熊本市中央区 立田山南麓古墳(上)
発掘調査
(2022年度)

徒 然 な る ま ま に


2022年9月13日(火) 27日目(最終日)

 実習調査の最終日。

 通常通り、朝8時半から、大学の考古学資料室にて、器材の洗浄と片付けを行いました。

 これまでにも、人的余裕があるときに洗えるものは洗っておいたので、けっこう順調に進んだように思います。
 でも、夕方5時頃までかかったかな、、、


 今年の実習調査ですが、なかなか人的に厳しいものがありました。

 3年生が3人、2年生が4人なのですが、調査の中心となるべき3年生のうち、全期間現場に参加できた学生さんは1人という非常事態。
 体調を崩したことが原因で調査序盤にほぼリタイヤとなる学生さんがいて、また、時々体調がすぐれず休みがちとなる学生さんもいて、最後まで残った1人の3年生は、本当に頑張ってくれたと思います。
 よくやったね、と心からの賛辞を送りたい気持ちです。

 また、その3年生を力強く支えてくれた2人の4年生にも感謝の気持ちで一杯です。
 授業の上では調査に参加する義務はありませんが、調査技術を鍛えたいと自らの意思で参加してくれた2人の4年生がいなかったら、ここまで順調に進まなかったと思います。

 そして、4人の2年生。
 発掘調査自体が初めての4人でしたが、持ち前の明るさで、現場の全日を乗り切ってくれました。
 彼らの明るい声、笑顔が、現場の雰囲気を良いものにしていたことは間違いありません。
 彼らの醸し出すやわらかなムードが、3・4年生たちを支えていたようにも思います。

 1日6〜7人、最大でも8人程度しか学生がいない、それも石室実測なんてしたことのない学生ばかりの現場でしたが、そのおかげで、私も相当学ばせてもらいましたし、鍛えられたように思います。
 どのように効率的に石室の実測を進めるのか。

 これまでにない試みとして、3次元データをフルに活用することとなりました。
 このデータ処理に関しては、2人の卒業生の力を借りました。
 彼らにも本当に感謝しています。

 数年先に還暦となる私ですが、こうして新たな技術を学ぶことの楽しさ、そしてそれを実際に活用することの課題を、あらためて強く実感した今回の実習調査でした。
 とくに、3次元データを活用する上での課題については、今後、ひろく伝えていかなければならないと感じています。


 さて、明日から、学生さんたちは、遅い夏休みとなります。
 2週間しかありませんが、十分に英気を養って欲しいと思います。



2022年9月12日(月) 26日目



 現場作業の最終日。

 玄室敷石のレベル入れ。それから、敷石上位と下位の判定。
 そして、落書きの写真撮影。

 これらの作業を午前11時頃に終えたあと、いよいよ玄室の埋め戻し作業に入りました。

 上の写真はその埋め戻しの様子。
 小土のう、購入した山砂による大土のう、川砂、そして掘削土。
 この順で埋め戻していったのですが、最後、若干、土が不足気味となったので、午後2時前、急遽、買いに走りました。
 大学でトラックを借りて、山砂業者さんへ。
 土のう40袋分。

 買った山砂を持って午後3時過ぎに現場に戻り、午後5時前、何とか何とか、調査前の状態にまで埋め戻しました。
 「旧状に復す」という条件での調査ですので、埋め戻し過ぎないように注意しましたが、でも、傾斜の大きな箇所の埋め戻し土が崩れるのを防ぐため、旧状よりも若干多めに埋め戻すことになりました。

 上写真の4段目左が埋め戻し終了後の様子、右が調査前の様子ですが、埋め戻し後の方が多めに埋まっていることがわかると思います。


 さて、これで、古墳の現地での作業はすべて終わりました。
 明日、大学にて器材の洗浄と片付け。
 これが終われば、今年の調査実習が終了します。
 あと1日。
 無事にすべてが終わることを願っています。



2022年9月11日(日) 25日目



 玄室床面実測のうち、壁体当りのラインや礫敷石材などの線引きは終わりました。
 残すは、礫敷面が確実に上位と下位に分かれるので、その判定を現地で行って図面に記録する作業、そして、礫のレベル入れです。

 玄室右側壁腰石に書かれた落書きについては、本日拓本を採りました。
 下2枚の写真のような状況ですが、「岡」「さる」「暦」などの文字が読み取れます。
 明日、将来の「ひかり拓本」のために、光の当て方を変えながら、写真を撮影する予定です。

 以上の玄室に関する作業ですが、あすの午前11時までに終えることが目標。
 そのあと、玄室の埋め戻しです。

 今日は、先行して、羨道から前室にかけての部分を埋め戻しました。
 学生4人と私の計5人で埋めたのですが、私はひさびさに大汗をかきました。
 1時間半ぐらいで埋まったかなあ、、、
 掘るのには時間がかかるのに、埋めるのは一気ですねと、学生さん。
 埋め戻しとはそんなものです。

 あと、午前11時から午後2時半にかけて、大学にて器材洗浄も行いました。
 ずっと調査区にかけていて、とても汚れていたブルーシートは、本日洗い終えました。


 いよいよ明日、現場作業のすべてを終える予定です。
 無事に走りきることができるよう心を配りたいと思います。



2022年9月10日(土) 24日目

 今日の写真はなし。
 なぜかバタバタしていて、撮り忘れました。

 今日は、古い友人が、現場見学に来てくれました。
 ひさびさに井ノ内稲荷塚古墳の調査をしていた頃の話にもなって、懐かしい時間を過ごしました。
 部下5人を引き連れていたので、上司としての友人の様子も垣間見た時間でもありました。


 さて、現場ですが、石室実測が淡々と行われています。
 今日で、石室側壁図が完成し、いよいよ残すは、玄室床面図のみとなりました。

 そのほかには、玄室腰石に書かれた落書きの拓本。
 おそらく、天井石の除去後、まだ埋まっていない開放状態にあった頃、すなわち、1955年調査後に書かれたものではないかと推測していますが、現代の石室の歴史を示すものとして、落書きの記録もきちんと取っておきたいと思っています。

