E-mail: aa “ REAL ! ! SWEET HOME ”FROM CHICAGO
 
 皆さん御存知の通り、危機感迫る衝撃的な世界情勢の真只中、よもやま話とはお叱りを受けるかもしれないんですけど、今現在この一瞬をこうしてのんきにタバコをふかし時間を費やせる一時に感謝をし、いつも通りお届けしたいと思います。

------前書き-----
 まず先日、親愛なるオーナーが引退間近の東中野キングビーでのライブの事。 初めてバンドメンバーとして参加してくれたベーシスト‘タニヤン’こと谷口英視さんも「四十肩で指が動かないかもしれない」と謙遜しつつも、僕を大船に載ったつもりで延び延びとプレーさせていただきお陰さまで楽しいライブになりました。 この日は他の出演バンドとも時間を共有できその皆さんにもお世話になったわですが、久し振りにブルースオンリーな夜になり、その中でもSTOMPという若手ブルースバンドの皆さんとは朝まで楽しい酒を飲ませていただきました。ちなみに彼等は近藤房之助さんの影響を伺えるオーティースラッシュの「I CAN'T QUIT YOU BABY」の演奏が印象に残りまして....そこで、今回のよもやまぶるうすは、大切に胸にしまっておいたこの方々と過ごした時間を元にお届けしようかと思います。 
では、まずはその方々のお名前を御紹介しておきましょう....
『Mr.〜OTIS RUSH !!&BUDDY GUY !! & DAVE MEYER !! &J.W.WILLIAM !! & SHUN KIKUTA !!』

 1999年10月、僕はメンフィスからニューオリンズ、ニューヨーク、そしてシカゴと渡り歩いていた。その土地その土地で偉大なるブルースマンや現地の一般市民とも有意義な時間を過ごした事は、いつかまたお話するとして、「やっぱりスウィートホームだわ」と実感できた場所がこの旅の最後に訪れたシカゴだった。2度目だったからかもしれないが、考えてみると今までブルース以外にもシカゴとは縁があった。 高校の英語の授業で一時来日してきた先生がシカゴから来ていたり、姉の留学先がイリノイ大学だったり、はたまた従兄弟がこの時は海外出張でシカゴに勤務していた。もっとも従兄弟がいてくれた事で僕の旅のストレスと心細さを癒してくれる存在として心強かった。それに加えて、今シカゴを拠点に全米で御活躍の日本人屈指のギタリスト菊田俊介さんがいてくれたことも日本人としての僕にスウィート感を与えていたのかもしれない。

 町並みはニューヨークが東京、ニューオリンズが横浜、神戸あたりと勝手に解釈してみると、シカゴがなんとなく自分の生まれ育った名古屋のようにも思えて来たりもしていた。そんな中、シカゴの初日、Mr. BUDDY GUYのお店「バディガイ・レジェンズ」のジャムセッションにお邪魔する事にし、従兄弟ともそこで落ち合う事にした。本場シカゴのブルースクラブは音楽ファンならずとも観光スポットとしても世界中の人たちで賑わう場所も多くレジェンズもホットなお店。さっそく店には大詰めの大リーグの試合に観いっているバディがカウンターで飲んでいた。 バディと直接体面するのは2度目で、とりあえずかたこと英語で御挨拶程度、そこへ従兄弟がやってきて十分な通訳をしてもらって会話していたら、「今夜は君とプレーができるかもしれないよ」といっていただき、そのお言葉だけで感謝感激でした! で、とりあえずミーハーぶりを発揮し、かつてバディも好んで使っていて、その時僕が持参していったエリッククラプトンモデルのギターにサインをしてもらったんですが、「GURAって書いて欲しいんですけど...」と頼むと、静かに首を横に振っていました...なんでやねんっ!でも、どういう意味かはわかりました。I understand !

