2011.7.5(その2)

森田実の言わねばならぬ【523】

平和・自立・調和の日本をつくるために [523]
《新・森田実の政治日誌》日本の政治を斬る

「天使は美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者だ」(ナイチンゲール)



私(森田)は5月10日に開催された志帥会講演会に招かれ講演した。以下はその抄録である。

 お招きをいただき、感謝いたします。志帥会は紳士的政治家の集団だと思い敬意を感じております。
 アメリカにはルーズベルト(最近はローズベルトと発音しています)という名の大統領が二人いました。一人はシオドア・ローズベルト。第26代大統領(1901-09)です。日露戦争の調停により1906年にノーベル平和賞を受賞しました。もう一人はフランクリン・D・ローズベルト。第32代大統領(1933-45)です。第二次世界大戦(日米戦争)時のアメリカ大統領です。二人とも日本との関係が深い大統領でした。
 第26代大統領のシオドア・ローズベルトがこんな言葉を残しています。「私は大統領であるよりは、むしろ、紳士でありたい」。大変よい言葉だと思います。私は、すべての政治家が「政治家であるよりは、むしろ、紳士でありたい」と本気で考えて行動すれば、政治の劣化はかなり防止できると思っています。
 このローズベルトの言葉を紹介しましたのは、この志帥会の指導者が、真の紳士であると私が思っているからです。伊吹会長、二階会長代行、河村事務総長は、日本の政界を代表する紳士政治家だと思います。
 お三方は、紳士あると同時に旺盛な行動力を発揮しておられます。紳士性と旺盛なる行動力、この二つをあわせもつ政治家をいまの時代は求めていると私は思います。

 国民・国家が政治家を必要とするのは、国難というべき苦難が国民社会の上に起きたときだと思います。
 平時で、国民が満足しているような平和でハッピーな時代であれば、政治家は頑張る必要はありません。
 18世紀末から19世紀前半のドイツの政治家フンボルト(1767-1835)は、「無用の長物たる政府こそ最良である」と言葉を残しています。私はこのとおりだと思います。政治家になすべき仕事がない状況が、国民にとっては最良の状態なのです。世の中が平和で、国民が戦争や大災難で苦しまない状況が最良なのです。しかし、いったん戦争や大災害が起こり、国民社会の上に大きな災難が起きたときには、政治家は全力を挙げて働かなくてはなりません。国民が多大の苦難に直面し、多くの国民が絶望的状況におかれたときこそ、政治家の出番なのだと思います。政府が本当に必要とされるときなのです。
 いまの日本が、まさにこういう時なのです。国民が真に能力のある政府を必要としている時なのだと思います。
 今年(平成23=2011年)3月11日、東日本大震災が起きました。地震による被害だけではありません。巨大津波が発生し、東北・北関東の海岸線の都市と町と村を襲い、壊滅させました。死者・行方不明者は2万数千人に上りました。大災害です。その上、東京電力福島原子力第一発電所の事故が起きました。放射能が福島県民だけでなく周辺地域の人々の間に広がっています。悪くすると、さらに広い地域に拡散するおそれがあります。
 放射能の拡散が続けば、日本と国際社会との関係に影響します。まず、海外に「日本は放射能列島になった」との見方が広がります。すでに極端に悪い噂が広がり、風評被害が拡大しています。
 私は毎週金曜日、関西テレビ放送の「スーパーニュースアンカー」という夕方の番組に出演するために大阪に通っていますが、関西全域で、外国人の姿が非常に少なくなったという話をよく耳にします。海外からの観光客が激減しているのです。観光だけでなく貿易にも悪い影響が出ています。日本からの輸出品は、食料品だけでなく機械類までも、放射能についての厳しい検査が行われています。
 一言で言えば、放射能の発生と広がりにより、日本は国際社会から孤立してきているのです。これは貿易立国の日本にとって、重大な危機として認識しなければならないと思います。
 いまこそ、真の政治、真の政府、真の外交が必要な時です。
 しかし、いまの政府はひどい政府です。最悪、最低の政府です。日本国民は、いま二重の意味で深刻な危機のなかにおかれています。最悪事態に直面した時、最悪の政府によって最悪、最低の政治が行われているのです。究極の無責任な政権のもとに、いまの日本はおかれているのです。ここに日本の真の危機があります。最近、西岡武夫参議院議長が同趣旨の発言をされています。日本は最悪事態のなかで最低・最悪の政府が存在している。ここに日本国民の最大の不幸がある、と。

