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足つぼママさんの闘病日記

発病以来30年。一日たりとて薬が抜けたことのない30年
何十回という入院生活。救急搬送。命の危機・・・
そんな闘病生活の中、多くを学び再び「つぶやきコーナー」再開

最先端医療協会・デトックス臨床研究所のU先生をして「驚愕の闘病生活」
尊敬する、喘息大学学長で金沢のS医師にして「奇跡の闘病者」
といわれる日々を振り返り・・・

ボチボチ、のんびりと・・・つぶやきはじめてみます☆
そのきっかけになったのが・・・“まあるいおはぎ”でした
*闘病体験など生々しい記述もありますがご勘弁!

2012.3.9NO9 “皮下気腫”
昨日大腸がんを患った知人に会いました。
がん細胞が大腸を破り激しい痛みで入院。そのときプチンと破れる感触があったとの事。
勿論DRはありえない!と言われたそうですが・・・私が皮下気腫になった時も「アッ破れた!」と言う感覚でした。膿一色の痰がありました。
以後、左背中の患部を父に押さえて貰いやっと咳が出来る状況。
喘息の重積発作真っ最中で排痰をしなくてはならず、辛い時間でした。
皮下気腫は交通事故の時に起こる事が多いようです。
皮下に空気が入るので押すとパチパチ・プチプチ音がします。
体中に貯まって風船のようになった後はゲップとしてその空気が抜けていきました。
空気が抜けて驚いたのは・・・立てないことです。
人は筋力がないと立つ事が出来ないことを知りました。
上半身の筋肉に力が入らないので何かにつかまらないと立てない!!
退院後暫くはハイハイをして移動していました。
その後も地震を感する他、マイナスの感情・怒り・憎しみ・悲しみ・嘆きなどの感情になると破れた箇所からひび割れガラスのように痛みがクモの素状に広がりました。鈍い痛みも伴いました。
迷走という表現があっているかもしれません。迷走神経の言葉など誰が作ったのでしょうか?

人の身体は不思議な物だと言う事を学びました。

2012.3.8NO8   “地震・地波”
大震災から1年がたとうとしています。
春近しとは言え東北の今はまだまだ寒いですね!
地震・津波で救われた命が、その後の生活環境などで失われた事実に心痛みます。
私は1983年に喘息の重責発作のおり、肺損傷があり全身皮下気腫に襲われました。
呼吸するごとに身体が膨らんでいく! それは肺をも圧迫し呼吸困難状態に・・・
なす術のない身を案じてDR方が病室を見舞ってくれる。
「先は無いな!」と思ったが・・・人の身体は素晴らしい!!
パンパンになった後は・・・ゲップでその空気が排出され命が救われた。
その後胸膜が硬くなったせいだろうか、地震のたびに激しい圧迫感に襲われる。
「あれっ!何だろう。苦しいな!と胸を押さえてしゃがみこむ」
苦しみの後に揺れが来るので予知には使えない(残念!)
忘れてき始めていた感覚が大震災で呼び起され神経過敏になった。
なまずや動物達が地波を感じる生体と同じになった感覚を理解できる人は居るだろうか?

2012.3.8NO7   “肺炎”
肺のCT検査の診断結果が出ました。
私が見ても解るほど上肺部にモヤモ・・・
白濁でもなく白点でもなく、細かい線が絡み合っているような感じで。
画像をスクロールしていくと此処彼処に・・・
不思議なのは、咳も痰も息切れも発熱も症状が無かった事!
無いから良しとしました。
現状レントゲンで影が無いので少し増やしたステロイド君が鎮めてくれたのでしょう!
感謝です。

2012.3.4NO6   “足つぼ再開”
NO5 書き込み直後にステロイドを下げた生活に耐えていた体が悲鳴を上げました。
両肩両足の激痛に襲われ始めました。体幹部で触っていたいと言う痛さではなくたとえようの無い症状でした。肩も足もチギリ取りたいほどの日々に耐えかね再びステロイド治療に入りました。
敗北感と自責の念にも囚われ、この頃は殆どウツ状態。
今まで一度も経験した事の無い不眠!入眠出来ない!
不眠症がこれほど辛いものとは知りませんでした。今まで母や患者さんに昼間眠気が来たら休めばいいじゃない。何処かで寝ているから大丈夫よ!とか・・・。
お休みしていた3年間に色々経験しました。
現在副腎機能が弱い為、ステロイドの少量服用をして日常生活を取り戻しました。
多くの方々のおかげです。感謝です。
還暦を迎えた、この生まれ年より再び足の現場に復帰しましたので、宜しく!