 クラウドファンディングの開始が予定されている「ひかり拓本」のアプリが完成することを期待して、それに対応できるような写真も撮影しておきたいと思います。


 明日、玄室だけを残して、朝から羨道と前室を埋め戻す予定です。
 その埋め戻しが終了次第、ブルーシートなどちょっと面倒なものの洗浄も実施する予定です。

 いよいよ終了が近づいてきました。



2022年9月9日(金) 23日目



 今日も、石室の実測。
 淡々と、、、

 今日は、石室右側壁と左側壁の実測で、それぞれ南北に分けて左右2人ずつ、計4人での実測となりました。

 それ以外の人は、撤収に向けての作業。
 まずは、現場に置いている器材を整理し、今後使いそうにない器材を大学に持ち帰りました。
 そして、水道蛇口から考古学資料室前の車寄せまでホースを延ばして、洗浄作業。
 昼前から夕方まで行ってもらって、今日持ち帰った器材の洗浄はすべて終了しました。

 午後には、追加の山砂の購入も行いました。
 大学公用車のトラックを借りて、山砂業者まで行き、土のう袋30個分。
 これで十分に埋まりきることを祈ります。

 そんなこんなで、私は、現場と大学と山砂業者のあいだを幾度か行ったり来たり。
 車を運転している時間の長い一日となりました。

 上記でわかるように、現場もいよいよ終わりが近づいています。

 玄室床面にある上位の大礫敷の性格が不明のままで、下位の小礫敷を全面に出すまでには至っていませんが、今回はここで埋め戻しをする予定です。
 うまく進めば、明日の午後から埋め始めるかもしれません。


 ところで、現場とは関係のないことなのですが、教務関係や入試関係、留学生関係の連絡が次々と舞い込む1日でした。
 いよいよ、後学期に向けて頭を切り替えるときが近づいていることを実感する今日となりました。

 ちょっと慌ただしくなってきました、、、
 気持ちが落ち着きませんね、、、



2022年9月8日(木) 22日目



 石室実測、淡々と進んでいます(左写真)。
 私は、おかしなところを指摘しつつ、進行を見守っています。

 ただ、今日は、土層名をつける必要があったので、それは私が行いました。

 あとは、土のうを作ったり(右写真)、器材を大学に取りに帰ったり、、、
 現場で下図のトレースができるよう、ポータブル電源とライトボックスを持ち込みました。


 今日は少々お疲れ気味です。
 暑さにやられたか、少しの頭痛と眠気、、、

 今日は、早めに休みたいと思います。



2022年9月7日(水) 21日目



 現場再開。
 石室実測開始。

 昨日の午後、3次元オルソ画像を用いて、かなりの準備をしておいたおかげか、思いのほかスムーズに進んだように思います。
 実測が初めての2年生も含め、皆、淡々と書いてくれています。

 でも、今、午後7時半で、大学の資料室にて今日の実測図のチェックをさせていますが、一つ一つの石の区別がなされていない箇所など、他人には読み取れない線を書いているものもあって、明日、現場できちんと確認させないといけません。

 ところで、今日の昼休み、キャンパスミュージアム推進室の新里さんと「とっぺん」の村上さんが現場に来てくれて、3次元レーザー計測をしてくれました。
 キャンパスミュージアム推進室にFAROが導入されたので、その使い方のテストをかねたレーザー計測です。
 私が作ったMetashapeによる3次元データとの比較などができれば、と思っています。

 その際、「とっぺん」の村上さんには、昨日までよくわかっていなかった断面線の処理の仕方や「当りのライン」の描き方などを教えてもらいました。
 おおよそ理解できましたが、やはり、自分でやってみる必要がありますね。
 この調査をすべて終えたあと、少し時間をとって、試してみたいと思います。

 でも、自分でできるかなあ、、、
 あらためて村上さんにご教示いただくときがありそうです。



2022年9月6日(火) 20日目

 台風11号が過ぎ去った今日の午後、作業を再開しました。

 といっても現地作業ではなく、大学の考古学資料室にて、昨日に作り上げた実測用の下図をトレースすることによって、判断できる限りの線をマイラー方眼紙に写し取ってもらいました。

 簡単にできるかなあと思っていましたが、なかなか苦労している様子。
 石室図を書いたことがない学生さんばかりなので、完成図がイメージできないのでしょう。

 写真に写っている細かなデコボコをあまりに拾いすぎてトレンチ線がガタガタになっていたり、どれが1つの石なのか写真では判断が難しい場合があるので、おそらく異なる石材なのに1つの輪郭線となっていたり、、、
 また、あまり細かく線を拾うなと伝えたら、それを変に解釈して、石材の輪郭線から明らかにずれているのに、それで良しとしている場合があったり、、、

 う〜ん、、、もっと、もっと、いろいろなものを書かせないといけませんねえ、、、
 自分の実力の程度を知るために、他流試合も必要ですねえ、、、

 また、オルソ画像があれば、それをもとに完全な実測図が描けると考えるのも間違いですねえ、、、
 現場で確認しなければならない箇所がさまざまにあることは事実ですから、、、
 それから、昨日の日誌にも書きましたが、石室床面図の輪郭線。つまり、「当りのライン」は、私が作成したオルソ画像からは書くことができないので、現場での計測が必要です(何か方法があるのかな?)。

 オルソ画像があれば図面は不要というわけでは決してない。
 図面には、人の解釈が加わるからこその意味があると思います。

 そんなことを考えた、今日の午後でした。



2022年9月5日(月) 19日目



 昨日・今日の休みを利用して、これら写真のような、石室実測のための下図となる10分の1割付図を、何とか仕上げました。

 でも、まだよく分かっていないことが2つあります。

 1つは断面ラインの処理の仕方。
 上写真は、中軸ラインで切って右側壁を見通したものですが、断面ラインがどこなのか、とても分かりにくいものとなっています。
 というのは、中軸ラインで切った外側すべてが、きれいに抜けてくれるといいのですが、でも、本来では見えないはずの、裏面から見た画像が貼り込まれてしまっているのです。
 説明が難しいのですが、この写真で白く抜けているところが断面線ではない、ということです。
 これに対処するため、中軸ラインの位置で幅1cmのみの画像を抽出して、断面ラインのみの画像も作成しました。
 この断面ラインのみの画像をまずトレースし、そのうえで、壁体図の画像をトレースすれば、断面の背後に写っている画像は除くことができます。
 ひとまず、この方法でやってみたいと思います。

