONらのメンフィス・ホーンを加えるとマーキーズになる。
60年代STAXのレコーディングのほとんどのバックをやっている。
オーティス・レディングもサム&デイヴも皆STAXのアーティストだった。
当時のソウルシーンをリードしていたそのレーベル、STAXの社屋跡にバスは着いた。
取り壊されたあとでガレキ以外何も残ってはいなかったが、まだ原型を留めていたレンガを一枚記念に拾った。

メンフィス最大の黒人ラジオ局のひとつWDIAを訪ねる。
局の待合室には歌手らしい美形の女性とマネージャーらしい男性が居た。
突然の日本人の集団にちょっと驚いた様子だったけど、何か気がかりなことがあるらしくすぐに
打ち合わせのために移動していった。
局のスタッフは皆とても親切な方ばかりで、温かい歓迎を受けた。
ブースのひとつひとつに案内して貰い、スタッフと記念写真も撮った。
かつてはB.B.KingもここでDJをやっていたのだと思うと感慨深いものがあった。

音楽の合間にニュースや天気予報も入れるんだとか、機器の操作法まで教えて貰った。
でも英語なので半分も理解できなかったけど。
局長らしき人が出てきて自局の歴史を説明してくれたうえ、レコードやカセットのお土産まで頂いた。

エルヴィスの銅像があるビールストリートは観光名所になってるようだけど、
B.B.Kingの名前の由来がビールストリート・ボーイだというくらいブルースにゆかりのある場所でもある。
そのストリート脇にある公園で深夜、地元の人に混じってストリート・パフォーマンスを観る。
やる方も観る方も生活の中に普通にブルースがあるようで、力強いモノを感じた。

道を歩いていても車の中から手を振る人が多くて、親しみを感じる経験をした。
真夏なのにどの車も窓を全開している、ということはやはりここではエアコンは贅沢品なんだと気付く。
テネシー州メンフィス、また来たい。

六日目6月13日(水)

かつてSONNY BOY WILLIAMSON がキング・ビスケット・タイムをやった、ブルース専門のラジオ局、KFFAを訪問。
アーカンソウ州はヘレナにある。
1938年から40年代にかけて毎日その後も断続的に’55年までという長期にわたりこの生放送の番組は続いた。
曲の間にキング・ビスケット印のコーン・ミールのコマーシャルが入る。
実際サニー・ボーイのロゴとイラストが描かれたコーン・ミールの袋が保存されていた。
KFFAの脇には大きなトウモロコシ畑があって、SONNY BOYのロゴ入りのコンテナが一台置いてあったのも印象的だった。
ツアー・メンバーの女性が一人、飛び入りで番組に出演した。
愛称は?と聞かれてシュガーと答える佐藤さん(笑)

この日の深夜バスで30分ほど、見渡す限り綿花畑という風景の中を走る。
目的地はサム・カーの自宅。
治安に不安があるということで途中からヘッドライトを消灯、漆黒の闇の中をわずかな光だけを頼りにひたすら走る。
ドライバーがかけてるブルースのテープが妖しく車内に響く。

映画「クロス・ロード」に出演していたFRANK FROSTと彼の仲間、JACK JOHNSON とSAM CARRの三人が暖かく迎えてくれる。
この三人、そのままジェリー・ロール・キングスだ。
それにしてもサムの家には実に大きな庭がある。その庭を向いて縁側から三人が演奏してくれた。

これがデルタブルース!と誰もが納得する、ラフでダーティーなサウンドは渋かった。
フランクもジャックも楽器を持ち替えては結構気合いを入れてプレイしてくれた。
途中飛び入りして2曲やった。
シカゴで買ったレスポール、ここで共演できたのが記念になる。一生使うぞと心に決めた。
JODの「ダウンホーム・ブルース・ツアー」に感謝!

七日目6月14日(木)

今日もブルースマンの自宅訪問。
JAMES SON THOMAS と EUGIN POWEL の二人の家を各々訪ねた。
ジェームズの家は床が踏み抜けていたり、外観も相当なボロでちょっとショックだった。
14才くらいの息子はブルースよりもヒップホップが好きと言っていた。
といいつつ、玄関で椅子に腰掛け歌う父親を誇らしげにしていたのも確かだった。

ユージンは玄関で歌ってくれたあと、一番前で見ていた私に「あんたもやるんだろう?」とギターを
差し出してくれたんだけど、アコースティックの弾き語りは出来ないので辞退した。残念。

二軒とも共通していたのは、彼らが歌ってると近所からおばさん達が出てきて遠巻きに聴いていたこと。
日本人ばかりが30人ほど固まって聴いてるせいか近くへは来なかったけど、楽しんでるようだった。

八日目 6月15日(金)

ミシシッピ州ジャクスン、楽しみにしていたマラコ・スタジオの見学。
南部最大の現役バリバリのレーベルのひとつ。
リトル・ミルトン、デニス・ラセール、ドロシー・ムーア、ラティモアなどが活躍している。
Z.Z.ヒルもここにいい作品を残している。
ナンバーワン・エンジニアのウルフ・ステフェンソンが大歓迎をしてくれた。
ミキシング・ルームや各ブースを自ら案内してくれる。
丁度レコーディング途中だったドロシー・ムーアのラフ・ミックスを4曲も聴かせてくれた。
それがものすごく良かった。
発売されたら絶対買わなくては。

