フライトの思い出 〜上昇気流に乗って〜

 パラグライダーのフライトは実際どのように行われているのか、そして何が面白いのか。空を飛びたいという方のために、私のある一日の経験を元に再現してみることにしました。



1.フライト準備




 その日、私は午前11時頃にパラグライダーのエリアに着いた。天気は良く、見上げると透き通った青い空が広がっている。
 乗ってきた車から降りると、すぐ前にはランディングと呼ばれるパラグライダーが着陸するための広い草地がある。その周囲は田んぼなので着陸する際に障害となる建物や電線は近くには無い。
 風は南から、ささやくように吹いている。草地の端にある吹き流しが、その南風を受けてゆっくりとはためいていた。

 エンジン付きのを別とすれば、通常パラグライダーはテイクオフと呼ばれる山の上にある斜面から、今私が立っているこのランディングに向けて飛び立つ。上からスタートして下に降りるという点だけみれば、スキー場でスキーを楽しむのと似たような感じだ。
 ただし山の上から「滑る」のではなく、「飛ぶ」という違いは当然、ある。空には決められたコースなどはなく、三次元の空間を自由に使い、自らが操縦する翼で空を飛ぶことになる。

 パラグライダーの各エリアには管理している企業・団体があって、その日のフライトをそこに申込み、数百円〜数千円の利用料を払って飛ばせてもらうシステムの場合がほとんどだ。テイクオフに上がるにはスキー場と同じくリフト・ゴンドラを使える所もあれば、山道を車で上げてもらうところ、モノラックと呼ばれる小型のモノレールみたいな乗り物を使うところ、さらには全て徒歩というエリアなど、いろいろある。
 一番多いと思われるのが乗合いの車でテイクオフまで運んでもらう方式で、今回私がいるエリアもこの方式だ。

テイクオフ  ランディングの正面には見上げるように山が迫っていて、その頂上付近にパラグライダーが空へと飛び立つ場所であるテイクオフが見える。
 なぜそれだと分かるかといえば、パラグライダーが離陸できるだけの空間を確保するために、そこだけ森が切り開かれているのが望見できるからだ。
 目を凝らすと、そこに設置されている吹き流しや、待機している人の様子なども見ることができる。

 ただ、直線距離こそ大したものではないが、あそこに上がるには山肌を縫うように敷設されている林道を車に乗って辿っていかなくてはならない。

 ランディングにある小屋で受け付けを済ませる。今日は連休の谷間の平日であるためか人が少なく、私と同行の友人の他は数人のパイロットの姿が見えるだけだ。そのせいか、いつもよりのんびりと仕度をしてしまう。
 仕度と言っても別に大した準備をするわけではない。フライト用の靴に履き替え、機体など飛ぶための道具一式が入った大きなザックの中身を確認したりするだけである。

 来る途中、近くのコンビニで仕入れておいたウーロン茶などを飲みつつテイクオフをぼんやりと見つめていると、後ろから

 「行くけど、乗るー?」
 という声が掛かる。テイクオフまで運んでくれる乗合いの1BOX車が出発するようだ。
 この時は まだ他のパラが飛んでいる様子など充分にチェックしていなかったが、テイクオフに上げてもらってから様子をうかがって判断しても問題ないと思い、早速その車に同乗させてもらうことにした。
 私は友人と共に道具一式の入った大きなザックを背負い1BOX車に急ぎ、荷台にザックを積み込んだ後、後部座席へと潜り込んだ。


1BOX車の中  田んぼの間の細い舗装道路を、車が行く。間もなく山の麓に到着し、砂利道に変わる。ここからは急な上り坂になるため、1BOX車は副変速機を4WDに切り替え、ディーゼルエンジンの音も高らかに登ってゆく。

 森の中の斜面に沿って作られたその細い道には、急坂・急カーブが連続して登場する。道は狭く、荒れており、所々ぬかるんでいる場所があったり、大きな石が落ちていたり、木々の枝が張り出していたりと、さまざまな変化を見せる。そこを1BOX車はダイナミックに駆け登る。

 当然 車の中は、さながら荒れ海原に乗り出した小船のように、上下左右へ激しく揺れる。しっかり掴まっていないと、椅子から転げ落ちてしまうだけでなく、凸凹のショックで天井に頭をぶつけてしまいそうだ。

 ガツン! 「うわっ!」 不意に来た大きな揺れで一瞬慌てるが、ドライバーは何事もなかったかのように談笑しながら運転を続けている。これじゃあ、隣に女性が乗っていたとしても、楽しいこと(何だそりゃ?)は起こりそうもない。

 道は時々見晴らしのいいカーブを通る。見晴らしがいいカーブというのは、ガードレールの類がないという意味だ。フライトする前にも、結構スリルを味あわせてくれる。ありがたいことだ。