 もう1つ、絶対的に分からないのは、石室床面の輪郭線を3次元データからどのように描くのか、という点です。
 石室床面の輪郭線は、壁体石材と地面とが接したところを拾っていくことで描かれるのですが(私は「当りのライン」という言葉を使ったりします)、これは、3次元データからどのように抽出できるのでしょうか?
 壁体石材と地面とが接する位置は決して一定のレベルではないので、当りのラインは水平レベルで切ったラインとはなりません。
 そのような、一定の水平レベルをなさない床面の輪郭線は、はたして、3次元データから描けるのでしょうか?
 これについては、まったく分からないので、現場で手測りにて、「当りのライン」を描く予定です。

 これら2点については、3次元計測を依頼したことのある「とっぺん」さんなんかに、聞いてみたいと思います。

 とはいえ、こうした不明な点があるのは確かですが、でも、オルソ画像の威力は、おそらく絶大です。
 コンベックスで計測する手間がほとんど省けるのですから、、、

 しかも、今回の現場のように、実測をほとんど経験したことがない学生さんばかり、くわえて時間もそれほど残されていないときには、きわめて有効な方法だと思います。

 でも、現場での割り付け手法はきちんと教えたいと思います。
 それが基本ですから。
 また、今回の場合、少なくとも、平面割り付けを実施しないと、石室床面の「当りのライン」を描くことができませんので。


 さて、台風11号が過ぎ去った明日の午後には、作業を再開する予定です。



2022年9月4日(日) 18日目

 台風11号接近。
 それから、3次元データの処理時間の確保。
 主として、この2つの理由により、今日と明日は現場作業を休みとしました。

 今日は1日中、晴れていたので、ちょっともったいなかったかなあ、、、と思う気持ちもなきにしもあらずでしたが、3年ぶりの九前研大会にリモートでつなぎながら、石室実測のための平面オルソ画像、石室壁面オルソ画像などの10分の1割り付け作業を行っていました。

 平面オルソ画像への基準線記入は、QGISを使えば簡単にできることが分かったのですが、石室壁面オルソ画像の割り付けには少々苦労しました。
 CloudCompareで書き出した画像をイラレで割り付けるという方法で行ったのですが、もっと簡単な方法はないのでしょうか?
 機会があれば、詳しい人に聞いてみたいと思います。

 でも、今日1日頑張ったおかげで、明日には、石室実測のための下図がすべてできそうです。
 それにしても、現場に出ているよりも疲れました。



2022年9月3日(土) 17日目



 今日は、なんといっても、現地説明会(上左写真)。
 2年前の2020年、コロナ禍での現説の実施を模索していたとき、YoutubeによるLive配信の利用を思いつきました。
 そのときと同じ方法で、今日の現説も実施しました。
 以下が、動画のリンクです。
 https://youtu.be/26Sa7nvTIag

 2年前は音声が十分に拾えておらず、また画角がせまかったようなので、Webカメラを新調。
 どの程度のクリアさで、画像と音声が皆様に伝わったでしょうか、、、

 説明役の2人の学生さん、よく準備していたようで、なかなか説明がスムーズでした。
 なかなかやるじゃないの!、とうれしく思いました。

 でも、パソコンを持ってのカメラワークは、なかなか難しいものがあるようです。
 それを担当した学生さん、少々苦労していたようでした。
 カメラが揺れたり、パーンが早かったり、画面が斜めになっていたりなどしましたが、学生手作りの現説だということで、大目にみていただけると幸いです。


 今日は、降ったりやんだり。
 現説の実施中は幸いにしてやんでいましたが、それ以外の時間は雨の心配をしながらの作業となりました。

 こうした天気になることは予想されていましたし、なにより現説までの時間にやってもらうことがそれほど多くなかったので、来週に予定していた山砂購入を、今日、前倒しで実施することにしました。
 昨日の夜からつらつら考えていたのですが、朝、山砂業者さんに電話し、即実行。

 調査現場にトラックで運び込めなさそうだったので、学生さん3人を山砂業者のところに送り込み、土のうに山砂をつめる作業をしてもらいました。
 そして、軽バンで3往復。
 土のう袋50個、約1立米の山砂を、埋め戻しのために準備することができました(下左写真)。


 そうそう、しばらく体調不良で休んでいた学生さんが今日の午後から復帰。
 元気に話す姿に、ホッとしました。
 現説後の集合写真(上右写真)、全員で撮ることができて、これもよかったと思います。


 ところで、台風11号と、それに刺激された前線による雨。また、3次元データを解析し、石室実測に用いる画像を作るための時間も確保したかったことから、明日・明後日、連休とすることに決めました。
 現場では、台風11号に備え、とても厳重にシートをかけています(下右写真)。

 もしかすると、明明後日も休みにせざるを得ないかもしれませんが、学生さんにはしっかりと休んで、現場再開後の石室実測に備えて欲しいと願っています。



2022年9月2日(金) 16日目



 午前中、本当に幸運なことに、曇っていました。
 その間を利用して、30カットくらいの写真撮影。

 何とかかんとか、写真撮影という1つのヤマ場を越えました。
 でも、先ほど、今日の撮影写真を見直していましたが、1カットだけ、取り直しが必要なようです。
 撮っているときは不覚にも気付かなかったけれど、人が写り込んでいました、、、
 とはいえ、それ以外はOKかな。

 そのあと、本番SfMのための写真撮影。
 ドローンとコンデジで667枚。
 現場で仮解析したところ、すべての写真のアラインメントに成功し、本当にホッとしました。

 今、自宅ですが、本解析中。
 となりで解析用のパソコンがうなっています。

 今回の現場では、3次元データから作った画像を実測作業の補助に用いるつもりなのですが、あとどのくらいの時間で、すべての画像が完成するのでしょうか。
 私の時間がまったく足りません、、、
 明日の日中も、現場にバッテリーを持ち込んで、解析および画像作成を続けるつもりです。

 ところで、明日の午後1時30分から、YouTubeのLive配信による現地説明会を実施する予定です。
 今日の夕方、画像と音声がきちんと届くのか試しましたが、何とかなりそうです。
 説明担当の学生さんも、今日見学に来て下さった熊本県職員の方を相手に予行演習をしていました。

 うまくいくことを祈っています。


 それにしても、明後日の日曜日から火曜日まで雨の予報。
 台風11号の影響も心配です。
 明日の帰り際、しっかりと対策をしないといけません。

 九前研に顔を出せるかな?