 平成23(2011)年3月11日は、日本の歴史の重大な転換点だと私はみています。私は、少し大袈裟に聞こえるかもしれませんが、66年前の昭和20(1945)年8月15日以来の、時代の大転換点ではないかと感じています。もちろん、被災、被害の規模は66年前の方がはるかに深刻でした。しかし、最悪・最低の政府が現在している現状を考えますと、危機の深刻さはあまり変わらないと思うのです。
 政治は現実に立脚して行われなくてはならないと思います。私のような政治・経済・社会の研究に携わっている者も、すべて現実から出発しなければなりません。既成の観念にとらわれることなく、事実を見、事実から出発すべきです。いま、政治家の皆さんにとっても、私のような言論人にとっても、古い固定観念を捨てて、無心で東日本大震災の現場に立ち、現実から出発すべきだと思います。百聞は一見に如かず、です。
 私は、政治家の皆さんと比べれば、東日本大震災の現場に入る回数は少ないと思います。被災地にはいままで3回入りました。そして現場の人々の声を聴きました。私は、宮城県で漁業関係の仕事に携わっている親友に、ズバリ聞きました。「いま、被災地の人々が最も必要としているものは何ですか」と。友人はズバリ答えました。「カネです。被災地にいま、いちばんないもので、いちばん必要なのはカネです。個人も、企業も、市も町も村も、カネがないのです。このままでは被災した中小・小規模企業はやっていけません。
 3月11日に大地震、巨大津波が起きた直後は、食べ物とガソリンが最もほしいものでした。食べ物を得、ガソリンが得られるようになったあとは、カネが最も必要なものですが、カネがきません」
 「もう一つあります」と友人は言いました。
 「この被災地には、総理大臣も内閣官房長官も、いろいろな大臣も来られました。多くの政治家が、見舞いと支援のために来てくれました。このこと自体には感謝しています。しかし、総理大臣も含めて、政治家の皆さんは、私ども被災者が最も望んでいることをしてくれません。私たちが最も望んでいることは、私たち被災者の声を本気で聴いてほしいということです。被災者のおかれている状況を知ってほしい、ということです。その上に立って支援していただきたいのです。被害は深刻で自分たちの力だけでは再生はできないのです。
 ところが、政府の人も、一般の政治家も、ほとんどが平均15〜20分で帰って行ってしまいます。ほとんど私たちの話を聴いてくれないのです。政治家のなかには、被災地で写真だけを撮って帰る観光客のような人も少なくありません。一人だけ野党(自民党)の議員さんが4時間、じっくりと話を聴いてくれました。1時間話を聴いてくれた議員が二人いました。一人は地元選出の与党の国会議員でした。一人は野党議員でした。全体としては、与党より野党の議員の方が、地元の話をよく聴いてくれます。
 政府・与党の国会議員は被災者の気持ち、被災者のおかれた状況、何を被災者が求めているか、わかっておられないのではないかと思います」
 政府は地元の声をよく聴いて、現場主義に立った政治を行う必要があると思います。