 そうして10分もすると道は行き止まりになった。テイクオフへはここから荷物を担ぎ、少し登ることになる。

テイクオフからの眺め  森の中へと続く登山道のような細い道を大きなザックを背負って歩いてゆくと、テイクオフが現れた。
 そこだけ木々が切り払われているので、一気に視界が広がる。ランディングからここまでの標高差は約300メートル。山のほぼ頂上にあるここは、実に眺めがいい場所だ。

テイクオフ準備中のパイロット  眼下には広大な田んぼや畑が広がり、正面から暖かい風が吹き付けてきている。既に到着していた他のパイロットが機体を広げ、離陸するチャンスを伺っている。

 風の感触から、充分な手応えを予感した私は早速フライトの準備に取り掛かる。
 まず背中に担いでいた大きなザックを下ろし、中からハーネスと機体、そしてフライトスーツやヘルメットなどの小物を取り出す。
 最初にフライトスーツを着る。スーツとは言っても別に宇宙服みたいな立派なモンではなく、いってみればただの防寒着だ。とは言いつつも上下ツナギの構造になっているため気密性が高く、そして何よりカッコイイのが特長だ。まあ着ている人間までカッコよくなるわけではないから、それは自己満足の世界というわけだが....

 次にハーネスを体に装着する。頑丈な化学繊維で出来ているハーネスは、内部にFRP製の固いプロテクターが入っていて、万一のクラッシュ時に体を守ってくれるようになっている。形は椅子みたいにお尻の当たる座面と、背もたれ部から成り立っている。外見は右上の写真にあるように、尻部分までつながった大きなリュックサックみたいなものだ。
 機体はこのハーネスに金具(カラビナ)を使って接続する。離陸するとハーネスは機体に吊り上げられ、人間はそのハーネスに腰掛けたような姿勢になるわけだ。
 ハーネスの背もたれの部分は色々な物が収納できるようになっており、テイクオフまで機材一式を入れて運んだ大きなザックなど、フライト時に不要な物をここに入れる。また種類にもよるが、私のハーネスは緊急用のパラシュートをここに収納出来るようになっていて、イザという時は腰の位置にあるトグルを引いてこのパラシュートを投げることができる。

 次は小物の装着だ。フライト用の計器であるバリオと無線機の電源を入れ、チェック。空撮用のカメラの設定の確認。ヘルメットを被りサングラスを掛ける。はやる心を押さえ、ひとつひとつこなしてゆく。
 このバリオというのは、フライトに必要な高度・昇降率を数字で示してくれる計器のことだ。
 標高の高低によって気圧が変化するのを利用し、その微少な変化を捉えてメートル単位で現在の高度を表示する機能を持っている。同時に、その高度の変化率(1秒あたり何mで上昇または下降しているか)を示す昇降計としての機能も内蔵されている。
 もちろんこういう計器は無くても飛ぶことはできるが、車で言えばスピードメーターとタコメーターのように、多くの場合有用な情報を与えてくれる頼もしい味方だ。


他パイロットテイクオフ  そうしている内に、他のパイロットが離陸していく。手を止め、その動きを追う。テイクオフの下り斜面から飛び立ったパイロットは、ゆっくりと上昇しながら離れてゆく。

 ウム、良さそうだ。見たところ風が荒れている様子もない。間もなく準備が終了した私は、機体を抱え、テイクオフ斜面の中央へと進み、畳まれていた機体を広げる。

 広がった機体は横幅が約10m,縦が約2.5mの楕円形をしている。初めて見る人にはかなり巨大に見えるらしいが、人間という重い物体を走れる程度の速度で飛ばすわけだからこれでも適切な大きさであると思う。
 ただし逆に言えば人を持ち上げるだけの力があるのだから、この翼を力づくで扱おうとしても無理である。強風時や風が荒れている時に無理して飛ぼうものなら、その強風を受けた翼は手を付けられない程の強烈な力を発生し、それに接続された人間などは引きずられ吹き飛ばされてしまう。従って充分に風を読み、周りの状況を良く確認する必要がでてくる。

 しかし今日の風は穏やかで、危険な兆候も見られない。こんな時はきっと楽しいフライトができるだろう。無理をせず、風を観察し、まわりからあらゆる情報を入手して慎重に飛べば、空はとても楽しく、安全で、刺激的な世界なのだ。

 親切な他のパイロットに手伝ってもらいながら機体を広げ終わると、次はラインチェックだ。機体から出ている数十本のラインに異常や絡みがないかを素早くチェックしてゆく。最後にライザーと呼ばれるそのラインの集合部をカラビナを用いてハーネスに接続する。これで準備完了だ。正面を向く。 いよいよテイクオフ(離陸)だ。



ページ最終更新:1998/12


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