2022年9月1日(木) 15日目

 朝、降雨。
 昼頃にいったんあがりそうだけれど、午後のうちにまた雨が降る予報だったので、今日の現場作業は休みにしました。

 お昼前後に晴れ間ものぞいたので、現場をできたかなあと思うところもあったのですが、それ以上に、3次元データでの石室展開図の作り方のおおよそが分かるまでCloudCompareの操作を試すことができました。
 今後の実測に向けては、今日の休日はとても有意義なものになったと思います。

 学生の実測力を鍛えることと、仕事の効率化とは、相反するもののように思いますが、今回ばかりは、効率を優先すべきかもしれません。

 写真解析から展開図の作成まで、約1日与えてもらえれば、完成させることができると思います。
 3次元データ解析のために、1日、使うかもしれません。
 その間、学生さんたちには、埋戻しに備えて、土嚢でも作ってもらおうかな、、、
 それとも不要な器材の洗浄を先行させるか、、、
 その辺、考えたいと思います。

 今日はそのほかに、山砂を購入する業者を訪ね、どのように運ぶのかの相談をしたり、また、明後日の現説に備えて、学生さんたちの説明原稿を確認したりするなど、とても忙しく過ごしました。

 明日は、雨が降らないことを願っています。



2022年8月31日(水) 14日目



 本日は、明日の写真撮影に備えて、羨道床面の礫敷未検出箇所の検討以外、壁体や礫敷の石材洗浄など、石室内の全面清掃を行いました。

 また、写真撮影の準備として、三脚の設置位置を考えたり、ドローンを飛ばしてアングルを確認したり。
 一部、三脚が立たない箇所があって、そこは手持ちで撮る覚悟です。

 とても強い台風11号が沖縄周辺で迷走していて、その刺激を受けて、明日から天気が崩れるとの予報が出ています。

 少なくとも、明日の1日、何とか天気がもって欲しいと願っています。


 そうそう、散歩なさっているご近所の方からの情報では、小学生の頃、戦後、昭和20年代だと思われますが、その頃、石室には天井がきちんとあって、なかに入るのが怖かったとのことです。
 昭和30年(1955年)調査時作成の石室図には天井が描かれていませんので、おそらく、この古墳が認識されるきっかけとなった公園道路建設時に、石室上半が破壊されたのではないでしょうか。
 こうした石室の現代史が明らかになるのも、興味深い成果です。



2022年8月30日(火) 13日目



 今、午後6時20分過ぎ。
 いつもより1時間ほども早く、この調査日誌に取りかかることができています。

 というのも、今日のおもな作業は、玄室床面直上埋土の除去のほか、羨道床面に敷かれた礫の検出、壁体石材洗浄、フルイがけなので、難しい確認事項がなく、資料室ミーティングもかなり早く終わったのです。
 天候が許せば、明日に全面清掃、明後日に全景写真撮影と進む予定です。

 さて、玄室のボコボコした大礫面ですが、その下層に小礫によるもう1つの面があるようです。
 下2枚の写真を見ればそのことがよくわかりますが、石室に伴う本来の床面は下層の小礫面である可能性があります。

 とすれば、苦労して検出した上層の大礫面の性格が問題となります。
 この大礫面を構成する礫の下、下層の小礫面に乗る状態で、板状の炭化物が検出されているので、大礫面は後世に形成されたものである可能性も考えられます。
 あるいは、床面の造り替えなのでしょうか?

 よくわからないのですが、ほぼ面をなす状態で大礫が検出されているので、ひとまず、ここで記録作業をしなければなりません。

 時間が許せば、大礫面を断ち割って下層の小礫面の様子を探りたいとは思いますが、ちょっと時間切れになるかもしれません。
 また、断ち割り作業は大礫面を大きく破壊することにもなるので、今回は、ここで検出作業を停止することも考えています。

 明日からの天候、そして学生たちの図化作業の進み具合も念頭に置きながら判断したいと思います。

 ところで、玄室右側壁の奥壁側腰石の上位に現代の落書きがあることに気付きました。
 上右の写真ですが、「岡」という文字ははっきりと読み取れます。
 また、玄室大礫直上の埋土をフルイにかけているのですが、BB弾がよく検出されます。

 こうしたことから、1955年にこの石室が調査されて以後、しばらくの間は石室に入ることができる状態であったこと、つまり、1955年調査後に埋め戻されていないことは確実だと思います。
 埋め戻されていなかったので、壁体の石材が多く落下し、また、玄門袖石が動いたりしたのではないでしょうか。

 そうした、この67年間における石室変遷の一端もうかがうことができるのは、興味深いことです。
 この点も、うまく報告書に盛り込むことができればと思っています。



2022年8月29日(月) 12日目



 体調不良者が多く、今日は実習調査の中心となる3年生が1人だけとなり、なかなかの非常事態です。
 でも、参加してくれている4年生の力を借りながら、そして4人の2年生がとても頑張ってくれています。
 私も、時間を見つけては、土運びやフルイがけなどを行っています。

 さて、今日も、昨日に引き続いて、石室の床面検出がメインの作業でした。

 羨道の左側壁(羨道から玄室をみた方向)の石積みが失われている箇所の土層解釈が難しく、途中、学生さんからバトンタッチして検討しましたが、なかなか合理的な解釈に至りませんでした。
 何とか、説明のつくかたちにはしましたが、はたしてこれが正しいかどうか?

