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                 沙織
                                                                   作 破魔猫
その1 予感

『香澄さま・・・。香澄さま・・・。』

遠くで声がしている・・・。私を呼んでいる・・・。深い霧で見えない…。大勢の声だ…。助けを求めている…。
ドスッと腹の上に重いものが乗った。「ウッ」と息が詰まる。

「わかったわよ。今おきるから。」といって寝返りをうったが12キロのラーは私の上に乗ったままだ。私は観念して起き上がった。

顔を洗い、服を着替え、リビングに行くと母は朝食の支度をしていた。

「日曜だからっていつまでも寝てちゃだめでしょ。たまには朝ごはんぐらい作ってよ。」

父はソファーに座り新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。テレビではニュースをやっていた。

「お兄ちゃんは?」

「朝早く出かけたみたいね。」

「千夜は?」

「あなたの部屋じゃないの。」

「ラーさんしかいないよ。」

「じゃあ、またどっか散歩にいったんだ。悪さしてなきゃいいんだけどね。」

ラーは八歳、白地にこげ茶の斑が入った12キロの大猫である。千夜丸(ちよまる)は2歳のトラ猫。あとは柴犬の栗麻呂がいる。

「ぼーっとしてないで、パン焼いて。サラダ皿並べて。」母は人使いが荒い。

「何か大事件?」

「いや、いつもの事だが、朝からこのニュースばかりだよ。」父が答えた。

『昨日、米商務長官アルフレッド・ベアー氏は昨年の大幅な貿易赤字は日本のアンフェアな売り込みによるものとして、日本の数社を名指しで批判しました。』

テレビには商務長官の演説の画像が流れている。

『これは昨年発売された第四世代コンピューターが爆発的に世界中で売れた事を指すものと思われますが、今後、再びジャパンバッシングが…。』

「第四世代コンピューターって何なの?」

「『ビールスを受けつけない、発しない、逃がさない』っていうコンピューターだ。日本のパラトリック社が開発して、昨年売出し、同時に技術を70%公開したんだ。100%公開するとまたビールスにやられちゃうからね。そのあと日本のメーカー3社が続けて発売した。 恐らく残りの30%は日本ならではの発想だったんだろうね。だから70%のヒントでも他社が追随できたんだ。でも、アメリカはそれをアンフェアっていってるんだ。」

「さあ、用意できましたよ。沙織、コーヒー注いで。」

私の名前は浜沙織。私立女子高の平凡な2年生。得意科目なし、特技なし、成績中の中、趣味、猫とお昼ね。

「今日は出かけるの?」と母が聞いた。

「友達と原宿行く約束したんだけど、どうしようかな。ぶらついて、カラオケいって、ちょっとマンネリ。」

「あなたはお出かけになるんですか?」

「いや、今日は何の予定もないんだ。ビデオ屋にいってDVDでも借りてくるかな。」

「じゃあ、買い物付き合ってくださいね。」

「ニャミャーミャー。」とラーが足元にまとわりついて鳴いた.

「ラーは何ていってるんだ。」

「『今日は行かないで』だってさ。一緒にお昼寝したいんじゃないのかな。」

「お昼寝したいのは沙織でしょ。」と母。

「ま、日曜だ、好きにするさ。」と父は呑気だ。

父はちょっと変わっている。第一、私が犬や猫と話ができると信じているのだ。私も小さい頃はそう思っていたが、今はラーがそう言っているんじゃないかと想像するだけで、話をしている訳ではない。

「何?また眠そうな目をして、遅くまでマンガ読んでたんでしょ。」と食卓についた母が言った。

「また変な夢見ちゃって、夜中に目が覚めちゃったの。」

「ほう、どんな夢だ。」

「誰かが私を呼んでるんだけど、私の事沙織じゃなくって、香純って呼ぶのよ。」

「恐い夢なのか?」

「恐くはないけど、深い霧の中みたいで、何もみえないんだけど、大勢が私を呼んでいるの。何か不気味なのよ。」

「恐くなきゃいいじゃないか。」と父はまた脳天気だ。

 食事が終わって私は出かけた。出掛けに栗麻呂が吠える。

「うるさいクリ。」

それでも「行くな、行くな。」と吠える。このところずっとそうだ。自分が羊番で、私が群からはなれた羊だと思っているのだ。
 友達との待ち合わせ場所に行き、原宿をぶらついた。私のお気に入りの通りは、竹下通りを抜けて明治通を過ぎたところにある。三軒目の店に入ったところで何か違和感を覚えた。

『誰かに見られている。』それとなく店の外を見る。電柱の影に背広姿の男がいた。この通りは竹下通りほど人通りは多くない。ほとんどが十代から二十代前半、背広姿は少し浮いた感じがしてしまう通りなのだ。

「ねえミカ、あの電柱の男、変じゃない?」
「えっ、何が?」ミカが振り返って男を見る。男は歩き出し、視界から消えた。
「いいの。勘違いだったみたい。」

ミカはキョトンとした目で私を見たが、私がTシャツに目を移すと、話題はそれに移った。
Tシャツと髪止めを買って、カラオケ屋に入ったが、やはり誰かに見られている感じは拭えなかった。

その2 誘拐

あの日から沙織は学校の行き帰りも、ずっと誰かに見られている気配を感じていた。しかし、姿は見えない。ストーカーにしては尾行が上手すぎるし、気のせいかとも思える。両親に話そうかとも思ったが、能天気な父は「気のせいじゃないか。」と言うだけだろうし、心配性の母はストーカーと決めつけ大騒ぎになるだろう。日曜に外出できなくなったりしたらと思うと、言う気にはなれなかった。そして一週間が経った。

土曜日、部活を終えて家に帰る途中だった。沙織の家は渋谷の松涛。劇場のある文化村会館の裏手にあたる。文化村までは渋谷の雑踏だが、そこを過ぎると急に住宅街となり人通りもまばらとなる。松濤町は渋谷の高級住宅街で都知事官舎や大使館が並んでいる.沙織の家はそう大きくはないが玄関前は芝生とちょっとした植え込みがある.