 菅政権が発足してから一年が経ちました。東京の大新聞は、「菅内閣の一年」を総括しています。ほとんどの大新聞が「成果なし」と書いています。「見るべき成果、何もなし」というのが平均的なマスコミの評価です。しかし、本当にそうでしょうか。菅政権は単に成果がなかっただけの政権だったのでしょうか。そうではないと思います。私は、有害な政権だと思います。
 昨年秋の初め頃のことでした。ある新聞社から「菅政権の3カ月をどうみていますか」と、コメントを求められました。そのとき、とっさに頭に浮かんだのが、太田道灌の故事に登場する兼明親王の有名な和歌でした。「ななへやへ花はさけども山吹のみのひとつだになきぞかなしき」でした。そこで、私は、菅政権は「実の一つだになきぞ悲しき政権だ」と答えました。しかし、この評価は不十分なものでした。その後は、この評価を変えました。
 その後は、こう答えています。菅政権は「百害あって一利なし政権」である、と。菅政権は、よいところがまったくないだけではない、悪いところだらけ、害のみの政権であると、私は、その後、言いつづけてきました。
 最近の私の個人的体験を一つ、お話しいたします。ある小規模企業家が、不況のなかで努力に努力を重ねて、新技術を開発することに成功しました。かなり画期的な発明です。その企業家は、これをある閣僚に提案しました。その閣僚に会うまで、何人もの人のお世話になったそうです。その閣僚は話を聞いたあと、ある政府関係機関を紹介しました。じつは、その企業家はすでにその政府関係機関には行っていたのですが、大臣の紹介なのでもう一度行きました。その政府関係機関は、今度はある与党の政治家を紹介しました。その政治家は、同僚の政治家を紹介してくれました。そして結局、元に戻りました。ぐるぐるたらい回しされただけだったのです。
 その企業家は私のところへ来ました。私は友人の民主党議員に頼みましたところ、彼は同僚議員を紹介してくれました。次にはある省の大臣政務官そして副大臣を紹介してくれました。私も、たらい回しされたのです。誰も責任をとろうとしないのです。オール無責任です。
 これが、菅政権と民主党の現実なのです。その企業家は、自分が開発した新技術を被災者のために生かしてほしいとの純粋な気持ちで政府に陳情したのです。自己犠牲でやるつもりでした。しかし、十数回もたらい回しされて、疲れてしまいました。このような企業家を私は、何人も知っています。
 民主党政権と民主党には「責任を自分がとる」との強い責任感をもった政治家がいないのです。上から下まで、無責任政治家ばかりです。これが民主党の現実の姿なのです。
 菅政権と民主党全体が、誰も責任をとろうとしない無責任政治家の集団に成り下がってしまっている最大の原因は、菅首相が自ら責任をとろうとしない極端な責任回避体質にあると私は思っています。政府の最高責任者が無責任であるため、閣僚も党幹部もすべて無責任になってしまっているのです。菅首相は責任を他に転嫁し自らは責任をとろうとしない無責任政治家です。
 最近、よく話題になるのは、菅首相と16年前の阪神・淡路大震災のときの村山首相との比較です。村山政権の初動は鈍く遅かったことから村山首相は、初めは厳しい批判を受けました。当時は野党の政治家の方が動きが速いと言われたことがありました。しかし、まもなく事態は変わりました。村山首相は、閣僚や与党議員や役人に対して、「すべての責任は総理たる自分がとります。皆さんは思う存分、被災者救済、復旧・復興のために全力を尽くしてください。私がすべての責任を負います」と言いました。これで、閣僚も与党議員も役人も、精一杯働くことができたのです。役人も現地に入って働きました。

