第一章:ルーツミュージックといっても

ルーツ・ミュージックといってもここで私が言おうとしているのは、
アメリカ南部を発祥の地とする、アメリカン・トラッド・ソングのこと
です。 音楽は総てが影響し合う性格があるので、アメリカのル
ーツ物だけ取り上げていると、狭い範囲の話になりそうですが、
実はアメリカの建国の歴史を思い出してみれば、わずか200余
年前に移民という形で、異種混合文化の中で発展してきたわけ
ですからこんなに興味的な音楽は他にないといえるくらい面白
いのです。

生まれも育ちも、文化圏も異なる人々が、一つの大陸で力を合
わせて発展していく過程には、やはり共通の娯楽として、 お互
いが混ざり合ううちにひとつの形になっていった、音楽を中心に
した時間と場所があったであろうことは、想像に難くないです。

しかもこの時代、南部での農場労働力として強制的にアフリカン・
アメリカンが奴隷として流入、映画「ルーツ」の描写を借りれば、
アメリカ大陸に生きてたどり着ければ幸いだったとされるような、
まさに家畜同然のすし詰め状態で運ばれたあげくが、奴隷労働
だったのです。

こういった黒人の奴隷たちが、毎日のつらい労働の疲れを癒や
すには音楽(歌)しかなかっただろうこともたやすく想像されます。
まさに今日を生きていくための糧ともいえる比重を占めていたの
です。そのアフリカン・アメリカンたちはアメリカ南部で、白人たち
から与えられた強制労働とキリスト教のふたつを、ワークソング、
ゴスペルといった独自に生み出した音楽で吸収、表現したとい
えます。

農場の主人は歌や楽器のうまい奴隷には「労働」を免除し、週末
のダンスパーティなどでミュージシャンとしてのステイタスを与え
たりしました。御主人自慢のミュージシャンは時に、 白人農場主
同士の家族交流の場でも演奏したといいます。そうしてアフリカン
・アメリカン発の文化としての黒人音楽が、 もう一方の白人音楽
と互いに影響しあいながら発展したわけです。
(これがいわゆる、ブルース誕生の瞬間です)  

そうなると、歌の素養がある人は楽器や歌唱力を磨き、評判を取
れる歌作りに努力を重ね、結果的に農場作業から遠ざかろうとす
る連中がでてきて当然なわけですが、自分たちの気持ちを代わり
に唄ってくれるシンガー、演奏技術に長けたミュージシャンは各
地で人気を博した訳です


第二章:音楽の商業化

THE RETROSPECTIVE 1925-1950 SONY RECORDS SRCS 5963-6 \10.000

これらの音楽をアメリカの文化のひとつとして記録にとどめようと、
1800年代後半、当時の録音機材であるシリンダー(ろう管)に
記録していた人達があったのですが、現在これらは再生が可能
な状態では残っていないらしいです。

ルーツ・ミュージックを体系的にとらえた作品の多くが 1925年
あたりの作品からスタートしているのは、記録媒体がもろいシリ
ンダーから、丈夫なSP時代に入ったことと無関係ではないはず
ですね。

いざ、これらの音楽をSP盤として登場させた人々は意外とこれが
金になることに気付き、一気に録音活動も熱を帯び始め、 商品と
して市場に出回ることになっていきます。 当時の最大手、ビクター
とコロムビアには熱心にこれら黒人音楽を制作していた人達がい
たのですが、また同時に黒人音楽だけを専門に取り扱う小さな会
社も続々登場して、それらは白人の音楽と区別するために 「レイ
ス・レコード」とか「レイス・レーベル」と呼ばれました。その呼び名
にはやや人種差別的なニュアンスが含まれてはいましたが、さな
がら今でいうベンチャー・ビジネスの体をなしていた活況のある市
場であったと思われます。

またその流れには時代背景も大きく拍車をかけました。それまで
白人側から見た、黒人の『価値』といえば南部での農作業のため
の労働力としての需要が主だったのですが、都市の工業化に伴
い工場労働力としての黒人のニーズが高まるにつれて、北部
(都市部)の白人知識人の間からついに「奴隷制度」の廃止論が
水面下から浮上、より声高に叫ばれ始めたことから、結果的には
黒人をめぐって南北の対立が激化し、ついにあの南北戦争へと
突入してしまいます。 映画「アミスタッド」をご覧になった方はこの
時代の南北の一触即発の状態が大統領選にまで影響を及ぼし
ていたことを思い出されるでしょう。  