そうこうするうちに、セッションも始まりお手並み拝見していると、ふらっと、いやゆっくりと杖をつきながら帽子をかぶったおじさんが僕の前に....「オー!ルイス!!どうも!どうも!」僕が喜んで駆け寄ると、おじさんもニコニコ顔で「よー日本から来たのかい!!」と....そうですこのお方、まさかルイスじゃありません、デイブマイヤーズさんだったのですが、僕がつい間違えてデイブの死んだ兄貴であるルイスの名前を呼んでしまったにもかかわらず、悪い顏一つもせず話してくれたのです。 デイブも1人で来ていたし、盛り上がりに欠けていたセッションよりもデイブとの会話に花が咲いていました。そんな中、セッションも終盤の頃、僕の名前が呼ばれステージに上がろうと思った時、すでにバディは家に帰ってしまっていたのです!(笑)きっとバディもおもろなかったんでしょう....でも、何曲かバディの店のステージで演奏できただけでもいい経験ができ満足だったんですけど、これまたデイブが喜んでくれて、「次はどこでプレーするんだい?」と聞いてくれたので、「明日、菊田さんの出演するキングストンマインズに行くんだけど、ひょっとしたら演奏するかもしれないんだけど...」と答えると、「じゃあ、体調がよかったらきっと行くから必ずプレーしてくれよ」と神様みたいなお方からこんな事いっていただいていいのかしらと興奮せざるをえませんでした。 
 
 ちなみにこのレジェンズでは偶然な出会いが他にもありまして、この1週間程前にいたメンフィスのビールストリートにあるセンターサザンファークロアーというお店で僕は演奏していたのですが、DICK MEYERさんというプロディーサーが「その時君を観ていたよ!レジェンズでまた会えるとは思わなかった」と声をかけてくれまして、「BLUES ROUTE'93」というタバコのCAMELの企画オムニバス的なCDとそのTシャツをプレゼントしていただきました。そして、この日のセッションではなんと日本人女性のベーシストが参加していたのですが、これまた後日偶然な話になるのです。

 そして翌日、シカゴのノースにある有名なブルースクラブ「キングストンマインズ」へ、菊田さんがギタリストを勤めるJ.Wウィリアムスバンドを応援に行きました。 このクラブにはステージが2つあり、時間差で演奏が行われていて、もう一つの出演バンドでは近年来日も果たし、菊田さんのアルバムにもフーューチャーされた女性シンガー、ネイリータイガートラヴィスさんのステージもシカゴでいち早く堪能できたわけです。 そしてその後、菊田さん達もクラブ入りして、半年ぶりぐらいの再会となったわけです。ちなみにその半年前菊田さんには御自分の凱旋ツアーの中、僕の当時のバンドのゲストとして共演していただいていたり、オーティスクレイのメンバーとして来日していた時にもお会いしていました。
しかしながら、菊田さんは僕の友達関係にも優しくしていただいてる話はかねがねお聞きはしていますが、この日も僕に気を使っていただいて「じゃあ、3ステージ目に演奏しよう!」と言っていただいたわけであります。そしてJWさんにも御丁寧に御挨拶していただき、「お〜この人もなんて優しいお方なんだ」と感動。もっとも、菊田さんの影響からか、すっかり親日家だとかで。ちなみにこの日、前日レジェンズのセッションに参加していた日本人女性も遊びに来ており、後にメールで知らされたのですが、彼女はCHIEMIさんといってメンフィスジェイムズトリオというバンドでベーシストを勤め、女だてらにタフなブルース魂をもってメンフィスで生活していたのでありました。 

 さて、そこにまたやってこられたこのお方、デイブマイヤーズさんがお約束通り来てくれて、ホントに来た!と僕も従兄弟もびっくりしてしまいました。 さっそく「楽しみにしてるよ」と声をかけてくれ、デイブと菊田さん達のライブを楽しんでいました。そして2ステージも終盤、とっくに夜の12時をまわっているのも当たり前のシカゴのクラブ、そこへ何とこれまた大興奮のシチュエーション!オーティスラッシュさんが奥さんのマサキさんとやって来てしまいました!!そしてオーティス夫妻は入り口付近の僕らのテーブルで同席する事になりました。ブルースファンの方は御存知のはず、オーティスの奥さんマサキさんは日本人、とても素敵な方です。ちなみに僕の本名もマサキなんですぅ。 

