What's New index main mail to bluesboy ALL-Music Guide 名前(アルファベット)でプレイヤーの詳細を検索できる便利なサイト。

← BBC見出しページに戻る


20世紀ポップ・ロック大全集 フラワー・ロック編

NHKソフト・ウェア - ポニー・キャニオン PCVE-10771 ¥3.300(税抜) 1998年7月17日発売

収録アーティスト

ザ・バーズ、
カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、
グレイトフル・デッド、
ビッグ・ブラザー&ホルディング・カンパニー、
ビートルズ、ラヴィ・シャンカール、
ジェファースン・エアプレイン、
ピンク・フロイド、ママス&パパス、
フラワー・ポットメンジョニ・ミッチェル、
クロスビー、スティルス&ナッシュ他


'60年代のアメリカを振り返るとき、その時期発生した様々な現象を
ヴェトナム戦争という背景を抜きに語ることは出来ないと思うのですが、
こと、このフラワー現象は間違いなく、この戦争の与えた影響の直下にあったと思えます。
'50年代、人工的に人々に植え付けられようとしたアメリカン・ドリームの嘘が
見え透いてしまった時期に、ヴェトナム戦争は全く価値観の異なる世代を生み出した。

当時、合法だったマリワナ、LSD等のドラッグで得られる、束の間の開放感と
異次元体験が社会の歪みの中で窒息しかっかっていた人々を容易に巻き込
んだ経緯は、当然の成り行きだったのかも知れない。
すべてはラヴ&ピースの名の下に、自分自身の中に眠る未知の部分、
通常ふたをされているプリミティヴな部分の解放に喜びを見つけたとも思えます。
次に戦死するのは自分かも・・・
徴兵への恐怖の中でドラッグに救いを求めたとも受け取れます。

サンフランシスコという、アメリカの中でもとりわけ多人種、また
それ故の異文化がが混在している街で、ロック・ミュージックがそう
いった人々の心理面と連動して変化していったのは、当然の成り行き
なのだと思います。より根元的な精神の部分で共通の価値観を
探り当てようという行為は一体感と安らぎを求めての事だったに
違いない、と思えるのです。

そんな時代にその街で活動したグレイトフル・デッドや初期の
ザ・バーズ、確信犯的にセックスを唄ったグレイス・スリックの
ジェファースン・エア・プレイン等は当時のそういったシスコの
フラワー・ピープルの生き様を象徴していたのだと思います。

印象的だったのは、ピンクフロイド等に代表される英国の
サイケデリック・グループが米国のそういうグループに比較して、
より高度で複雑な音楽的表現手法に傾いていったのは、
ドラッグの実体験の乏しい英国のミュージシャンは、必然的に
想像の中でしかドラッグ・イメージを音にすることが出来ないので
より創造的な音世界を構築できたのだと、当時のピンク・フロイドの
マネージャーが語っていた部分でした。

また、当時シスコで発生したインド音楽ブームの渦中にあった
ラヴィ・シャンカールが当時を振り返って言うに、ドラッグのような
薬物によって、自由を求めたり、自己の表現手段を求めたりする
ような生き方はコンプリート・ロング(完璧な間違い)だときっぱり
発言していたことも見逃せない。

実はこの時代の音楽が大好きな私も、当時からドラッグには
懐疑的で、現実逃避にしか思えなかった。
その時代の渦中の人物のひとりがきっぱりとそう
語っている部分を観て、90年代も末の今、なんとなくほっと
した次第です。

'60年代にもし、あのヴェトナム戦争がなければ
ヒッピーもフラワー現象も、シスコの街に発生はしなかった。
いまでも そう感じてます。

また、ある現象が他の街や国へ飛び火して何かを引き起こす場合、
その街や国の置かれた必然性に基づいて、やや形を変えて
その現象が派生していくことは珍しいことではないと思います。

音楽についても然りで、結果的にはその街や国なりに
表現方法も享受の仕方も変化するという実例がこの
フラワー・ロック、フラワー・ムーヴメントという物ではなかったか。

このシリーズの基本的な制作姿勢はここでも貫かれており、
当時のムーヴメントの中で重要な位置にあった人たちが、
次々インタビューに答えて語る話がとても興味深かったです。

-b.b. Sep.28.1998