それはともかく、その南北戦争が終戦を見た後、戦争の置きみや
げといった形で戦場に捨てられた楽器(トランペットやハーモニカ、
太鼓など)を、多くの黒人たちが手にしたことがきっかけで、黒人
音楽は飛躍的に発展する機会を得たとはなんとも皮肉です。 

余談ですが、この時ドイツ出身のホーナーという青年が、所属する
部隊の同僚が前線での携帯用に靴屋に特注して作らせたという、
携帯用の小さな10穴ハープをみてこれは売れる!と確信し、祖国
へ帰ってから自分の名前で商品化したのが「 ブルース・ハープ」で
した。

こうして、農場主の娯楽といった位置づけから大きくジャンプアップし
て、誰もがビッグ・ビジネスとしてとらえる『商業音楽』というステイタ
スを得たのです。もちろんその間、白人音楽とも相互に影響し合って
発展してきたことはいうまでもなく、決してワンサイドからだけ語れる
ものではありません。このあたりを意識してか、ルーツ・ミュージック
の研究家、ローレンス・コーン氏はソニーからリリースされた1925
年から1950年までの アメリカン・ルーツ・ミュージックの集大成「レ
トロスペクティブ」CD4枚セットで、黒人音楽と白人音楽を同列にと
らえて編集しています。


第三章:"悪魔の音楽"が人々の音楽に

The Devil's Music BBC RECORDS RED LIGHTNIN' RL-0033

黒人音楽が「レイス・レコード」と呼ばれていた頃、特にここで言おう
としている1940年代から1950年代にかけて、一般の白人家庭
ではそれらを家で聴くということは考えられない状況でした。というよ
り意識的にそういう音楽は存在しないものとする暗黙の了解がそこ
にはあったようです。 

まだ人種差別が激しかった頃で、子供を持つ白人の親たちはこれら
の音楽をDEVIL'S MUSIC 、すなわち『悪魔の音楽 』と呼んで、忌み
嫌ったそうです。 とはいえ、レコード産業の当事者にとってはビジネ
ス・チャンスの拡大が最大の関心事であり、より多くの聴衆を引きつ
けるためにはそこに何かが必要でした。

その何かはしかし、半ば必然的に人の形として現れました。 いくら
親が禁じても感受性の鋭いティーン達は、この時代のブラック・ミュ
ージックに心底シビレていました。 例えばメンフィスのとある少年は、
夜な夜な親の目を盗み 枕の下に隠したラジオでこの強烈なビートに
酔いしれる毎日。 そしてその少年はついにある日決心をしたのです。
母親の何十回目かの誕生日に自分のレコードをプレゼントしようと。

幸いメンフィスにはサン・レコードという小さいレコード会社があって
プライベート録音を受け付けていました。1953年、高校を卒業した
ばかりの彼は 貯金を握りしめてそんなレイス・レコードの会社、サン
を訪ねました。 (3枚 / 2枚目) 録音を担当した女性スタッフは、まだ
未完成とはいえこの少年に何かを感じ取り、結局は後になって サン
の社長、サム・フィリップスが誰かいい奴(歌手)は居ないのか、とつ
ぶやいたときに、その彼を推薦します。

サム・フィリップスには夢があり、黒人のように歌えるかっこいい白人
がいればすべての人に(特に一般の白人達に)アプローチ出来るの
ではと考えていました。 毎日ラジオで聴いているヒップなブラック・ミ
ュージックを自分自身で歌いたくて仕方のなかった少年の名はエル
ヴィス。こうして、互いのニーズが結びつき彼は後に大スターになる
道を踏み出すことになりました。  

このサム・フィリップスの勘は当たり、「黒人のヒップさと歌唱力を持
った白人歌手」が業界での成功へのキーワードとなります。 (これが
ロックン・ロールの誕生と言われています) 一般家庭でも歌ってるの
が白人なら世の親たちも大目に見ました。こうして次々と白人の美
青年が歌手として登場し、黒人達の作った曲を歌いスターダムにの
し上がっていきました。