2009.2.24NO5   “足つぼと卵巣脳腫”
左の卵巣脳腫を2回経験しました
2回とも足つぼの反射区が異常に痛くて診察に行きました
勿論Drはそんな事を言っても信じませんし、逆に相手にしてもらえませんので私は前述
の如く自分がして頂きたい検査に進むべき訴えを致します
内診とエコー
卵巣の腫れが2回とも認められました

私は子宮全摘の手術時に右の卵巣も癒着で摘出していますので、加えて左のトラブルは
更年期障害の懸念があっての受診でした
特に辛い症状は足以外にはありませんでした
足と言うものは長い間関わっている中、本人の自覚症状以前に症状が反映されることを
多く体験していましたので確認の為の受診でもありました
結果は当然初期の腫れで様子観察
そこからは足つぼです

日々人には施術していましたが、せっせと自分の足を揉みました
次の検診の時には・・・消失・・・勿論足の痛みも無くなっていました
先生は水腫だったのでしょう!と・・・という事は循環を良くしたりして何しろ直せた訳です
2回目の時は足が痛くなくなった時点で再診はしませんでした

2009.2.22NO4   “足つぼと尿管結石”
足つぼが何千年もの間、途絶えることなく伝承されてきた事でその効果はうかがい
知れます
自分で揉み解す事よりやはり、揉んでもらった方がはるかに気持ちはいいです!
自分での施術は足を折らなくてはならないので伝わり方が弱いのかも知れません

同業の足つぼ師の方で、ご主人の腎結石を砕いた方がいます!
驚きですが、4つに砕けた証拠レントゲンで確認できたそうです
身体の病気は足に反映されますが、その時の反射区の痛さは通常ではありません
イスなら座っていられない、のけぞり両手が突っ張り大きな力が入ります
自分では加減してしまうので、治療となると人の手のほうが効果は有るカナと・・・
私自信は尿管結石を4回経験
そのうち2回は足つぼで排出・・・ただ場所を探し込むのに色々な先生の施しを受け
やっと場所の特定ができました
でも何しろそれはそれは「もの凄く痛〜い!!」のは事実

あとの2回は結石が大きく、尿管に詰まり破砕手術
1回はアナフィラキシー付・・・心停止の2日後内視レーザー手術にて粉砕

もう1回は炎症反応crpと言うのがあるのですが「38」(通常は0で40を超えると残念な
結果が多いとか)で尿管閉塞の為に細菌が全身に回った状態だったと思われます
その日の午前中は血液や心電図・レントゲンと入院準備の検査を済ませ入院予約を
済ませて帰宅
勿論痛みはある訳で・・・しかしながらベットが空いていない!
帰宅後からどんどん熱が出始め、40度!
夜中になるとDrに迷惑をかけるので夕刻に時間外受診
@6万の病室に緊急入院・・・命に関わるという事で即手術・・・夜中にも関わらず・・・
救急の時の対応ほど親身に感じ入ります
我慢して夜中に受診して手当が遅れていたら、やはり無き命であったかもしれません
午前中に受診予約をしているので普段でしたら我慢をしがちなところですが、身体が
悲鳴をあげていましたので、身体の声を信じて再診しました

上手な医者のかかり方!と言うのはテクニックではなく身体の声に応じてあるのでは
ないかと思います
多くの患者さん相手の診察で、全てを見取る事は安易な事ではありません
私達は上手に病状を伝えていかなくてはなりません
何度も自分がして頂きたい治療に進むべく、訴えをし続けた事もあります
医師・患者の両者で共に歩むところに改善への道が開けてくるのかと思っています
                    
       命を救うべき真夜中の手術に臨んで下さった先生方に感謝あるのみです。

2009.2.19 NO3   “アナフィラキシーT”  

H7の夏、私はアナフィラキシーで心停止に陥りました
アレルギーショックの最大級の症状です
ここでは、蜂とか食物ではない薬のアレルギーについての体験です
薬は抗生剤の点滴
闘病生活も15年目になり、身を護る色々な対処の仕方を身につけていました
しかし、その時の事を話せるようになるには多くの時間を要しました
一種のPTSDかも知れません