 時間があれば、左側壁側を拡張して調査したいところです。
 でも、時間的に無理なので、報告では、解釈に迷ったことを正直に書くしかないでしょう。
 きわめて複雑な記述になるので、学生さんに書けるかどうかとても心配なのですが、でも、任せるしかありません。

 ところで、石室の石積みですが、1955年の調査以後にかなり動いているようです。
 ちょっと信じがたいことなのですが、玄門の右袖石が割れて動いていることは確実だと思います。
 その割れた袖石と玄室床面に敷かれた礫のあいだに現代の網籠が挟まれていて、除去することができません。
 右の写真のような状況なのですが、これはこれで重要な所見なので、網籠はそのままにしておこうと思っています。

 また、玄室床面の礫敷直上に、やや大きな焼けた板材があって、これも性格が不明です。

 そんなこんなで、1955年の調査以降、この石室で何が行われたのか?、また67年間の埋没過程で何が起こったのか?、そんなことにとても頭を悩ましながら、調査を進めています。


 台風11号が接近中。
 今後の天候がとても心配です。
 いよいよ、3次元データに頼らなければならなくなるかもしれません。



2022年8月28日(日) 11日目



 日曜日。快晴。
 カラッとした晴天で、秋を感じさせる空気でした。

 さて、今日の午後、しばらく体調不良で休んでいた学生さんが復帰してくれました。
 うれしかったなあ、、、

 これ、今日の最大の出来事なので、日誌はこのくらいにしてもいいのですが、少しだけ、、、

 といっても、石室調査区では、玄室でも前室でも、そして羨道でも、床面の検出作業を着実に進めているのみなので、昨日とそれほど変わりはありません。
 実測に向けての割り付け作業を開始したことが、今日の特筆すべきことでしょうか。
 オーソドックスに、トータルステーションを使って、石室調査区全体を覆う50cmのメッシュを組みました。

 トータルステーションを10回程度立て替えましたが、すべて、学生さんが素早くこなしてくれました。
 今日担当した学生さんは、おそらくコツをつかんだことだと思います。
 立てるときの動作をみていて、そう感じた次第。


 実習調査ですから、こんなオーソドックスな割り付けも行っているのですが、昨夜、嘉島町・橋口さんの教えにしたがって平面オルソ画像にQGISでメッシュを切る作業を行った結果、バッチリ、うまくいきました。
 以前失敗した原因は、
 @Metashapeでオルソモザイクを構築する際に余計な設定を行っていたこと、
 AQGISの最初の座標系の設定に失敗していたこと、
 おそらくこの2点であったと思われます。

 今日の資料室ミーティングで、メッシュを切った平面オルソ画像を皆にみせたのですが、来年、文化財行政職に就く予定の学生さんは、「これは時間の短縮になりますねえ」と心を動かされた様子。
 時間の限られた調査現場では、本当に有効な手法だと思います。
 手測りの実測に比べて、正確であることも有利な点です。

 考古学者が一気に飛びつく気持ちもわかるような気がします。
 でも、電子データで記録したことに満足して、自分の目で観察することを怠るようなことになれば、本末転倒のように思います。
 人間の能力がますます減退していくような、、、

 とくに大学教育においては、うまく使い分けないといけないと感じています。



2022年8月27日(土) 10日目



 土曜日ということで、千客万来。
 8名の卒業生たちが見学に来てくれました。

 2年前、2020年の夏に3年生だった6名。
 彼ら彼女らは、この立田山南麓古墳(上)で初めて実習調査したときの主要メンバー。

 それから、西原村、嘉島町でそれぞれ文化財専門職として頑張っている2名。

 こうして卒業生たちが激励に来てくれるのは、本当にうれしいものです。
 ありがとう。


 さて、現場では、淡々と石室床面の検出作業が続いています。

 玄室では、安山岩の割石が何層にも重なっているようで、これ、本当に床なの?、と思うくらい、表面がガタガタしていて平坦ではありません。
 でも、1955年調査時にはこれを床としているので、ひとまずここで止めて、全面の礫を出す予定です。

 羨道では、本来あった羨道左側壁の前門近くから、須恵器片が検出されました(右の写真)。
 あとは、羨道左側壁が失われた原因となった攪乱の痕跡がないかどうか、慎重に検討する必要があります。


 今日、嘉島町の橋口さんが現場にわざわざ来て下さり、SfMでの解析手順の指南をして下さいました。
 今、大学の資料室なのですが、帰宅後、早速、教えを受けた手順で、試してみたいと思います。
 うまくいくか?

 ということで、今日の日誌もこのくらいで、、、



2022年8月26日(金) 9日目



 休養日明け。
 みんな元気いっぱい??

 玄室では奥壁・左側壁コーナー部について、まだ十分に上層の埋土を取り切れていなかったので、そこを処理したあと、礫敷面の検出作業に移行しました。
 玄室床面を1mメッシュの4つの区画に分け、礫敷面直上に乗る埋土を慎重に除去しながら、礫を出していく作業。
 1955年調査時に見逃した遺物があるかもしれないので、ここからの廃土はすべてフルイにかける予定です。

 前室では、淡々と礫敷面の検出作業。
 ここを担当している2年生が器用なのか、かなりきれいに礫敷面が出てきています(左の写真)。
 若干、1955調査時の図面とは残存する礫敷の範囲が異なるようです。

 羨道では、残存する側壁の長さを確定すべく、調査区を南へ拡張
 2度の拡張により、残っている側壁石材のすべてが顔をのぞかせたように思います(右の写真)。
 明日以降、床面の精査に移ります。

 そんなこんなで、大きく掘り下げる場面はほぼ終わり、明日からは、すべての場所で床面の検出作業となります。

 そろそろ、実測に向けた準備も始めないといけません。
 フルイもしないといけないし、人手が足りないなあ、、、

 私はといえば、今日のこれから、平面オルソ画像割り付けのテストを行う予定です。
 3次元データの解析、、、すべて私の手にかかってきていて、こちらも絶対的に人手が足りません、、、