家まであと百メートルという所で黒塗りのベンツが道をふさぐ様に止まった。助手席から男が降りてきて、

「あのう、道を聞きたいんだけど。」

と近寄ってきた。急に沙織の心の中で警報が鳴り出した。くるりと方向を変え沙織は走り出した。

「道を聞くだけだ。」

と言いながら男も走り出す。運転席からも別の男が飛び出し、沙織を追いかけてくる。文化村に向って懸命に走った.こんな時に限って誰も通らない.大きい声を出そうと思ったがまだ100メートルも走っていないのに息が切れて声が出ない.鞄を放りだし、角を曲がろうとした時、男の手が私の肩をつかみ、その拍子に転んでしまった。心臓が口から飛び出しそうに鼓動を打った。

「手間とらせやがって。」

といって二人が私の両脇を掴もうとした。その時、塀の上から黒い塊が男の顔に飛びついた。

「ギャ」

と男は叫び顔を覆った。千夜だった。その隙に沙織は起きあがり駆け出した。もう一人が沙織を逃すまいとする。今度は白い塊が二人目の太ももに飛びついた。ラーだった。12キロの体当たりに男はもんどりうってひっくり返った。クリも鎖の先に犬小屋ごと引きずってきて吠えたてた。男たちはこの急な展開に驚き、車に飛び乗ると急発進して逃げていった。

家に帰り、母に話すと、意外に落ちついた様子で、

「後は任せて、疲れたでしょ。シャワーでもあびて休みなさい。」

と静かに言った。当然母は大騒ぎすると思ったのに、何か拍子抜けした感じだった。

 

その3 訪問者

沙織は掃除機の音で目を覚ました。時計を見ると9時だった。昨日あのまま寝てしまったらしい。夢も見ずにぐっすり眠ったようだ。浜家の日曜は午前中は何もしないはずなのだが、掃除しているところを見ると、沙織は『誰か来るな』と思った。

「あら、起こしちゃった?ごめんなさい。」

沙織が起きだしてリビングに顔を出すと母がそう言った。

「誰か来るの?」

「今朝おばあちゃんから電話があってね、九州の親戚が午後どうしても来たいって言ってるらしいのよ。」

「九州に親戚なんてあったっけ。」

「私もよく知らないんだけどね。」

「へえ、今時東京見物に連れてけって訳でもないんでしょ。」

「そうねえ、何なんでしょうね。」

昨日から母は何か様子が違う。まるで能天気な父と話をしている様だ。

「昨日の件、どうなったの。」

「お父様が今、警察に行っているわよ。沙織は玄関片付けてね、それから匂うといけないから猫トイレの掃除もね。」やはり人使いが荒い。

母もまた少し変わっている。自分は日本の平均的存在だと信じている。機械いじりが好きで、色んな資格を持ち英語、フランス語、中国語もできる。そんな人間が平均であるはずがない。また、新し物好きなくせに妙に古風なところもあって、絶対に父をたてる。封建時代の武士の妻みたいだ。おまけに自分は美人だと言い張る。確かに美人には違いないのだが、自分で言うのはどうかと思う。『平均なんでしょ。』と言ってやると、『平均的美人なのよ。』と全く訳の分からない返事が帰ってくるのだ。

 

親戚が来たのは2時過ぎだった。なんと10人もやってきた。それも男ばかり。リビングと和室がいっぱいになった。沙織は予想外の大人数に驚き、お茶出しに追われ、その後は、いるところがないので自分の部屋でマンガを読んでいた。小一時間して、突然母の大声がした。

「そんなこと、急に言われても困ります。私は嫁に出た身、伊美富の責任など知りません。」

「姫、お力があるのは姫のみ、何卒お聞き入れ下さい…。」

なんだこりゃ。姫?沙織は耳を疑った。

「今は21世紀ですよ。そもそもそんな事は警察に任すべきでしょう。」

母はいつになく声を荒げている。沙織はリビングをのぞいてギョッとした。ソファーに座っている母に向かって、10人の男たちが平伏しているのだ。

年長の男が沙織に気付くと、体を沙織に向けて座り直して言った。

「沙織様ですね。お初にお目に掛かります。私は伊美富の長老、徳蔵と申します。どうか姫と一緒に日本をお助け下さい。もうじき殿下もお見えになります。」

「え?何ですかそれ、殿下って誰ですか。」

伊美富は母の旧姓であることは知っていたが、あとはいったい何なのか見当もつかなかった。徳蔵と名乗る男は説明を始めた。

伊美富家は古くは忌止部(いみとめべ又はいみとべ)と言っていたが、伊美戸辺とも書くようになり、後に今の表記になったらしい。古代、所謂熊襲として、日向に強大な独立国を成していたが、大和朝廷に屈し、以後特殊能力を持つ集団として、国難の折に活躍してきた氏族だと言う。

大和朝廷の特殊能力を持つ氏族としては占部や忌部がるが、これらの氏族は中央に出仕し、儀礼化していったのに対し、伊美富は日向から動かなかった。そして母が伊美富の直系の子孫で現在、母だけがその特殊能力を持っていると言うのである。

全く信じられないような話で、母からもそんな話は今まで一度も聞いた事が無かったのだが、十人もの大人がじっと沙織を見つめる中で淡々と話す徳蔵という老人の言葉には信じざるを得ない迫力があった.

