Cool Blues Talkin'

ウッチーさんはきっと向こうの世界で元気なんだ!
と思うこの頃です。きっといつか会えるぞと。

今回はグラさんの「ブルースとはなんぞや」です。






Vol.10 「Worried My Life...」

今回のよもやまは前回までのアメリカのんき日記の引き続きをやめ、
記述してみたいと思いますが、今回は、悲しすぎる出来事もふまえ、
「ブルース」(本来は永井‘ホトケ’隆大先輩が表現を自らの著書でも
正してくれた『ブルーズ』)と言う、このたった一言の言葉が、この日本で
意味もわからず使われている事そのものを理解できるような今日この頃
だったりするよもやま話をしてみたいと思うわけであります。

まず、先日僕のブルースフレンドひっこしの堺こと堺剛さんから、悲しい
連絡を受けました。というのも、ベーシストのウッチ−こと内山幸彦さんが
4/14に亡くなった知らせでした。ウッチ−はやはり同じフィールドでも活躍
していたブルース仲間で、彼と初めて出会ったのがもう6年前になるだろうか、
場所は当時学生だった僕がアルバイトをしていた東中野のキングビー。 

その当時のウッチ−は長髪で髪を結わいて、僕の知り合いのブルースマン
とライブをし、ライブ終了後僕のところに「自分のバンドでもやりたいんだけど...」
と話しかけてきたことが知り合う切っ掛けだったわけなんですけど、そのバンド
が当時スワッピンブギーという武蔵大学のブルース研究会からなるバンドで、
デラブルースにも参加してくれたギターのマサ原谷君、ハーモニカの田中マウ
ント富士彦さんというメンツのバンドでした。



その後、僕の組んでいたフーズモニターズのドラムの今ブ−がフーズと平行して、
ウッチ−、マサ原谷、ヤス飯村、山田智といったメンバーでチビット88を結成して
活動していた関係もあり、ウッチ−とも親しくさせてもらいました。 ウッチ−は
東京の下町っ子で、そのキャラが周りにも気を使わせず、僕のかます大ボケにも、
鋭い突っ込みを入れてくれて、たまにしか会わぬ仲でも笑いが絶えませんでした。
今思うとウッチ−とは音楽やブルースの話をした憶えはいっさい無いんですね、
これが。 

生前のウッチ−と会ったのが、ちょうど1年前。連絡をくれた堺さんの
結婚パーティーの時でした。その後ウッチ−が病におかされ入院して
いた様子は仲間から聞いてはいましたが、この世を去ることになって
しまうとは想像もしていなかったのも事実で...。なにせ歳は僕より1つ
だけ上で今年30歳をを迎えたばかり。あまりにも残念でなりません。

最近の僕は出無精もあって、特にライブやイベント、パーティーなどでしか
久しく顔を合わせていなかった仲間達とも、ウッチ−の葬儀で顔を合わせ
ることになろうとは悲しい現実で、しかも、今の僕自信がウッチ−の死を
どう受け取ればいいのかも、ままならぬ福雑な心境に陥っています。 
どうかウッチ−安らかに...。

なお、内山幸彦さんの葬儀は4月14日、15日、埼玉県の谷塚斎場で
行われました。15日の告別式には僕は出向けませんでしたが、ウッチ
−の旧友マサ原谷君をはじめチビット88のバンドメンバーが出棺時に
演奏でお見送りをし、荼毘(だび)にふされたと今ブーからの報告を
受けております。 さて、気分次第の四方山話の今回は「ブルーズ」
というこの一語について妙に語りたい気がしてしまいました。 



そんな中で、この「ブルーズ」という一語について結論から、今のグラ的
感じ方があるとするならば、あえて「ブルーズ」と言う言葉に意味を求め
てはいけないと感じていたりもする...。 当然、ブルーズを演奏する端くれ
の僕としては、アフロの歴史的観点からもそこから生まれた音楽的観点
からも、そして今や音楽としてブルーズを表現しているアメリカ本土でも
臭いを嗅いできて、その場その場で理解して来たつもりではある。

でも、それって、あくまでブルーズを演奏するための一つの手段としてで
しかなかったことのようにも思うわけです。 確かに、「ブルーズ」って何?
とか、あなたにとって「ブルーズ」とは?なんて質問を受けた時には、
はにかみながらも答えてきたのは事実だけど、それは言葉にはできない
もののようにも思い、さらに今さらながらで鼻で笑われてしまうかも知れない
けれど、生きざまの中でハートで感じたことが全て「ブルーズ」なんだと。
これは単に音楽どうのと言うことではなくね。ましてや人種問題でもなく
宗教でもないと、少なくとも今はこう言いたいわけで...。毎日生活してて
感じることみたいなさ。

ただ、何だかこういうことって前からも感じてたことは事実なんだけど、
今なぜか、無理矢理でも今回この場で語りたくなっちゃってるのかも
知れないのも事実なわけです。

....それで、例えばある一面として、楽曲や映画のタイトルの語尾に
「ブルーズ」と言う言葉をあえて付け加えたくなることがあるする場合、
表現は違えど間違いなくそれがタイトルを付けたその人にとっての
「ブルーズ」なのではないだろうか、なんて事も同時に感じる。永井
ホトケ先輩にはお叱りを受けるかも知れないが(笑)簡単に言えば、
アムロちゃんの「SWEET19 BLUES」もきっと作者や歌い手にとっての
「ブルーズ」なんでしょうと寛大になる自分を感じていたりもするんです。


そして、特に日本では意味もわからぬまま「ブルーズ」と言う言葉が
氾濫しているかのようにも一見思えますが、そんなこの日本の御時世
そのものにも境遇する今の自分も感じるわけです。きっと僕自信そう
いった年頃になったのかも知れないですけどね。

ただ、僕自信きっと死ぬまで「ブルーズ」を感じずには生きていけない
ように思うのであります。 ちなみに『あなたは「ブルーズ」を何だと思い
ますか?』

今回は、ある意味ついつまらないさらけ話しをしてしまいましたが、
生きてく事においてもまだまだ僕自信ケツの青さを実感します。
なお、単純にブルースって何やねん?と言った疑問を解きたい方には、
永井ホトケ隆氏著書の「ブルーズパラダイス」(中央アート出版社)を
お勧めします。 ちなみに出版当時の3、4年前『TO OGURA〜旅の
バンドマンと空ゆく鳥はどこのいずこで果てるやら』と永井氏からメッ
セージを頂いておりましたが、歳を得るごとに身にしみていく次第で
あります...。

E-mail: aah78640@pop06.odn.ne.jp グラ小椋