 今日の日誌はこれくらいで。



2022年8月25日(木) 8日目



 今日は、完全休養日。
 カラッと晴れた絶好の発掘調査日和でしたが、皆の疲れが癒えることを最優先しました。

 そんな休養日でしたが、私はかなり忙しかった、、、
 返信できていなかったメールの処理はもちろん、レポートの採点も残っていたので、午前中はそれらに専念。

 午後、嘉島町の橋口さんに教えられながら、平面オルソ画像に方眼を記入する方法について学びました。
 その試行錯誤のあとが、上の2枚の写真。

 おおよそ、手順は理解できましたが、肝心の方眼に若干の誤差が生じています。
 左右(東西)方向はほぼ正確なのですが、上下(南北)方向が約20p広がっています。

 理由はよく分かりませんが、明日、標定点の座標と標高を確認するところから始めたいと思います。


 今日、1日、完全休養日としたおかげで、石室残存状況上面図の実測が終わらないのではないか、という心配が少し和らいだような、そんな気持ちがしています。



2022年8月24日(水) 7日目



 午前9時頃から約30分で、玄室に転落していた巨大な石材が2個、無事取り上がりました(上左の写真)。
 私の無理な注文に応えて下さった岩下樹木園さんには本当に感謝です。

 そのあと、玄室では転落石に邪魔されて作業できなかった箇所(2区)に堆積した埋土の除去作業(上右の写真)。
 前室(従来の羨道)では、床面の検出作業(下左の写真)。
 羨道(今回検出)でも、床面の検出作業(下右の写真)。

 玄室での埋土除去作業は、それほど難しくないので、終始学生さんに任せました。
 一方、前室と羨道の床面検出作業は、まだ、発掘調査が初めての学生さんにとってはすごく難しいはずですし、そもそも任せること自体が無茶であるとは思うのですが、まずは2年生の2人に任せました。
 そして、しばらく様子をみていました。

 なかなか掘り進みません。
 それはそうです。
 掘りすぎてはいけないと、こわごわ掘っていますから、、、
 また、各所に拳大の礫がパラパラ出てくるので、それがはたして床面の敷石に当るのかどうか、私でもその判断は難しいのですから、発掘調査が初めての学生さんに判断せよというのは、そもそも無理な注文というものです。

 ですので、まず、昼前、羨道部分に私が入り、ほぼ床面近くに達するまで、大スコも使って掘り下げました。
 根拠は、羨道右側壁に遺存している1列2段の石積み(下右の写真)。
 昼時間までには、おおよそ床面に近いところまで掘り下げることができました。

 で、前室。
 ここは、1955年調査において敷石が検出されているのでそれを目指して掘り下げればいいのですが、上でも書いたようにパラパラと礫が検出されるので、そこでいちいち掘り下げが停止して、遅々とした進みとなっていました。
 見学に来て下さった嘉島町橋口さん、古城さんの案内を終えた午後3時半頃から、ここにも私が入り、床面位置の検討を行いました。
 そして、密となった礫面を確認することができました。

 前室と羨道。
 私にとっては、床面はほぼここだろうとの一定の見解を得ています。
 あとは、どれだけ的確に学生さんたちが検出してくれるかです。


 ところで、今日の人員、午前のみの学生さんもいたのですが、午後になると、学生5人のみとなりました。
 体調を崩す学生さんが多くなってきていて、やっぱり休みが必要だと判断しました。

 明日、晴れであっても、1日、現場を休みとします。
 英気を養って、明後日の金曜日、皆が元気な顔を見せてくれることを祈っています。



2022年8月23日(火) 6日目



 玄室では、巨大な転落石が2つあり、今日、それらの輪郭をほぼ出し終えました。
 明日、造園業者さんに頼んで、取り上げていただく予定です。

 羨道、というか前室の可能性が高くなってきたと思いますが、そこでは床面の検出作業を行っています。
 1955年調査時の報告では「小石を敷きならべていた」とされているので、それを目安に掘り下げてもらっていますが、なかなかここという決定打がなく、苦労しています。

 また、これまで羨門とされてきた箇所よりも外側で、羨道壁面と面をそろえるかたちで新たな石材が検出されていて、しかもその石材には人為的な加工の痕跡が認められ、ここが真の羨道ではないか、するとこれまで羨道とされてきた部分は前室になるのではないか、との見解が浮上しています。

 いまは、玄室よりも羨道(前室?)の方が解釈の難しい局面に来ています。

 玄室は、明日、巨大転落石が取り上がってからの勝負となります。


 ところで、調査終了時、学生たちが器材を片付けている合間に、コンデジでSfM用の調査区写真を撮りました。
 手持ちでパチパチと91枚。

 資料室ミーティングで解析してみると、かなり鮮明な3次元モデルが出来上がりました。

 これ、日々の調査進捗状況の記録として、最適ですね。
 あらためて、SfMの有用性を感じた夜でした。

 明日から、毎日、調査終了時にSfM用写真を撮るように心がけるつもりです。
 (でも、3次元モデルをどのようにしてjpg画像に落とすのか、いまいちよくわからず、日誌にアップできませんでした。)



2022年8月22日(月) 5日目



 石室実測のうち壁面図や床面図は何とかなるだろうけれど、上面からの残存状態平面図には、学生たち苦労するだろうなあ、、、と、昨日、かなり心配になっていたのですが、昨夜、帰宅後考えていて、やっぱりSfMを試してみるべきだろうとの考えに至りました。

 石室壁面や床面など、石室そのものは、手実測を基本としますが、それ以外に、SfMはもちろん、熊大キャンパスミュージアム推進室が購入したレーザー測量機器での計測も当初から予定していました。
 とはいえ、SfMのオルソ画像から図を起こすことは考えていませんでした。

 でも、上面図については、割り付けが相当の手間で、また実測時の計測にも苦労しますから、時間に余裕がない場合、こちらについてはSfMによる平面オルソ画像から図を起こすこともありなのではないか、との考えに至っています。

 そこで、今日の午前のあいだに、標定点を設定し、ドローンとコンデジによる写真でのSfMを試してみました。
 成功!。
 上面図の作成には十分に使えますね、、、

 学生教育にとっては、まずは手測りとの考えに変わりはないのですが(古いでしょうか?)、時間に余裕がなくなった場合は、試してみるのもありだと思っています。
 手実測図の補足・修正にも使えますしね、、、


 さて、通いの現場ですが、現地作業終了後、大学の考古学資料室に戻ってからも資料室ミーティングを行っています。

 今日、簡単な実測図を書き、またわずかな遺物(昭和28年製)もあったので、学部3年生に図面台帳と遺物台帳をつけるように伝えました。
 すると、学生は???・・・の状態。