「伊美富の力は敵を見つけ出し、敵の意図を読み取る読心力と防御力です。私も多少の能力は持っていますが、一族を統括する力、伊美富の力、どちらも姫には遠く及びません。どうか姫に我々の長になって危機を救って頂きたい.その為に参上したのです。」

徳蔵は深々と頭を下げた。

「はあ、」沙織はまだよく分からずに生返事を返した.

「あなたも破魔降魔の長の姫、多くを語らずともお分かりのはず、今、私達が力を合わせなければ日本は滅びます。」

「破魔降魔の長って…?」

またしばらく徳蔵の説明を聞いていると玄関のチャイムが鳴った。徳蔵が出る。

「姫、殿下がお見えです。」と母に言った。

黒い背広を着た初老の男の後から、テレビで見た事のある皇太子がリビングに入ってきた。10人の男たちは平伏し、母と私はソファーから立ち上がった。

「突然、おじゃまして申し訳ありません。是非ともお力をお借りしたくて参りました。日本の国民のため、世界平和のため、是非是非、力をお貸し下さい。」皇太子殿下はそう言った。

「お役に立つことなら何でも致しますが、私どもにお役に立てる力などないと存じますが。」母がそう言うと。何と皇太子の後ろから父が現われた。

「危機が迫っているんだ。破魔降魔も伊美富も逃れられないんだよ。」と言った。

「あなたがそうおっしゃるのなら。」と母は頭を下げた。

「早速のご承諾ありがとうございます。」そういうと皇太子殿下は帰って行った。

初老の侍従が、

「では、後日皇居においで頂くことになると思いますが、また改めてご連絡致します。」

と言った。

 その晩、父が詳しく説明してくれた。兄は以前から少しは知っていたらしく、別段驚いた様子もなかったが、沙織には信じられない話だった。

「できれば、知らないまま一生を送ってほしいと思っていたが、そうもいかなくなった。

信じられないだろうけど、これから話すことは真実だ。」

沙織はいつにない父の真剣な表情に気圧されながら、話を聞いた。父の話はこうだった。

浜は破魔という字を使うのが本当で、非常に古い家柄である。破魔一族は長野から新潟に分布し、同族に江間家がある。これも本来は降魔と書く。破魔、降魔両家には特殊能力を持つ者が生まれる。普通は本人も気付かないで一生を終えるが、日本にとっての国難が生じたとき、その力が現れる。代々、うちが破魔、降魔の総帥で、何度も国難と戦って来た。そして、一番の能力を持って生まれたのが沙織だというのだった。

 

その4 登朝

3日後、宮内庁からの迎えの車が来て、3人で皇居に行った。車は桔梗門から入り、大きく左に廻って宮殿前に横付けされた.そこで車を降りた3人はタキシードを着た中年の侍従に先導され、千草の間に通された.廊下を歩く歩調は実に緩やかで、いつもせかせかと歩く癖がついている沙織にはむしろ辛く感じられた。

天皇陛下から「国民のためよろしくお願いします。」とお言葉を頂いた.父は短く「はい.」と答えただけで真のお辞儀をした.母も沙織も真の礼をした.沙織の家では小さい頃の躾は厳しかった.お辞儀のし方、立ち方座り方、障子の開け閉め、箸の使い方など5歳の頃からみっちりし込まれた。それが小学校3年頃から一言も言わなくなった.当然日々の生活の中ではそれを適当に崩してやっている.でも、いざと言う時は仕込まれた躾はきちんと蘇った。何流かは知らないがお辞儀のし方は、真、行、草の3種類.真は最も正式な礼で背筋を伸ばしたまま45度上体を傾け、視線は1畳先を見る。父も母も相手が外国人であってもこれを崩さない.相手から握手を求められない限り、こちらからは決して握手を求めない.マナーではなく、礼法で通す珍しい存在と言えた.皇居を退出すると、車は東宮御所に向った.

東宮御所では檜の間に通された。何とも広い和洋折衷の部屋で、庭に面した部分は大きな障子張りである。障子の上には明り取りがあり、とても明るい。絨毯の床に、間隔を空けて低いテーブルが3つ配され、座り心地の良い椅子がそれらのテーブルを囲んでいる。壁は床から2メートルの高さまで木目の通った檜の板張りで、その上は薄いブルーの土壁になっている。処々に絵は掛かっているが、凝った装飾は全く無い。ただ天井が高く開放感のある部屋だった。

 例によってゆっくりとした歩調で案内され、一つのテーブルについた。

沙織はこんな所に来るのは勿論初めてで緊張し、硬くなって座っている。父と母はいつもの様に行儀よく座ってはいるが、緊張した様子はない。

「お父さん、前にも来た事あるの?」と聞くと、

「ああ、この前一度来たよ。」とのんびりした口調で答えた。丁寧な言葉遣いと礼儀正しさはいつも通りだが、相手が学生であろうと天皇であろうと、さして変わらぬ態度で堂々としている父が何か大きな存在に思えた。