結果的にはこのことが、黒人達がいくらいい曲を書き、あるいは歌っ
ても ヒットするのは白人のカヴァー・ソングで、儲けるのはいつも白人
という状況を生んでしまいました。アメリカ社会の歪みが音楽産業に
も如実に現れてしまったわけです。

当時の黒人達はまだ文盲の人が多く居て、レコード会社と契約を交わ
すときも、訳も分からずサインをさせられていたため、後に自分が書い
た曲がいくら売れても、当の本人には一銭も入ってこないというケース
が多発しました。徐々に、自分たちが騙されてやしないかと気づき始
めた彼らに救いの手が差し伸べられるようになったのはもう少し後の
時代のことでした。今日では、何よりも著作者の権利が守られるように
なり、こういった話は過去のものとなりましたけれど、契約時の形態に
よっては曲の権利そのものが所属会社に帰する場合もあって、歌手や
作曲の活動をする方は最初に充分検討を要することに変わりはないよ
うです。

ちなみに私はプレスリーは大好きです。このことで別に彼に罪はないと
思うのです。好きな音楽を聴いて楽しみ、たまにはバンドやったりしてる
私や、皆さんと根っこは同じでしょう。彼自身のパフォーマンスには真似
と言うよりそういった音楽への愛情が感じられると思います。 この時代
の音楽がいまだに多くの人に愛され、当時以上に高い評価を得ているの
は何故か。また、それらのエッセンスを吸収した人による今のスタイルで
演じる音楽の多くが人々の心に響くのは何故か。それはやはり魂の歌だ
からに他ならない気がしています。つまり時代や民族の壁を超えて、魂
から魂へ唄われていくものだということです。それ故にルーツ・ミュージ
ックは我が魂と感じています。

- bluesboy Oct.14.1996 / Mar.13.1999 一部加筆


実は英BBCのTVシリーズの音源から起こした "THE DEVIL'S MUSIC"
というアルバムがありますが、これなんかは、こんな歴史的背景をこめ
てタイトルにしたと思います。

"The Devil's Music" / BBC RECORDS RED LIGHTNIN' RL-0033

-- MISSISSIPPI AND MEMPHIS BLUES SIDE --

SAM CHATMON-"STOP AND LISTEN"
BIG JOE WILLAMS-"HIGHWAY 49"
HOUSTON STACKHOUSE-"COOL DRINK OF WATER"
SAM CHATMON-"SAM'S RAG"
BIG JOE WILLAMS-"WATERGATE BLUES"
SAM CHATMON-"WHO GONNA LOVE YOU TONIGHT"
BOOKER WHITE-"ABERDEEN MISSISSIPPI"
MOSE VINSON-"WHEN YOU GOT RID OF MY MULE"
SONNY BLAKE-"ONE ROOM COUNTRY SHACK"
SONNY BLAKE-"BRING IT ON HOME TO ME"
JOE WILKINS-"MR DOWNCHILD"
HOUSTON STACKHOUSE-"MEAN RED SOIDER"
MOSE VINSON-"BUGLE CALL BLUES"
LAURA DUKES-"CRAWDAD"

-- CHICAGO BLUES SIDE --

THE ACES-"TAKE A LITTLE WALK WITH ME"
BILLY BOY ARNOLD-"SOMEBODY HELP ME"
FENTON ROBINSON-"SOMEBODY LOAN ME A DIME"
GOOD ROCKIN' CHARLES-"DON'T START ME TO TALKIN'"
FENTON ROBINSON-"YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS"
JOE CARTER-"IT HURTS ME TOO"
BILLY BOY ARNOLD-"SHE FOOLED ME"
THE ACES-"BLUE SHADOWS"
GOOD ROCKIN' CHARLES-"SHAKE YOUR BOOGIE"
LITTLE BROTHER MONTGOMERY-"VICKSBURG BLUES"
EDITH WILSON-"YANKEE DOODLE BLUES"
LITTLE BROTHER MONTGOMERY-"I AIN'T GOT NO SPECIAL RIDER NOW"


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