 昨年度の発掘調査実習において、去年の3年生から2年生へ何も伝わっていないようでした。

 これは、学生だけの問題ではなく、おそらく、昨年度の実習担当であった小畑先生や久保田先生の教育方針にも多分に左右されていることだと思われます。
 資料室ミーティング終了後も、学生たちが作業しているなかに残って、学生たちの疑問に答える。
 これは合宿の現場だったら必然的にそうなるのですが、通いの現場の場合、ミーティング後に教員がいなくなると、学生たちは不安ななか、手探り状態で作業を進めることになってしまいます。

 とくに、指導的立場の大学院生が不在の去年や今年は、とくにその傾向が強いのではないでしょうか。

 おそらく、このあたりへの配慮が、昨年度は若干不足していたのではないのかなあ、と勝手に想像しています。

 今年度は、調査実習に関するノウハウを、少しでも学生たちに伝えていかないといけません。
 あらためてそう思わされた今日の資料室ミーティング後でした。



2022年8月21日(日) 4日目



 調査開始4日目、石室調査区掘り下げ2日目。

 まだ始まったばかりですが、ここまでの作業の進み具合をみていると、なかなか進まないという印象があります。
 このままの調子では、実測まで行き着くのだろうか、、、という大いなる不安な気持ち、、、

 明日からの数日の進み具合で、先が決まりそうな、そんな予感もしています。

 心がざわつく夜となっています。



2022年8月20日(土) 3日目



 昨日、この調査日誌を書いていたとき、なぜか頭痛がひどく、これはいかんと、帰宅後、入浴、夕食、洗濯のあとすぐに横になりました。
 10時頃だったでしょうか?
 私が体を壊すと、調査実習の現場が止まってしまいますから、要注意です。
 でも、泊まりの現場だったら、毎晩、酒盛りなんですけれど、、、


 さて、今日は、石室調査区を設定したのち、石室内埋土の掘り下げを開始しました。

 石室調査区設定のため、今日も、トータルステーションの設置を学生さんにまかせたのですが、なかなか苦労しています。
 午前はどうしても立たなかったので私が代わりましたが、午後はじっと我慢、、、我慢、、、
 ほんとうに我慢、、、

 やっと立ったときは、ホッとした笑顔をみせてくれました。

 調査終了後の大学資料室でのミーティングでも話したのですが、通常授業の実習中に立てるのと、本番の現場で皆が待っているなかで立てるのとでは、やはり勝手が違うようです。
 トータルステーションなんて、ちょっとしたコツをつかめば、すぐに立つのですが、とくに不器用な学生さんは、場数をこなすしかありません。
 そのへん、実感してくれていたらうれしいです。
 昨日と同じことを書いていますね、、、

 ところで、今日の玄室内埋土の掘り下げでわかったことですが、転落石のなんと多いことか、、、
 1955年作成の石室実測図と比べると、奥壁や左側壁(羨道から玄室をみた方向)の腰石上部の壁体石材がかなり失われているので、多くの石材が落ちている可能性は想定していましたが、やはりというか、ゴロゴロと出てきて、掘り下げに苦労しそうです。

 また、多くの学生が入って作業できるほどのスペースがないので、作業の進行がどうしても遅くなります。
 ですので、今後の調査進行を考えると、石室調査区のみの掘り下げにとどめる方が無難かもしれないと、調査3日目にして考えはじめています。

 石室調査区のほか、当初の予定通り、墓壙確認調査区にも手を広げると、調査期間内に終わらない可能性があります。

 学生さんたちの作業進捗状況をにらみながら、慎重に判断したいと思っています。


 そうそう、今日の体調はすこぶる快調でした。



2022年8月19日(金) 2日目



 一日中晴れ。
 ようやく、現場テントでの昼食となり、本格的に発掘調査実習のスタートといった感じです。

 でも、3食自炊の合宿でないのは、少々残念です。
 今日の学生さんの昼食をみていても、パンや生協弁当などで、とくに男性陣はあまり自炊をしていない感じ。
 夕食も生協に食べに行っていて、生協に頼りすぎているような気がしてなりません。
 もう少し生活力をつけて欲しいなあと、愚痴っぽく思ってしまいます。

 さて、今日のメインは、石室中軸線の設定。

 確実な石室の中軸線を設定したかったのですが、1955年発掘調査以後今日までの埋土のため、石室側壁の位置が明確に確認できませんでした。

 本来の手順を少し逸脱しますが、現代の埋土であることが確実であること、石室中軸線を基準に石室墓壙調査のための調査区を設定しないと、図面を作るうえでのちのち難しくなること、などを勘案し、石室側壁位置が何とかわからないだろうかと、石室内埋土の表土の除去を先行させました。

 そして、おおよそこのあたりだろうとの推測のもと石室中軸線を設定し、また、玄室断面図を作成するうえで最適だろうと思われる玄室中心点も設定したうえで、その中軸線、および中心点での直交線上に基準となる杭を4本設定しました。

 確実なものではないので、のちのち、掘り下げが進めば中軸線の位置を変更する必要性が生じるかもしれませんが、ひとまずこれで、明日以降に進むことができます。

 1955年調査時に作成された石室実測図をにらみながら、とても悩みつつ作業を進めたのですが、そのような私の姿をみて、何か学んでくれるものがあればうれしいです。

 また、トータルステーションを学生さんに立ててもらいましたが、実際の現場で立てることの難しさも実感してくれたのではないでしょうか。


 それにしても、まだ2日ですが、ちょっと小言の多い私となっています。
 いかんいかん、、、歳のせいかもしれません。



2022年8月18日(木) 初日



 昨日の前日ミーティングのときから心配していたけれど、朝6時に起きて外をみると雨。
 出鼻をくじかれましたが、無理はできません。

 8時に考古学資料室集合にしていましたが、グループLINEにて11時に変更することを通知。
 午後に雨が上がるとの予報だったので、ひとまず11時に集まって川砂で土のうを作り、待機することとしました。

 これを書いている今、9時半前ですが、雨がやみそうな雰囲気はなし。
 考古学資料室に来ていますが、外は上左の写真のような雨模様。
 資料室では、上右写真のように、器材たちが搬出されるのを待っています。