暫くすると皇太子殿下が部屋に入ってきた。3人は椅子から立ちあがり、無言で真の礼をした。殿下はにこやかに椅子を勧め、ご自分も席についた。

「先ずはこれをお返しします。」殿下は後についてきた侍従に目で合図を送ると、侍従達は古びた桐箱を一つづつ私たちの前に置いた。蓋を開けてみると母には勾玉、私には房のついた短刀だった。そして皇太子殿下の前には手のひらほどの銅鏡が置かれていた。どれも古道具屋で売れ残り、埃がかぶっていそうな代物だった。

「これが三種の神器です。一般に言われているものは儀式用の偽物です。本物はこんなに小さいんですよ。」皇太子殿下は自分の前の鏡を首から掛け、

「これが天皇家に伝わる八咫鏡(やたのかがみ)です。こうして首にかけて瞑目すると過去と未来が見えるのです。勿論力を受け継いだ者だけに見えて、それ以外の者にとってはただの銅鏡に過ぎません。歴代天皇全員がこの力を持っていたわけではありません。大体5人に一人ぐらいでしょうか、久々に私がその力を受け継いだ様です。

そしてこれが「八坂瓊曲玉」(やさかにのまがたま)です。もともとは伊美富の宝です。奥さん、いや、あえて伊美富日女(イミトミヒメ)とお呼びしましょう。あなたにお返しします。あなたの家に伝わる管玉とセットになっているものです。」

母はバッグから古びた桐箱を取り出した。中には麻紐と二本の管玉が入っていた。真中に八坂瓊の勾玉、左右に管玉を通し、母は首にかけた。

殿下は目を閉じ、話しを続けた。

「こうして鏡に集中すると私には過去や未来の映像が見えてきます。今見えるのは、どこか山の中で火柱が立ち、きのこ雲が湧き上がる恐ろしい光景です。山は紅葉していますから恐らく半年後ぐらいでしょう。この時、瞬時に数千人の命が奪われ、数万人の人が原爆症で苦しむ事になります。その後、雪景色の地方都市、恐らく函館でしょう、同様に火柱が立ちます。ついで新潟、博多、名古屋、仙台、大阪、東京と続く恐ろしい光景です。3000万人の命が奪われ、政治的にも、経済的にも日本は滅亡します。でも、同時に同じ場所で楽しそうにハイキングをしている私達の光景も見えるのです。未来は未定ということです。力を合わせ、この惨事を絶対に防がなければなりません。楽しいハイキングに行こうではありませんか。」

「恐ろしいですね。殿下が最初にご覧になったのは八ヶ岳の麦草峠の辺りです。」母が言った。沙織が不思議そうに母を見ると、

「私の能力は心を読み、その意図を知る事。いま、殿下の心を通して、殿下のご覧になったものを私も見たのです。今まではこんなにはっきりと見ることはできませんでしたが、この首飾りで力が数十倍になったようです。」

殿下は頷くと、沙織に向かって話し出した。

「沙織さん、いや破魔降魔の姫、これが天叢雲剣、別名を草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも言います。手にとって見てください。」

私が手に取って鞘を抜こうとすると、父が

「さかさだ、こっちが柄だ.」と言った.何と柄の方が長く、刀身の方が短いのだ.鞘を抜くと、ただの鉄に見えた刀身が、次第に光だし赤っぽい金色に変わった。

「オリハルコンでできているんですよ。」殿下が言った。

「最も固い金属、どんな高温でも溶けない金属です。」

「オリハルコンって、アトランティスやムー帝国でつかわれていたという伝説の…。」

「そうです。破魔降魔一族はムー帝国の子孫、ハマーコーマなのです。この剣はヤマタノオロチの尾から出てきたという伝説があるのをご存知ですね。大和が河内に進出する時、八部族連合と激しい戦いをしました。尾から出てきたと言うのは破魔降魔が最後まで服従しなかったということです。
 
 実際に大和の軍勢と戦ったのは
7部族で、破魔降魔とは戦っていません。初め大和は八部族連合に手も足も出せませんでした。破魔降魔の力が強大だったからです。でも時が経つ内、七部族は自分の勢力拡大をはかって寝返りや裏切りを繰り返しました。それを見て破魔降魔は次第に部族連合から離れたのです。そして最後に平和な国を作ろうという大和の呼びかけに答えてくれたのです。

 当寺、朝鮮半島も、中国も戦が続いていました。いつその戦火がこの日本の地に及ぶとも限らない情勢だったのです。だからこそ伊美富も破魔降魔も本当に力のある者は戦う事無く呼びかけに応じてくれたのです。

天皇家の力は過去と未来を見通す力でそれ以外の事はできません。伊美富は誰が敵かを見つけ、敵の意図を見通し、どんな攻撃にも耐える強い防御力を持っています。そして破魔降魔は非常に強い攻撃力があるのです。破魔降魔の長殿、その剣の力を沙織姫にお示し下さい。」

父は短刀を持ち、少し離れた所に立つと、不動明王の様に剣をかざし、目を閉じて神経を集中させた。突然、短刀から1メートルほどの金色の光の刀身が延び、低いブーンという音を発した。一、二秒で光りは消えた。