その日私は尿管結石の手術待ちで、痛み止めや抗生剤の入院治療を受けていました
前日の点滴で全身薬疹を出していた私に「今日は薬を変えましたからネ!」と・・・
点滴薬が身体に入るや否や私は???
すぐナースコール!婦長さんが飛び込んできました
「どうしたの?」
点滴をして数分も経過していませんが私は上手に話す事もままなりませんでした
回らないろれつで「体が動かない!足先から固まってきている感じ!」とだけ症状を
伝えられました
長いお付き合いの婦長さんは事態を察知
もしもの時の為に点滴を一番遅くして階下のDrの下へ・・・
「点滴を止めて!」と叫びたかったのですが・・・押し問答する時間を避けたかったので
あえてそれを言わず、婦長さんが部屋を出た途端自分で点滴を止め・・・
そこで意識が幕を下ろされたようにバタンと途切れたのでした

いま、思い出しつつ記していても手が震えてきます
その後も点滴には異常に恐怖を感じますし、細心の注意を払っています
このテーマを選んだのは闘病には“主治医は自分”と言う大事な一面が有る事
直感・機転・知識・・・などが命を救う事があるという事をアレルギーを持つ人に伝えられ
たらと思ったからです
事実Drが3階の私の元に来るまでの数分の間でも薬が入り続けていたなら・・・
今の私の命はなかったと思います
又、大きな病院でDr到着に時間がかかっていたら・・・幸いすぐの手当で助かりました

心臓が動き始め意識が戻った時、私はDrに向かって「先生胸が痛い!」と・・・
先生は「肋骨の2・3本折れているかも知れんな!」と笑っていました
隣には大学病院から派遣された若いDrが目を丸くして立ち尽くしていました
どれほど心臓マッサージをしていただいていたのか・・・感謝あるのみでした
長年付添いをしている方が私が救命室に運ばれる足をみて「真っ黒だった!」
「駄目だろう!」と言われたのを聴き、薬が毒に変じた時の恐ろしさを感じました 

                         護られた大きな力に感謝あるのみです。
2009.2.8 NO2    “足つぼとの出逢い”

私は発病当初、殆どの日を入院・自宅にいても寝たきりの生活を送っていました
そんな有る日、私の住む町に足つぼ治療院が出来ました
リマイスター主催の安部兄弟と足つぼチャートを製作もした高田氏が運営する店でした
それ以前に塩原温泉郷で足つぼの治療を受けた事があり、その効果の確かさは
経験済みでしたから、はまりました
寝たきりの生活から徐々に解放され、病人でありながらも人並み以上の生活が
送れる幸いに恵まれ、途中から患者から診る方へと変わりました

闘病生活30年。足つぼ生活も振り返れば20年を経過
今のように足つぼが流行ではない頃からの足へのアプローチは、振り返ると大きな
大きな財産になってくれていました

心臓の手術も受け、体調も良好になりつつあり
これからも、この足つぼと闘病で得た経験を活かして仕事が出来たらと思っています
                                     巡り逢いに感謝です。

2009.2.6 NO1  “まあるいおはぎ”

トコトコ・トコトコ・・・ウォーキングとは言えないお散歩
私の体力なりの歩・歩・歩
私のハートは、の〜んびり歩いても、すぐ140up/分の脈になる
そう、私は闘病中 ^^);

散歩の途中・・・
PATATA(パタータ)というお惣菜やさんの「まあるいおはぎ」
出逢った途端 可愛い!!と思いました 
少〜しウツ気味の心に、そよ風が吹き抜けた感じでホッとしました
肩の力がスーッと抜けた感じでした
本当に素直な感情でした!

つぶやきコーナーを再開したいと思ってはいても、書き出すきっかけが見つからず
いたずらに時を過ごしていました
「まあるいおはぎ」に出逢え・・・それだけを伝えれば良いんだ!と書き始めます

今日まで、見守り・励まし続けてくれた 皆さん! お待たせしました
病の戦さ人の“つぶやき” 開始しま〜す

「まあるいおはぎ」皆さんは見た事ありますか?
ほんとに、ほんとに まんまるなんですヨ!
ホッと肩の力が抜けて、ただただ 可愛い〜!! ・・・勿論美味しかった
  中野区江古田氷川神社の側にあります http://www.patata.co.jp/ 

これからお散歩のたびに、ひと品ひと品選んで楽しみます
散歩の楽しみが増えました

食べてみた〜い!!お惣菜が私を見つめて並んでいるんです
丸・・・不思議な力を持つ形に思えました・・・
                                  巡り逢いに感謝です。

   

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