Cool Blues Talkin'



いよいよグラさんのお話はBLUES MONITORの
生い立ちに突入して参りました。お手元にCDがあ
りましたら是非それを聴きながらお読み下さいませ。
まだお持ちでない方がありましたら目指せ!apple Jam
です。(笑) ご本人自ら賞味期限切れのCDと仰ってます
が、聴けばそれが謙遜であることが判りますです。


Vol.11 「"BLUESMONITOR"の生い立ち(その1歩)」

相変わらず気まぐれながらの「ぐらのよもやまぶるうす」をぼちぼちと
お送りしておりますが、この度よりAppleJamさんからの御好意により、
文字だけでなくエピソードにもそい、ちらっとプライベートな写真も添えて
いただけるということになり、僕の顔を知らない人、また忘れてしもーた
わいという方々にもさらにお楽しみいただけるのではないかなぁと思っ
ております。
(バディ・ガイと)

さて今回は、このホームページの主でもある、天下のインターナショナル
なレコード店AppleJamさんが強力プッシュして下さる、僕自信の唯一の
アルバムでもある「BLUES MONITOR」にまつわるエピソードをよもやま
してみたいと思います。ただ、僕としては賞味期限切れのような気がして
お恥ずかしい限りなんですけどね。(笑)でもAppleJamさんとお買い上げ
頂いた皆さん達のためにも感謝の意を込めてお伝えすることにしてみよう
かと決意したわけです! ちなみにこのCDはお陰さまでほぼ完売状態、
AppleJamさんに数枚しか残っておりません。だって僕も1枚しか手元に
ないんだも〜ん。でも、とかいって当然のごとくレコード会社自信再プレス
のリスクを悟っているわけ何ですけどね。(笑)では、タイムスリップっ!

(今回話題になっているCD)

さてはまず、話せば長くなりますが96年の事。当時横浜に「Blues Cafe」
という中華料理を食べながらブルースライブをも味わうというコンセプトの
お店があった。御存知の方も多いとは思うがあのジョニーギターワトソンが
ステージ上で1曲目に衝撃的な死を迎えてしまった場所でもあり、そして
また僕にとってはアルバム製作の話が舞い込んできた場所でもあった。
そもそもこの店は中華の名門「平陳楼」が経営しており、さらにライブステ
ージのプロデュースを現在「ブルースターレコード」という自信のレーベルも
発足させている(株)ブラザー&シスターという会社が執り行っていた。

ちなみにこの会社の代表が某プロダクションからはじまり数々の大手レコ
ード会社のディレクターとして渡り歩いていたばりばりの大阪笑人、吉田
敏也さんというお方であり、さらに自信をスリーピーヨシノタと称すほどの
デルタブルースファンでもあり、とにかくオモロイおっさんだったわけです。
そんな中でこのBlues Cafeでは、外タレさんか国内の念入りミュージシャン
の先輩方のステージしか行われていなかったんですが、たまたま僕もこの
場に立つことになったわけです。それが当時ハイタイドハリスのバンドで
ベースを弾いていた五十川博司さんが仕切るライブで、直接御本人からの
依頼をお受けしたのですが、僕に連絡が来るまでの経緯が、ベテラン勢の
スケジュールが組めなかったためにこんな感じ...

まずローラーコースターの小出斉さんNG・シャイナライツの小安田憲司さん
NG・そしてケツの青いグラ小椋「はいやります!」はい決定という運びだった
わけです。(笑)ここである意味、小出さんや小安田さんのスケジュールが空
いていなかったことがCDにつながるわけでもあって...お二人にも感謝してま
した!結果、揃ったメンツが恵須川裕志(Vo)今出宏(Harp,Vo)小梶博司
(Sax)五十川博司(B)松本照夫(Dr)そして僕。ここでなんと偶然にもメンバ
ーの名前が「ヒロシ」ばっか。照夫さんも「俺も名前ヒロシにしようかナァ」と
思わず言ってしまうくらい。

(バディ・ガイ'ズ・レジェンドのハウスバンドとギグ)


後々、このセットは「S with BLUES HIRO'S」と吉田氏から命名され、他、
國分輝幸(P)正木五郎(Dr)レイニーズ加藤(B)スモーキンギターTAME(G)
さんらを交えながらも当時ほぼバンド化されお世話になりました。要は、この
セットの1発目のライブで御好評を頂き、僕が率いる「グラ小椋&フーズモニ
ターズ」もBlues Cafeのステージに上がるようになり、吉田氏とレコーディング
の話が煮詰まっていったと言うことがそもそもの原点なわけであります。

そして96年の確か12月。まずは目黒のレコーデイングスタジオで試し取りを
したんです。ちなみにフーズの全身バンド「クイーンビスケット」というブルース
バンドを組んでいた学生時代には、ラジオ出演のために東京FMのレコーディ
ングスタジオでレコーディングそのものは経験していて、東京FMでは各パート
のブースもありいわゆる最高の環境で経験をさせて頂いていたわけです。

ただ、一発取りで合図が命の僕らの演奏としては、ただでさえ小柄な今ブー
がドラムに隠れてしまうのにオープンなところにいる僕のさらに10メートル離れ
たブースにこもってしまっていて、おーい見えるか〜状態。なんとこの時は1日
で一気に20曲近く収録しました。ただこの日はスタジオ環境とは裏腹に僕と
ヴォーカルの宮地エミがインフルエンザで...おまけにメンバー全員大学の期末
試験の直前...そんな中、ゲストに呼んだピアノのヤンシーだけが気楽にお兄さ
んしてました。とまあ、比べてしまえば目黒のスタジオは普通のリハーサルス
タジオだったんですけどね。で、これまたスタジオがビルの5階だかで、え〜ん!
エレベーター無し。機材搬入にも一苦労でした。 

さて、この試し取り、吉田氏には狙いがあって、言うなれば僕達に下手さを認識
させるものであったんです。音もしょぼくされてね〜。でも、この時自分の歌が
下手すぎることにはまだ気付いていなかったような気がする。(爆)そして、翌年
97年2月からバンドは東名阪ツアーに出て、「今度CD持ってきまーす!」と
公約宣言するのでありました。また、このツアーを機にこの頃からアルバム製作
においても様々なコンセプトが見え始めて来ていたようにも思います。

E-mail: グラ小椋