「沙織の成長に反比例する様に私の力は弱まっているようです。これが限界です。」と父が言った。

「おわかりいただけましたか、あなた以外の人にとってはこれはただの寂びた短刀でしかありませんが、あなたが持つと強力な武器となります。あなたの能力が全開になれば近代装備の一個師団の兵力とも余裕で戦えるでしょう。」と殿下が沙織に言った。

「どうして殿下は何もかもご存知なのですか。」

「私は能力があった歴代の大王、天皇の全ての記憶をうけついでいるのです。今もこうして目をつぶると、私の祖先の大王とあなたの祖先の長が話し合っている光景が見えるのです。伊美富がそうであったように、破魔降魔も自らの力を封印し、大王家に預けたのです。」

ノックがして二人の男が入ってきた。

「侍従の齋部(さいべ)と占部(うらべ)です。私は公務がありますし、立場上、表面に出る事ができません。この二人が私の代わりとなります。」

 先日沙織の家に来た背の高い初老の侍従が齋部だった.占部はまだ30そこそこと言ったところか.二人は三人に挨拶をした。占部が盆に載せた2枚のカードを差し出し父と母に渡した。沙織の分は無かった。占部さんの説明によると菊水会のゴールドカードというもので、クレジットカードであるという。どの銀行からでもいくらでも現金が引き出せると言う。ただしクレジットカードとして使えるのは100店舗あまりの超一流店だけで、このカードを扱うことができるということは超一流店の証でもあるという。ちなみに銀行の現金引出しができないシルバーカードが100枚程度発行済みで、ゴールドカードはこの2枚だけということだった。

「今後の活動資金に使ってください。勿論生活費にも当ててください。お好きな物をお好きなだけ買っても構いません。それから破魔降魔の長殿。今日から教授と呼ばせてください。」と殿下が言った。

「あの、私はまだ準教授ですが。」

「いえ、今日から○○大学の客員教授になって頂きたい。そして、今回のプロジェクトの総指揮をとって頂きたいのです。」

「わかりました。謹んでお受けします。」父はすわったまま深々と頭を下げた.

今度は占部さんが説明を始めた。

「プロジェクトチームの人選は教授にお任せしますが、自衛隊から2人、警察庁から2人、宮内庁に出向と言う形で協力してもらうことになっています。また、国内にあるいくつかの施設もお使い頂けるよう手配しました。施設の警備は皇宮警察に出向している自衛隊員にお願いしてあります。」

殿下が話を続けた。

「実は、先ほどのあのイメージは2年前から見えていたのです。勿論もっと漠然としたイメージでした。天皇家の能力についてはその時はまだ何も聞かされていませんでしたし、私も近代教育を受けた身です。何か行動を起こすべきだと決心するのに二年もかかってしまいました。せめてもう半年早く決断していれば、あなた方ももっと充分な準備ができたのにと悔やまれます。」そういって軽く頭を下げた。

 

東宮御所を辞して、久々に三人で神宮外苑を散歩した。5月の末、新緑が目にやさしかった。植え込みのさつきも見頃で、散歩には丁度よい季節であった.

「陛下も殿下も良い人ね。」沙織が言った.

「そうね、邪気というものが全くない方々ね。純粋に国民のことを考えていたわ。」

「ああ、俺もできることは何でもしようという気になったよ…。でも、一体、何から手をつけたらいいのか皆目見当がつかないな。」と父。

「そのうち何かが見えてきますよ。でも、一体誰が何の為に原爆なんか爆発させるんでしょう。」

「テロ組織の、資金調達のためのゆすりじゃないかな。」

「でも、それだったら大都市を次々に襲う必要があるのかしら。日本政府は弱腰だから、すぐお金払っちゃうんじゃないですか。」

「金額によるさ、原爆まで使おうと言うんだ、そう半端な要求じゃないだろう。外貨準備高より多い要求だったら、アメリカに黙っている訳にもいかなくなる。するとテロに屈した事になって都合が悪い、ずるずると時間が経つうちにドカンじゃないかな、それでも払わなければ、またドカンだ。テロリストも政府も引くに引けない泥沼にはまる…。」

「そうね、先進国で一番危機意識がないのが日本でしょうし、お金が取れれば十分な活動資金が手に入り、同時に先進国が牛耳っている資本主義経済に打撃を与えられる…。万一取りそこなっても、世界に与える衝撃は大きいですね。」

父と母が並んで話しながら歩いている.沙織は後ろからついて行くだけで、話に入り込むすきはなかった.その後散歩中に沙織が言った言葉は『お花きれいね』と『何か飲もうよ』だけだった.暫く二人の話は途切れた後、ぼつりと父が言った.

「でも、何で最初が長野なんだろう。」

「長野は日本列島のど真ん中、次は日本中どこでもありとみんなが思う場所だからじゃないですか?」

「そうだな、まあ、誰が何の為にということより、先ずは八ヶ岳に行って何か手がかりを見つける事だ。お前なら原爆を見つけられないまでも、それを運ぶやつの心は読めるはずだ。」

「そうですね、長野に能力者を集めましょう。占部さんお願いできるかしら。」

「はい、かしこまりました。」

沙織は後ろを振り返った。でも、誰もいない。

「いま、占部さんの声が聞こえたわよね。」

「聞こえたわよ。あら、やだ、まだ気がつかないの、テレパシーよ。散歩始めてからずっとしゃべっていたのは沙織だけよ、私もお父様も一言も声には出してないのよ。」

「えっ、私、テレパシーできるの?」

 

その5 バスラ

バスラの何の変哲もないビルの一室に中学教師だったホラニーがいた。ビルと言っても3階建ての古びた建物である.十四五才の少年アリと二十歳ぐらいの顎髭をたくわえたハッサンが左右に座っている。かつての教え子のアッカドを訪ねたのである。

「君に頼みがあってやってきた。先ずはこれを見てくれ。シュメールの星と呼ばれている。バクダットの博物館からハッサンが持ち出した物だ。」直径3センチはありそうな見事なブルーダイヤモンドを真中に置いたネックレスだった。アッカドは少しよれた白い背広の内ポケットからメガネを出し、ネックレスを手に取ってしげしげと見た.