 そのマサキさんが話しかけてくれまして「今回どう言う切っ掛けでアメリカに来たの?」と言う話になりました。 そもそもこの時のアメリカへ行くもともとの計らいというのが、実はとある関係でメンフィスに住んでいるウィリーミッチェルさんに会いに行く事で、まあそのついでにニューオリンズ、ニューヨーク、シカゴにもいこうということになったんです。(メンフィスの話は改めて...) と、まあこの経緯をマサキさんにお話したところ、「まあ!ウィリーなんて私を妹のように可愛がってくれていて、毎日電話もかかってくるのよ!!」と僕も嬉しい事に話は進む一方。それもそのはず、オーティスは98年ウィリーのプロディース作「Any Place I'm Going」で見事にグラミー賞を受賞しているわけですしね。 そんな中でオーティスも上機嫌で、「昨日、バディさんにもサインしていただいたんですけどぉ...」とギターを差し出すと、オーティスは快く自らのサインと『TO GURA BEST WISHES!』とメッセージまで書いていただきました。 先にも書いたこのギター、オーティスラッシュやバディーガイを師、いや神と仰いだエリッククラプトンの大量生産ながらサイン入りモデルのギターにこのお二方の直筆サインが入り、言葉にならぬほどでありましたが、とりあえず、マサキさんに「このギターはもう弾きません!」というと「なんで〜?」と平然と答えられた事に思わず言葉が出ませんでした。(笑)
 
 さて、JWと菊田さんのステージもいよいよラストの3ステージ目へ。 JWから指でCome,Comeと合図をもらいステージへ、ただでさえ緊張しそうですが、オーティス夫妻とデイブもいるということで自分もどうなる事やらと思いましたが、もうスローブルースでノリまくりました!前でスローブルースで踊り狂う女性が現れてくれたお陰もありましてね。このあとデイブもJWに呼ばれたんですが、JWの「俺のベースを弾け」という素振りに、デイブは「やだよ〜今の俺はギターしかプレーしたくないよ〜」とこぼしていましたが、ベースを渡され弾き出した音は、JW仕様のゴリゴリサウンド!これにはJW本人がしてやったりという顔で大はしゃぎ、みんなも大受けしていましたが、ベーシストとしてのデイブをその時生で初めて観る事ができた事に感動しました! ちなみにこの日は僕が演奏する前からデイブがオーティスや菊田さんに「彼はいいギター弾くんだ」と言ってくれていた事を本当に恥ずかしく、申し訳ない事をと思っていましたが、恐れ多くも現場にいた方々にお褒めの言葉を頂戴いたしまして、中でもマサキさんには、「小椋君すごいじゃないの〜〜〜」と、どうやらマサキさんの期待以上の演奏ができていたようなんです。(笑)で、そのゆえか、興奮の1日を過ごせたなあとホッとしていると、マサキさんの口から、ガチンコ風に言うと『そしてまた、予想だにせぬ事がこの後にっ!!』ってな事を言っていただいたわけなんですが、それというのも「明日オーティスとデートなんだけどよかったら御一緒しません?」とっ!! 
 
 というわけで、翌日、ブルースエトセトラというブルースクラブで落ち合う事に。この日はライブはなくプールバーとして営業している日でした。オーティスは普段からお洒落な人で、トレードマークのテンガロンハットに白のセーター、胸には大きな花の造花を付けていました。オーティスはビリヤードが大好きで、8ボールを一晩中オーティス夫妻と楽しみながら、酒をごちそうになり楽しい会話が盛り沢山でした。 仮に一部マサキさんの発言と僕の反応をそれぞれ取り上げてみますと....『オーティスの歌はホント最高よ!ギターは下手なんだけど..』「えっっ!(苦笑)」....『エリック(クラプトン)は紳士よ〜ロイヤルアルバートホールに呼んでもらったけど、ホント彼は紳士。...でも「OLD LOVE」はオーティスの方がいいわね〜、レコーディングでコード進行教えるのが大変だったんだけどね。(笑)』「当然オーティスの方が最高っす!」...『小椋君、オーティス好きだったら、アルバート(キング)も好きでしょ?オーティスはアルバートフリークだから』「(この時心で、そうだったんだぁ)」とまあ、書いていたらキリがありませんが、この日はわざわざ、『BLUES』という今巷で話題のギターメーカーの創立者、ムーニー表さんから届いたという、マサキさん用のギターをわざわざ僕に見せるために持って来てくれていたりもしました。そして、店ではオーティスのナンバーがBGMとして流れおり、僕は口ずさみ、オーティスに「日本で、あなたの歌を歌わせていただいています」というと「サンキュー!」と喜んでくれました。 オーティスは少し前から、お酒をやめていていて、とても元気でした。そして半ば「僕もオーティスと同じコーラが飲みたい」というとオーティス夫妻は「遠慮なくお酒を飲みなさいよ」と言って大笑いしていました。