マラコのレコードやCDのほとんどにこのウルフの名前がクレジットされてるから
相当すごい人なんだろうけど、会った印象は穏やかなおじさんだった。
スタッフ総勢80名、経営は順調で今は規模を大きくするかどうかで迷っていると聞いた。
このときは老朽化した社屋を丁度取り壊しているところで、隣に新しく建て直している最中だったが規模は同じにするとのこと。
たくさんあるテープのストックの中からベストなものを選んで出す予定があるとも聞いた。
まだまだある未発表音源を出す予定は?と聞いたら、出したいけどすぐではないとの返事。

九日目 6月16日(土)- 18日(日)

ついに最終行程、ニューオリンズだ。
頭の中でネヴィル・ブラザーズの「30N×90W」が鳴る。
ニューオリンズの位置をそのままタイトルにした曲。
チャールズ・ネヴィルのサキフォンそのままのイメージの街だった。
街それ自体が音楽と一体化してる感じで生命力に溢れている。
ここだけで一つの国と思えるほど、雰囲気が違っている。
時の流れも超越した一貫したニューオリンズ・サウンドが定着していて、まさに文化の匂いを嗅いだ気がする。

ニューオリンズはいつもニューオリンズ。
ダーティ・ダズンのようなブラス・バンド、プロフェッサー・ロング・ヘアーのピアノ・ブルース、
ネヴィル・ブラザーズに代表されるニューオリンズ・ファンク、
ロッキン・ドプシーのようなザディコ、他にもいわゆるケイジャン・ミュージック等、
どれをとってもニューオリンズ100%なんだ。

ラウンジへは"TIPITINA'S" "MUDDY WATERS" "MAPLE LEAF"へ行った。
『メイプル・リーフ』で観た ROCKIN' DOPSIEはザディコの本領を発揮した凄いのひとこと。
ザディコの生はこのときが初めてだったけど、レコードでは判らない、ダンス・ミュージックとしての要素を強く感じた。
ホールの客のほとんど全員が踊っているのだ。
普段踊るなんて事をまずしない自分まで、ついに踊ってしまった。

『マディ・ウォーターズ』では二晩、GATEMOUSE BROWNとJOHNNY ADAMSを観る。
ゲイトマウスは相変わらず達者で、ものすごいテンポの3連もバリバリ弾くし、
得意のジャンプナンバーでは笑みが(怖い笑み)漏れる。
タメの効いたスローブルースは余裕でパイプをふかしながらオレ達をノックアウトしてくれた。

ジョニー・アダムスの時はコール&レスポンスの部分で歌い返したら、
面白がってしばらく遊んでくれた。
はじめは歌いやすいフレーズだったのが、だんだん一発では返せなくなってくる。
もう限界かと思ったところで自分の歌に戻ってくれた。緊張した。

ケイジャン料理についても、ひとこと。
有名なガンボにジャンバラヤ、どちらも日本人の味覚にぴったりで文句無し素晴らしかった。
クロウフィッシュも絶品でまた食べたくなる。
バーボン・ストリートやフレンチ・クォーターでの音楽はあまりに『観光客向け』しすぎてはいるけど
こと料理に関しては最高に美味いと感じた。

旅行の最終行程を締めくくるに最高の街、ニューオリンズ。
アメリカから来てる観光客も一杯いたのでやはりここは彼らにとっても『異国』なんだと感じた。

-- あとがき --

こうしてブルースの旅は終わった。

シカゴの街並みや、メンフィスの心暖かい人々、南部の広大な綿花畑、
そこで見た、マディ・ウォーターズの生まれ育った小屋のような家、
様々なストリート・パフォーマンス等々、
そこで累々と受け継がれる『ブルース』がある限りブルースは死なないと確信を持った。
かつて「ブルースからロックン・ロールという名の息子が生まれた」とマディが言った。
あらゆる今のポップスがブルースと無縁では無い。
ブルースやR&Bの影響を抜きにして今日の音楽は無いに等しい。
一人でも多くの人がこの素晴らしいルーツミュージックを聞くことでまたそこから新しい何かが生まれる気がする。

そんな気持ちがあるせいか、帰ってきてからの方がブルースにより『熱く』なった気がする。
だからつい、店のブルースコーナーにも力が入ってしまう。(笑)


1990年度のツアー参加者 / シカゴ、チェス・スタジオ前で


-- あとがきのあとがき --

以上1990年当時のノートです。書き直しながら感じたのは、数年経っているにもかかわらず、
昨日書いたような印象を受けたことでした。
細部はこれを読み直して思い出したりしました。(これを書いておいて良かった)
また行きたい。

--bluesboy 3 July 1997

ちなみにこのダウンホーム・ブルースツアーを企画主催している
添乗員の高梨俊彦氏の連絡先は
(株)フロンティアワールド Tel 03-3839-0400
E-mail : fwt@eos.ocn.ne.jp

となっています。今年こそ、あるいは今年も行くぞ!という方は
是非高梨さんに連絡を入れてあげて下さいね。ツアー詳細のDMが届くと思います。

Mail to Me please :-)

bluesboy@pluto.dti.ne.jp

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