「見事な物ですね。でも、先生が何故こんなことを…。」

「復讐だよ。アメリカが仕掛けてきたあの湾岸戦争だ。私の家族はアメリカのミサイルで殺された。軍事施設も何もないのに。学校から帰ると家は瓦礫の山だった。年老いた父も母も妻も子供達もみんな殺されてしまった。夕食のテーブルを囲んで私が帰るのを待っていたんだ。あの焼けだれた無残な家族の姿は今も目に焼き付いて離れない。アリもハッサンも私の教え子だが、やはり家族を殺された。私達は復讐を誓ったんだよ。」

ホラニーは淡々とした口調で言った.

「それはどうも、お気の毒です。先生には色々とお世話になりました。私のできることなら何なりと致しましょう。」

「ありがとう。君なら表は勿論、裏の世界にも通じていそうだ。このシュメールの星で原爆を手に入れてもらいたい。そして我々3人をアメリカに行かせてくれ。それと多少の活動資金があるとありがたいのだが。」

「それはいくらなんでも無理ですよ。確かにこの宝石の買い手はなんとか見つけられるかもしれませんが、原爆はとても…。」

「嫌ならば無理にとは言わないよ。私達はただのもと教え子と教師だ、危険を伴うことだからね。そうだ、返事を聞く前に一つ君にも見せておこう。」

ホラニーはアリからスプーンを受け取ると柄を持って前に突き出した。スプーンは柄を持っているだけなのに右に左にくねくねと曲がり、またもとの形に戻ったと思った瞬間、先端部がポトリと落ちた。

「私は瓦礫になった家で何もせずに1月過ごした。家族を思い出しては泣き、怒りに身が震え、憎しみがこみ上げてくる。その繰り返しの1ヶ月だったよ。そんなある日、私に特殊な能力があることに気付いたんだ。怒りに身が震えた時、持っていた鉄棒が曲がったんだよ。それから数日してアリがやってきたんだ。私に呼ばれた気がしたと言うんだ。アリは米軍に目の前で家族を射殺され、バクダットの孤児になっていたらしい。道端でうずくまって寝ていると私の声が聞こえたと言う。確かに私も教え子達がどうしているかと考えたさ。まあ、テレパシーというやつだね。アリと二人で暮らすようになって、今の教え子は勿論、かつての教え子の事を一人一人考えてみた。すると今度はハッサンがやってきた。この宝石を持ってね。

私は自分の力がだんだん増していることを感じ、同時に力のコントロール法も研究したよ。今ではかつての教え子が今どこで何をしているかが分かるようになった。それで君の居場所も仕事もわかったというわけだ。私のわずかな蓄えももうそろそろ底を着くんでね、行動を起こすためにはるばるバクダッドからやってきたんだよ。繰り返すが無理じゃなくていいんだよ。他に宛てがないわけじゃないからね。」

そう言うとホラニーは立ちあがった。ハッサンが宝石をしまい、後に続いた。

「待って下さい先生。やってみますよ。実は私も息子を…。」

「そんな嘘をつかなくてもいいよ。今、君が考えている事を言ってみようか。『この宝石は五、六十万ドルにはなるだろう。二十万ドルぐらいで手に入る原爆があるという噂を聞いている。あと十万ドル先生に渡したとしても、二、三十万ドルは儲けられる。』そうだろ?私には人の考えている事も分かるんだよ。でも、それでいいんだよ。三十万ドルは君の物だ。」

「恐れ入ります。でも、原爆はさすがに裏の市場にも出ていませんし、通常はその何十倍の価格のものです。可能性としてはロシアのどこかに、個人的に原爆を作っている学者がいるということで、それを手に入れるしかないのですが、うまく行くかは私にも分からないのです。」

「それでいい、やって見てくれ。」ホラニーはそう言うと、泊まっているホテル名を告げ出て行った.

 

その6 佐渡

沙織は父と佐渡に来ていた。学校は長期欠席の届けを出した。母はラー達の世話と、荷造りのために渋谷の家に残っている。父方のおじいちゃんは佐渡の出身だとは聞いていたが、沙織が佐渡に来るのは初めてだった。近い親戚は皆千葉、埼玉に引越し、今は佐渡には誰もいない。ただ、浜家の山林は残っているらしい。両津で4WDを借り、山に入った。山道を一時間ほど進み、更に徒歩で三十分歩いた。一応道はついているが雑木林がうっそうと続き、巾三十センチほどの小川には猫目石や色とりどりの水晶が小石に混ざっていた。