 ついに夜明けを迎え、じゃあ、これから朝食を食べに行こうという事になり、シカゴのベルモントという町へ出かけました。かつて僕がシカゴを訪れた時、このベルモントでギターを買いに来た事がありましたが、なんとこの町一風変わった町だとは知らなかったんです! 
 そして、オーティスファミリーがいつも利用しているというレストランに入りました。ここから、また笑える話や事件に遭遇する事になったんですが、まず、オーダーで僕がメニューにはないライスを下さいとつい店員に言ってしまうと、オーティスが「よし。マサキ、これから家で飯を炊け」と言い出してしまい、すぐ謝りました。(笑)一件落着かとホッとすると、隣のテーブルの男性がオーティスラッシュだと気付くと「ワオ〜コングラッチレーション」と挨拶、そこでマサキ夫人「小椋君知ってる?隣の人男のくせにさっきからあなた達ばかりを見てるのよ〜、私には見向きもしてないんだから〜」そこで、今度オイラが「ワオッ〜!!」気付いてみれば周りはゲイばっか!そう、後から従兄弟にも確認したんですけど、このベルモントという町は「ゲイタウン」だそうで、ある意味恐い思いをしました。とその時、本当に恐い思いをする事件が起こってしまいました。突然、レストランのエントランス付近のガラスが割られ大げんかが始まってしまったのです!店員の女性は泣き出し、犯人と思われる男は狂ったように叫び、何が起こったのか訳がわかりませんでした。僕達とゲイの皆さんもとりあえずビビっていました。 
すると、オーティスが「よし、君たちを守るために、俺が様子を見に行ってやる」と言い出し、「止めなよオーティス」と止めては見たものの、オーティスは俺は正義の見方だと言わんばかりに席を離れ一件を静めようとしていました。心配でしたが、むしろマサキさんとは笑えるムードでもありました。この事件には警察ももちろん駆けつけすぐに一件落着しました。

 そして食事がほぼ済むと、オーティスのプレゼントコーナーが始まりました。オーティスはいつもしっかりとしたアタッシュケースを持ち歩いているのですが、それを取り出し、マサキさんが「小椋君、この中には何がはってると思う?...これ見て〜」何が入ってると思えば、ほとんどお菓子!(笑)その他、葉巻き、自信のプロマイド写真....。まず、オーティスは葉巻きをくれました。そして飴でちょっとくっついてしまっていましたが(笑)、プロマイドにサインと僕のギターにも書いてくれた「BEST WISHES」というメッセージを自ら書いてプレゼントしてくれました。それに付け加え、マサキさんから「これオーティスには内緒」と、ハウスオブブルースの企画シリーズでオーティスも参加しているレッドツッペリンのトリビュートアルバムをも頂いてしまいました!そして、無事食事も終え、オーティス邸へ向かい、玄関で記念撮影し、最後の別れを惜しんだわけなのです。

この後、お茶目で元気だったオーティスとマサキさんとは来日公演の時、ブルーノート東京でお会いする事ができましたが、オーティスも元気ハツラツ!僕と戯れていたテンションそのもので、素晴らしいプレーをしていたのも皆さん御存知の通りなわけです。そしてこの時、オーティス達と撮った写真に僕から「BEST WISHES」とメッセージをお返しし、御夫妻に写真を渡す事ができました。

最後に、ただこの後、デイブの健康状態が悪くなっていたようで残念でなりませんが........。

そしてこうして、SWEET HOMEと感じる事ができたシカゴをこの上なく堪能できたのも、こんなちっぽけな僕に快く接してくれた皆さんのお陰と感謝し、皆さんのシカゴ、全米、全世界での御活躍をこれからも影ながら応援させていただきたいと思います。 2001/9
---------------------------------------------
グラ小椋 LIVE INFORMATION

 9/28 (金)   拝島 GIN HOUSE 今ブー(Dr)野中聡 (Ba) ナラキタカシ(G,Vo)
10/28 (日)  拝島 GIN HOUSE With STOMP (予定) 問 042-542-5612

11/1 (木) 東中野 KING BEE  With ローラーコースター 石川二三夫 KOTEZ 吾妻光良(予定)
11/11(日)  東中野 KING BEE  KING BEE'S SENDA LAST NIGHT! PARTY             
                          問 03-3371-6199

E-mail: aah78640@pop06.odn.ne.jp
グラ小椋
APPLE JAM [GURA NO YOMOYAMA BLUES]
http://www.pluto.dti.ne.jp/~bluesboy/reports/gura/gura.html