 政府の動きを見ると、阪神・淡路大震災の時と、いまの東日本大震災との最大の違いは役人が働いているか否かにあると思います。阪神・淡路大震災の時は役人が働きました。しかし、いまは役人が十分に働いているとは言えません。
 たしかに、自衛隊はよくやっています。被災地の人々は自衛隊に本当に感謝しています。警察もよくやっています。消防もよくやっています。国土交通省東北地方整備局の職員も一生懸命に働きました。しかし、働いたのは霞が関(省庁)30万人の役人のごく一部です。霞が関(官庁)の主力は十分に働いていないのです。  この原因は、民主党政権の誤った政治主導にあります。
 これも国民の皆さんにとっては信じられないようなひどい話ですが、民主党政権の政治主導は、愚かすぎるほど愚かなことなのです。「役人は何もするな、すべては大臣、副大臣、政務官(政務三役)でやる、すべて三役の指示で動け」と言い、役人の仕事のすべてを、政務三役の監視下においてしまい役人の法律にもとづく自主的な動きをも禁止してしまったのです。役人は政務三役に監視されているため、自主的には動けないのです。役人が自主的に動くといっても、法規の範囲内です。このことは役人自身がよくわきまえていることです。民主党政権は役人が法規に従って自主的に動くことすらも悪いことだとして禁止してしまったのです。
 東日本大震災のような大悲劇が起きてから、役人は何かしなければならないという気持ちになっていました。政治家は、役人に向かって被災者の救援・救済、被災地の復旧・復興のために、「一緒に働こう」と言うべきでした。政治家と役人は国民のために協力して取り組むべきです。しかし、菅民主党政権は「鳩山政権以来の誤った政治主導」を改めようとしませんでした。
 霞が関30万の役人の下に、多くの国家公務員がいます。地方には地方公務員もいます。政治家は、3.11東日本大震災という国難に直面して国家公務員、地方公務員数百万人の能力を最大限に引き出さなければならないのですが、菅政権は反対のことをしているのです。菅政権は、役人の巨大な能力を生かそうとしないどころか、抑制しているのです。この罪は深いと思います。立法府も行政府も国民のための国家機関です。国民のために協力すべきです。真の政治主導とは、政治家が役人から信頼されることです。ただ単なる強制では、真の政治主導ではありません。
 一カ月ほど前、ある新聞に「役所幹部が菅首相のところに行きたがらないのは、菅首相が役人と会うと怒鳴ってばかりいるので、足が自然に遠のいている」という趣旨の記事が載りました。
 「本当かな」と思い、取材しました。首相に直接会える役人はそれほど多くありませんが、運よく2〜3人の役人から話を直接聞くことができました。ある役人はこう言っていました。
 「たしかに菅総理は怒鳴ってばかりいますから菅総理に会うのは愉快なことではありません。しかし、菅総理のところへ役人が行きたがらない原因は別のところにあります。役所の幹部が行う総理への報告が、どういうわけか、すぐに外部に漏れるのです。外国の政府との交渉途中のことを総理に報告した直後に外部に漏れ、相手国から抗議されたことがありました。交渉は中断されました。どういうわけか、総理の周辺から、しばらくの間は機密にしておかなければならないことが漏れるのです。おそらく、総理のところへは多くの人々が会いに行きます。そこから漏れるのかもしれません。だから、役所の幹部は、みんな総理のところへ行きたがらないのです」
 内閣総理大臣、または首相官邸に国会機密を守ることができないとすれば、事は重大です。このことは、しっかりと調査する必要があります。

 去る6月2日、野党から菅内閣不信任決議案が衆議院に上程されました。衆議院では与党の民主党が圧倒的多数を占めています。平和な時期なら与党の反対で否決になります。しかし、今回は乱れました。乱れの原因は民主党内の乱れにありました。民主党内の一部が野党提出の内閣不信任案に賛成する動きが出たのです。私は、今回の民主党内の菅批判の動きを取材しました。約100名の民主党衆議院議員が野党提出の不信任案に賛成する可能性が、一時は、高まりました。一部は野党提出の不信任案に賛成、一部は欠席か棄権かという動きになり、不信任案可決の可能性が生まれてきました。
 そこから菅首相と周辺は危機感をもって動き出しました。その後の経過は皆様ご存じのとおりです。鳩山前首相が登場し、菅首相に本当に騙されたのか、騙された形をとったのかもしれませんが、民主党の分裂を回避し、民主党政権が潰れないようにしたのです。この過程は醜悪でした。結局、「百害あって一利なし」の菅政権が存続することになりました。国民はとんでもない茶番劇に付き合わされたことになります。その結果は嘘と騙しと責任逃れの菅政権が、今後も政権を担当することになりました。しかし、菅首相がいったん辞意を表明したことは、世界中が知っていますから、日本の外交活動は制約されます。日本政府の新たな外交活動の展開は困難になります。外交権を事実上行使できない内閣の存在は、国益に反しています。
 菅首相と鳩山前首相は、民主党を守り、自民党に政権を渡さないために、菅内閣不信任案を否決するために協力しました。この二人にとっては、民主党を守ること、民主党が政権の座にあり続けることが、最も重要なことなのです。東日本大震災の被災者の救済・救援、被災地の復旧・復興よりも、日本国民の利益よりも、民主党の方が大事なのです。二人は自分さえよければ主義者なのです。このような国民のことを真面目に考えない政治家を政権の座につけたのが2009年の政権交代でした。政権交代は、国民にとって失敗でした。
 菅首相と鳩山前首相が、密室で菅首相の自発的引退を話し合い、合意したことは、仲介者の平野博文元官房長官も認めていますから、「菅首相引退の密約」はあったのだと思います。
 しかし、菅内閣不信任案が否決された直後から菅首相は「辞めるとは言っていない」と開き直りました。鳩山前首相はメンツ丸つぶれになりました。怒った鳩山前首相は「(菅首相は)ペテン師だ、詐欺師だ」と罵りました。鳩山前首相のこの「ペテン師」「詐欺師」という言葉が、菅首相をイメージする言葉になってしまいました。菅直人氏は生涯、このペテン師、詐欺師というイメージから逃れることはできないでしょう。
 このペテン師報道をきっかけに、菅首相と付き合いをしてきた人々が、菅直人氏がどんな人間か、証言し始めています。いずれも大変厳しいものです。ある人は、菅氏は朝令暮改の人と言います。朝約束したことを昼には破り、昼に約束したことを夕方にまた破るような人物だというのです。菅直人氏という人物は、つねに、他人を利用し、友人を裏切り、同志を騙し続けて、権力への階段を上り続けた偽善・欺瞞の野心家だという、かつての友人・同志の証言が出てきました。「菅首相は心がない政治家だ」という言葉が最近、流行しています。人間の温かい血と心をもたない男が、いま、政治権力を動かしているのです。
 菅政権の一年の間に、日本の政治の道義は廃れました。政治から「誠実」と「責任」と「約束を守る」が消滅しました。