「すごいね。宝の山じゃない。」と言うと。

「一個十円にもならないよ。」と父は夢のないことを言う。この辺一帯は浜家の山らしい。

「この水飲める?」

「ああ、美味しい水だよ、一休みするか。」と父は木蔭に腰を下ろした。

私は小川の水を手ですくって飲んだ。凄く冷たかったが、美味しくて三杯も飲んだ。父の隣に腰を下すと何か清涼感があった。

「この上が『瀬の上』って言って池があるんだ。池の真中に岩があるんだけどそれがピラミッドの頂上になっている。」

「ピラミッド?」

「ああ、破魔降魔のピラミッドだ、上から土をかぶせてあるからただの山にしか見えないけどね。」

「へえ、そんなのあるの。でも、ここ何かいい感じ。」

「ああ、お茶の香りだろう。この木はお茶の木だよ。」

「お茶の木ってこんなに大きくなるの。」

「茶畑の木は刈り込んで手入れしてるから背は高くならないけど、ここでは誰も手入しないからね。」

「お茶の木って佐渡で自生してるの?」

「いや昔、誰かが植えたんだろう。浜家には『十日の婆さん』という言い伝えがあるんだけど…、まあまた、ゆっくり話してあげるよ。」と父は立ちあがった。更に十五分歩いた所に窟屋があった。

「ついたぞ。ここがおまえの修行の場だ。」

「えっ、ここに泊まるの?」

「勿論だ。第一ここが一番安全だ。破魔降魔の力がこの山にはあるから、敵は近寄れないはずだ。まあ、中に入ってみろ。居心地のいいようになっているはずだ。」

狭い入り口を入って五メートルほど進むと洞窟は右に折れ、更に五メートルほど上り坂を登ると割と広い空間に出た。大型テントが二張り張られ、所々に蛍光灯が下げられていて結構明るい。

「やあ、沙織さん丁度昼飯が出来た所だ。イタリア風チーズチキンソテーだよ。」

「あれ、お兄ちゃん来てたんだ。」

「昨日、江間二尉と来たんだ。この施設は古山一曹がやってくれたんだ。」

テントの奥のさらに奥に続く洞窟から懐中電灯の光が差し、人影が現われた。女性だった。二十代半ばだろうか、引き締まった身体に戦闘服が似合っている。

「沙織さんね。江間二尉です。あなたの武術指導と基礎能力開発を担当します。」

その後ろから三十代後半といった体格の良い男が現われた。やはり戦闘服を着ている。

「古山一曹です。施設の整備、警備、調達、運搬、まあ、何でも屋です。よろしく。」

そう言うと、後から入ってきた父を見て二人は敬礼した。

「さあ、昼飯にしましょう。」と兄が言った。

昼食後兄が洞窟内を案内してくれた。

テントのある広間から更に奥に十メートルほど進むと人工的に石を積んで造った構造物に変わった。道は左右に分かれる。先ず右に曲がった。

「ここは千五百年前に造られたピラミッドの中だよ。上には土砂がかぶせられてただの山になっているけど、エジプトのピラミッドと同じ形をしているらしいんだ。」兄が説明する。

壁は切石を積んで造られ、天井は巨大な一枚岩できている十メートル四方ぐらいの広間に出た。

「ここがピラミッドの中心。この山のパワーの源だよ。ここで能力開発の修行をするんだ。」

「お兄ちゃん前に来た事あるの?」

「中二の夏休みに父さまに連れてこられて、一週間修行をさせられたんだ。その時は何年も人がはいっていなかったから電灯もなくてもっと不気味だったよ。」

「修行って何するの?」

「まあ、瞑想、神経集中訓練だな。」と言って、兄は石壁の窪みに置かれた箱から何かを取出した。「これ、何だかわかる?」と奇妙なものを取出した。「五鈷杵(ごこしょ)って言うんだ。京都行ったとき、これを持った仏像を見たことないか?煩悩を払い魔と戦う密教の武器とされているけど、本来はムーの武器だったんだ。」

長さ二十センチ位で、真中ににぎりがあり両端が丸くなっているが、丸い部分は爪状のものが五つ内側に向いて球状になっている。兄は神経を集中させ、ピストルを撃つように五鈷杵を水平にかざした。五鈷杵は赤みを帯びた金色に輝き出し、2メートルほどの糸の様に細い光りを発した。

「すごい、何今の。」

「ちっとも凄くない。俺の力はこんなもんだ。よほどの至近距離じゃないと武器にならないよ。」

「能力が高い者なら、もっと太い光りとなって、剣としても使えるし、光線銃としても使えるんだ。能力次第だけど、射程距離は二百から三百メートルはある。」

「ちょっとやってみ。」と兄が差し出した。

「ああ、逆だ。こっちのポッチがついているほうが前だ。」

沙織がやってみると光りは三十センチほどしか延びなかった。

「初めてにしては上出来じゃないの。」と兄は慰めてくれた。

もう一つの部屋に行って見た。八畳ぐらいの広さだが、壁中が書棚になっていた。真中には大きなテーブルが置かれ、コンピューターがあった。

「ここが記録室だ。この東と南の棚は木簡と竹簡だ。一世紀から七世紀頃までの記録だね。こっちの棚が紙の古文書。それ以降の記録だよ。そしてこの箱が正体不明のチップだ。ムー時代から紀元前までの記録だと思うんだが、解読不能だ。そしてこれが俺が組みたてた無敵のコンピューター。三つのソフトを組み合わせ、塩少々にコショウを降りかけ足して引いて掛けて割った古文書解読ソフト内臓だぞ。古文書をスキャナーで取って、ここをクリックすると、古典苦手人間の沙織さんにも読めるようになって出てくるんだ。すごいだろ。」