 午後に本当に雨が上がるのかな?
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 午前11時。考古学資料室集合。
 雨で来ることができない学生1人、そして体調不良のためPCR検査を受けに行った学生1人。
 彼らをのぞいた今日の調査参加学生の総数は7人。
 本当に少人数の発掘調査実習となっています。

 雨を降らせる前線が南下したようで、昼頃から晴れ間ものぞき、午後12時30分頃から器材搬入作業を開始しました。
 大学のトラックを借り、そしてレンタカーの軽バンも使って、器材を運び込み、古墳のすぐ下にある人工の平坦部に器材置き場と休憩場所を設置しました。

 古墳まではちょっとした斜面なのですが、ひさびさに大きな荷物を運んだので、大汗をかいたなあ、、、

 今日はほぼ現場設営に徹した1日となりました。

 そして、ドローンとデジカメとフィルムカメラを使って、調査前の現状写真撮影。
 そのフィルムカメラでの撮影を学生にまかせたのですが、手元がおぼつかなく、しばらくじっと見守っていましたが、今日の調査終了時間までに終わりそうになかったので、途中から私がシャッターを切ることになりました。
 デジイチを含め、平時の授業の実習でしか本格的なカメラを使っていないので、仕方がないといえば仕方がないのですが、撮影担当を名乗り出るくらいなら、事前に少し復習をして来て欲しかったなあと、大学に戻ってからのミーティングで伝えました。

 自ら学ぶ、という姿勢が本当に大事なのです。
 発掘調査現場での写真撮影は失敗が許されませんから、、、

 でも、不器用ながらも積極的な姿勢は買っています。
 じっと我慢で、見守っていきたいと思います。

 さあ、明日から本格的に始まります。
 天気に恵まれることを願っています。



2022年8月14日(日) 4日前



 上左の写真は、今年5月22日の立田山南麓古墳(上)の状況。右の写真は、今日8月14日の現状。
 2つの写真を比べると、石室の上に横たわっていた伐採木がなくなっていることがわかります。

 5月の下見の際、古墳の墳丘上や周囲に、多くの伐採木が放置されていることに気付きました。
 公園を管理する立田山憩いの森管理センターの方にうかがうと、倒れる危険性のある樹木をこの2年のあいだに数本伐採したとのことでした。

 調査開始後に私たちで整理することも考えたのですが、チェンソーで細かく裁断しないと運べそうにない大木もいくつかあったことから、熊本市環境共生課に相談した結果、調査開始までに立田山憩の森管理センターの方に片付けていただくこととなりました。

 今日の午前、その様子を確認してきたのですが、とてもきれいになっていました。
 本当にありがたいです。

 調査開始までのあいだに、種々の手続きだけではなく調査環境を整えることにおいても、こうしたさまざまな方の協力を得ていることを、学生たちにはきちんと伝えないといけません。



2022年8月13日(土) 5日前

 2020年に始まったコロナ禍も3年目。
 2022年の今年も、合宿での発掘調査実習を実施することができません。
 合宿のない3回目の夏。
 その間、大学院に進学する学生がいなかったこともあって、合宿での調査実習のノウハウがすっかり失われてしまったような、そんな気がします。

 今年の3月半ば、今年こそは合宿での調査実習を実施したいと思い、いつも宿舎として公民館をお借りする阿蘇市山田地区の区長さんとの相談を始めていました。
 でも、収まる気配をみせるどころかますます拡大するコロナ感染症のため、本当に残念だったのですが、今年も合宿による調査実習は中止せざるを得ませんでした。
 先週の土曜日、8月6日に行われる予定だったオープンキャンパスも中止となり、もう何とかならないものかと、心からそう思ってしまいます。
 いつまで、コロナに振り回されなければならないのか、、、

 そんな状況でしたが、熊本県および熊本市の関係部署からの惜しみない支援を受けて、一昨年に引き続き、立田山南麓古墳(上)を対象に調査実習を実施できることとなりました。
 お世話になった部署を挙げてみると、以下の通り。
  ・熊本県文化課(埋蔵文化財発掘調査の届出、器材借用)
  ・熊本県森林保全課(知事承諾書、県有林土地貸付契約)
  ・熊本県財産経営課(県有林土地貸付契約)
  ・熊本県森林整備課(森林計画図の交付)
  ・熊本県林務課(保安林(保安施設地区)内作業許可)
  ・熊本県自然保護課(金峰山県立公園特別地域内土地の形状変更許可)
  ・熊本市文化財課(埋蔵文化財発掘調査の届出)
  ・熊本市環境共生課(立田山憩の森での作業協力)
  ・熊本市立田山憩の森管理センター(伐採木除去などの環境整備)
 もちろん、大学の総務・教務・学科事務の皆様にも本当お世話になっていて、学生たちには、こうした皆様の支援を受けて調査実習が実施できていることを忘れないで欲しいと願っています。

 さて、合宿での濃密な時間を過ごすことができないのは本当に残念に思うのですが、でも、立田山南麓古墳(上)での調査だからこその大いなるメリットがあります。
 それは、古墳の横穴式石室を調査対象にできること。
 古墳の主体部の調査なんて、自治体に勤める文化財専門職の方でもめったに経験できるものではありません。
 それを、学生のうちに経験できるのは、とても幸運なことです。
 学生たちには、このことを心に刻んでおいて欲しいと思います。

 といっても、立田山南麓古墳(上)の横穴式石室は、いまから67年前の1955年(昭和30年)に一度調査されていて、今回の調査はその再発掘調査ということになります。
 ですので、石室内埋土は1955年以降に堆積したもので、副葬品も1955年に取り上げられていますから、めぼしい遺物の出土は期待できませんが、学生たちには複雑な構造物である横穴式石室の調査・記録の仕方を学んで欲しいと考えています。

 でも、今年の調査参加2・3年生の力量を考えると、どの段階まで調査を進めるのか、調査日程をにらみながら、慎重に考えたいと思っています。
 無理に調査を進めると、予定の日程以内に終わらなくなりそうですから、、、

 さあ、調査開始の8月18日まで、あと5日。
 しっかりと英気を養いながら、溜まっている原稿を少しでも進めておきたいと思います。

 下の2枚の写真は、2022年5月24日の古墳の現状です。