 2500年前、孔子は「君子に三戒あり」と言いました。わかりやすく言いますと、(1)カネ、(2)異性関係、(3)過剰な闘争意欲です。孔子先生は三つの戒めのなかに「嘘をついてはいけない」「人を騙してはいけない」とは言っていませんが、これは、政治指導者のなかに「嘘」を武器とするような低劣な人間が入ってくるなどということは、考えられなかったからではないかと推察します。「嘘をついてはいけない」「友を騙してはいけない」というのは一般の庶民のモラルです。一般社会のモラルに反するようなことを平然とする人間が政治指導者になるなどということは、考えられなかったのだろうと私は思います。
 一般の人々にとってのモラルの原点を調べてみますと、西洋には旧約聖書のなかの「モーゼの十戒」があります。十の戒めのなかの九項目に、隣人について偽証してはいけない、というのがあります。嘘をついてはいけないということです。東洋には仏教の「五つの戒め」や「十の戒め」があります。このなかに「嘘をついてはいけない」と記されています。日本には日本書紀のなかの「十七条の憲法」(聖徳太子)があり、「信を大切にせよ」との教えがあります。孔子は「政は正なり」と言っています。日本では昔から「嘘は泥棒の始まり」という諺があります。嘘を戒める言葉です。
 日本の歴史において、ほとんど初めて「嘘」「騙し」を主たる武器として使う政治家が最高権力者になりました。菅首相の側近たちも詭弁家ばかりです。こんな政権を許したら日本国民の倫理が壊れてしまいます。一日も早く、この「嘘」「騙し」の政権を除去しなければならないとつくづく思います。

