Cool Blues Talkin'

いよいよグラさんの新コーナーがスタートしました。
ここでは日頃グラさんが「俺にも言わせろ〜」とか
実はみんなに自慢しかねてる裏話などをどど〜んと
語って頂きます。是非、是非ご愛読下さいませ。






Vol.1 For My Friend 〜 エルヴィン・ビショップ

Wrote---GURA OGURA

エルビンと出会った切っ掛けには大木トオルさんが関係していたので
まずは大木さんのことから書き出してみます。

ちょうど僕がフーズモニターズをやりだし頃、大木さんが日本での単発の
営業コンサートのメンバーを探していた時で、何度か仕事をもらいました。
その時期僕自信は、ある意味マニュアル通りのブルースライブで自分を
表現できるのかと自問自答したりもしてましたが、大木さんとの仕事では
いかに決められた小節で味を出せるか、という課題に取り組めたし、
だらだらとセッションではなく、いわゆるアメリカのショウビジネススタイルも
いい意味で感じました。 当時、今ブーはその辺を妥協できずに誘いを
断っていましたが(笑)。

そんなこんなんで、約3年前、大木さんが日本でツアーを行った時、バックが
ナイトホークスに付け加え、ゲストでエルビンビショップを招いていたんです。
で、僕は東京の会場に招待してもらえたので、今ブーと二人で応援にいきまして、
演奏前にナイトホークスの楽屋でエルビンを紹介してもらったんです。
エルビンは僕がギタリストだと知ると「使ってるギターはギブソンかフェンダーの
どっちだい?」とすぐ聞いてきたので、「今のメインは64年のギブソン345です」
って返したら、「オーッ!俺の楽屋に来てくれっ」って僕を引っ張って、楽屋で
「俺のギター弾いてみてくれっ!」って、エルビンの345を弾かせてもらいました。

しばしこのギターの話をして打ち解けたというか、なんとこの人はフレンドリーな
おっさんなんだと感動していました。それから、フーズモニターズのCDをエルビン
にプレゼントしたんですが、エルビンはジャケットを見るや否や「Oh! Just like a‘
BLUSE BREAKERS’!!」と叫びまして...僕はこの時、ポールバターフィールドブル
ースバンドじゃなくてごめんねという気になってしまいましたが(笑)。
そして彼は、選曲に目をとおし、「フェントンは亡くなってしまったね」なんてコメント
しながら一曲一曲歌を口ずさんでくれたりしました。それでなんと、「グラサ〜ン、
CDニサインシテクダサーイ!」と日本語でサインをお願いされてしまったんです!!
いや〜なんとも複雑な気持ちもして、今ブーに「普通逆だよな?」なんていいながら
サインさせてもらったんです。で、その時僕はエルビンにサインももらわずに別れて
しまったという、僕の中での珍事件の一つかなあ、なんて思っています。
でも、エルビンファンの知り合いからは、なんと恐れ多いことかとびっくりしてた
みたいですけどね。

そもそも、僕とエルビンとの会話が成立したことの理由に、奥さんが日系3世だと
いうことで、エルビンは片言の日本語が話せたんです。ちなみに彼は、サンフラン
シスコに住んでいて、普段は畑を耕しているそうです。それをステージ衣装でも
トレードマークにしてるんですよね。あのオーバーオールのことですけど。

ちなみに当時の僕は、といっても今もですが、全くと言っていい程ホワイトブルース
を特に聞いていませんでした。白人ではせいぜいアイドルとしてのエリッククラプトン
ぐらいで。とにかく黒人のフィーリングに没頭していましたが、エルビンのその日の
ステージを見て、白人も黒人も日本人もくそもないなあと心のそこから思えるほど、
彼は最高のパフォーマンスを披露してくれました!その辺のカテゴリーをブルース
マーケットに書いて送ってやろうかなと思ったくらいでした。

この辺りから僕がブルースに対するコンプレックスを徐々に変えていく旅が始まる
わけですが...。 それで、その1年後位に大木さんの30周年記念コンサートが
開かれた際、ゲストがベンEキング、チャー、そしてエルビンで、再び再開することに
なりました。エルビンは楽屋の前で立ちながら弁当を食べていて、僕が目の前に
あらわれると、食べてる御飯を口からこぼさんばかりで、二人とも大はしゃぎしました!
この日、スタッフが僕に気づかってポスターに出演者全員のサインをもらって、
後日渡してくれたのですが、唯一エルビンは『For My Friend GURA』と添えてくれた
のでありました....。

筆者:グラ小椋 (グラ小椋&THE DELA BLUES) 2000年9月29日

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