 最近、民主党・自民党・公明党の大連立政権という構想がマスコミ人や菅政権内部や民主党の政治家から出されていますが、私は大連立政権は国民にとってよくないと思います。
 第一に、民主政治においては、批判者の存在がとくに大切です。批判能力のある健全な野党の存在が民主政治を支えるのです。
 第二に、政党間の協力は議会を通じて行わなければならないと思います。衆議院と参議院のいわゆる「ねじれ」は、国民の選択の結果です。これは国民の意思であり、政治はこの国民の意思を尊重すべきです。この状況に選ばれた政治家は国民の選択を受け入れ、この事態に順応すべきです。
 第三に、嘘と騙しの菅政権のもとでの大連立は無意味であり、愚かです。菅政権下での大連立政権樹立は、嘘と騙しの政治を認めることを意味します。とんでもないことだと思います。
 いま、何事にも優先して行うべきことは、嘘と騙しの菅政権を倒すことだと思います。
 この3月11日の東日本大震災のあと、昭和20(1945)年8月15日の終戦直後のことを思い出します。「3.11」と「8.15」を比較するのです。
 昭和21年に戦後最初の総選挙がありました。このときの選挙制度は大選挙区連記制だったと記憶しています。次が昭和22年の新憲法制定時の総選挙でした。このときは中選挙区制の選挙でした。私の郷里は静岡県の伊東市です。伊東市は中選挙区の時代には静岡県第二区でした。静岡県第二区を選挙区とする政治家のなかに石橋湛山がいました。昭和31年末から昭和32年初めにかけて短期間でしたが、首相になりました。
 石橋湛山は、昭和21年吉田茂内閣のもとで大蔵大臣を務めました。非議員でしたが、大蔵大臣として剛腕を振るいました。石橋湛山が蔵相として熱心に取り組んだのが大失業問題に解決、すなわち雇用問題でした。敗戦直後は大失業時代でした。国内の失業者だけではありません。数百万の同胞が外地から引き揚げてきました。石橋湛山蔵相は、占領軍と鋭く対立しながら、雇用拡大に努めました。国家機関、公的機関に雇用を増やすよう求め、実行させました。
 国民にとって必要なのは、職業をもち、職業を通じて社会の一員となり、自らの労働によって報酬を得て、それによって自分と家族の生活を支え、生きることです。石橋蔵相は失業をなくし、雇用を増やす政策をとりました。これが、戦後の復興にとって大きなプラスとなりました。
 国民は、働くことにより、自らの生き甲斐を満たし、社会の一員となり、自らの生活を維持することができるのです。人間にとって大切なことは働くことです。働くことによって自らの自立的生活を築くことです。  いまの日本で必要なのは、石橋湛山のような政治家であり、国民に働く場を与える政策です。大震災の被災者に必要なのは仕事です。雇用です。政府にはこれに取り組んでほしいと思います。ところが、残念なことに、いまの政権は雇用の重要性を理解できない愚かな政権です。

 講演を終わらなければならない時間がまいりました。最後に二点申し上げて締めたいと思います。
 一つは、衆議院議員の選挙制度のことです。十数年前の小選挙区制導入以来の日本の政治を振り返ってみますと、日本の政治は劣化したと思います。この主たる原因の一つは、中選挙区制時代にあった政治家同士の全人格をかけた競争がなくなったことにあると思います。選挙は、政治家が個人として切磋琢磨する重要な機会です。
 ところが、小選挙区制になりまして以後、選挙はトップリーダー間のイメージ争いになりました。もう一つは、それぞれの党の主要政策が中心テーマになりました。これも本質的にはイメージの争いです。
 もう一つ、これが重要ですが、小選挙区制の導入以後、政治に対してマスコミが強くなりました。小選挙区制のもとでは、マスコミから狙い撃ちされた政治家が生き残ることは至難です。小選挙区制の導入によって政党と政治家の力は弱くなりました。政治はマスコミに支配されるようになり、国民社会を主導する力を失いました。中選挙区制下ではマスコミと戦う政治家が堂々と当選することができました。中選挙区制下の政治は、マスコミに負けませんでした。最近はマスコミにゴマをするようなだらしのない政治家が増えました。これが、政治の劣化の最大の原因だと私は思っています。
 小選挙区制を廃止し、中選挙区制に戻すことを政治家の皆さんにぜひ考えていただきたいとお願いします。
 もう一つは、これから長老政治家が頑張らないといけない時代だということです。選挙では若い政治家が人気が高く、マスコミは若い政治家を持ち上げますが、いまの国難の時代に必要なのはベテランです。ベテラン政治家に、もうしばらく頑張っていただき、国難の日本を支えていただきたいと思います。
 志帥会の政治家の皆さんのご奮闘をお願いします。志こそが「元気」のもとです。これが「志帥」の意味だと思います。政治家の強い志が日本再生の原動力です。志帥会の皆さんの益々のご活躍を祈ります。