△△大学薬学部3年の兄はオタクだ。家にいるときはめったに自分の部屋から出てこない。趣味は料理で母が出かけた時はおいしいものを作ってくれる。それ以外はめったに顔を見ることがない。夜昼逆転、神出鬼没だ。このところ夜中に何かがさごそやっているので、何かヤバイ薬でも作っているのかと思っていたのだが、私の為にこのコンピューターとソフトを作ってくれていたのだ。

「そんで、このアイコンが情報分析ソフト…。」兄の説明はまだ続いていた。

 

その七 カロリーフレンド

翌日から訓練は始まった。父は長野の基地作りのため早朝帰って行った。訓練は大体、先ずランニング、午前中は剣道、午後は空手、夜は瞑想といったものだったが、私にとってはかなりきついものだった。ランニングも、最初はショートコース、ミドル、ロングと、日がたつに連れてハードになるよう、科学的にメニューが組まれているのだが、一週間目のロングコースなどは、ただ走るだけではなく、道なき道を走り、岩山をよじ登り、谷を飛び越え、崖を飛び降りるといったとてつもないコースだった。夜の瞑想の時間は居眠りどころか爆睡状態だった。

 兄は一週間つきあってくれた。朝、昼、晩の食事から、おやつ、デザートまで作ってくれた。私の好きなもの中心で、カロリー計算までして、この訓練中の唯一の楽しみにもなっていた。

「お兄ちゃん、私、本当に特殊能力なんてあるのかな。五鈷杵の光だってちっとも伸びないし…」

「まだ、一週間だぞ。オリンピック選手だって何年も訓練してやっと記録を出せるんだ。あせるなよ。」

「でも…、キャ。」っと言って飛びのいた。足元に三十センチはあろうかという大百足が這っていたのである。

「虫大好きの沙織さんも、苦手かな?よく見てみ。」

恐る恐る近付いて見ると、ただのシダの葉だった。

「実は今、テレパシーで『大百足だ』って送ったんだよ。よくは分からないけど、特殊能力の基本はこんなもんじゃないかなって思うんだ。つまり、相手の脳波に働きかけて相手の力で相手を動かす。勿論、念動力も、テレポーテーションもあるんだろうけど…。」

「ありがとう、お兄ちゃん。」

「ああ、そうだ、これを渡しておこう。」と兄はプラスチック製の大きめな薬箱を私の前に置いた。

「一段目は、市販の風邪薬や消毒薬だ。二段目が特別調合、無敵印のこのピンクのが体力増強剤、黄色が栄養補給剤、そして青が精神集中剤だ。」

やっぱり夜中にあやしい薬も作っていたのだ。それにしても、このカプセルの毒々しい色は何だろう。

「そして三段目。小腹のすいた時のスナック、無敵のカロリーフレンドだ。これがバナナ味、そしてこっちがチョコレート味、そして…。」

ネーミングに工夫がないとは思ったが、兄のやさしさが身に染みた。 

 兄が帰った後は古山一曹が料理担当となった。江間二尉に「料理はしないんですか?」と聞くと、「私は体育会系で、そういう化学的なことは苦手だ。」で終わってしまった。「私も文系志望ですから、化学は苦手です。」といった。その結果、化学的なことは古山一曹の担当ということになったのだった。味は決しておいしいとは言えなかったが、私は作ることすらできないので、文句は言えなかった。結局、唯一の楽しみは、兄のカロリーフレンドだけとなってしまった。

その八 アリ

うなされて十五歳になったばかりのアリは飛び起きた。隣のベッドに寝ていた元中学教師のホラニーが言った。

「辛い夢を見たね。今まで君は詳しい事は何も言わなかったけど、いま、君の夢を通して見せてもらったよ。」

「あいつはお母さんも妹も皆撃ち殺したんだ。撃ち殺した後、笑っていやがった。」

アリは拳を握り締めて一点を見つめていた。

「お父様は立派な最後だったね。家族を守るために…。」

夕飯の仕度を終えて、家族が居間に集まった時、突然家の前で銃撃戦が始まった。逃げる暇もなく米兵が銃を乱射しながらドアを蹴破り家の中に飛び込んできた。祖母が流れ弾にあたり、アリの父は家族をかばって立ちあがり、『武器はない。』と大声で叫び続けた。アラビヤ語のわからない米兵は『ゲリラはどこだ、言わないと家族を打つぞ』と家族に銃を向けた。双方言葉は通じなかった。父は家族に向けられた銃を振り払おうとした。銃が火を噴き、天上に無数の穴が開いた。アリの父は後から飛び込んできた米兵に蜂の巣にされ、最初の米兵も家族全員を撃ち殺した。

「僕は恐くて動けなかった。隣りの部屋で振るえながら見てたんだ。僕は臆病者だ。」

「そんなことはない。君が飛び出したとして何ができる。そうすれば家族が喜んだと思うかい。」

「あいつは許さない。絶対許さない。」握り締めた拳がわなわなと揺れている。

「戦争は人を気違いにする。あの米兵も普段は普通の人間なのかもしれない。笑ったのではなく、自分が咄嗟にしてしまった事に驚き、顔が引きつったのかもしれない。でも、戦争を始めたのはアメリカだ。家族を虐殺し、ごく普通の教師と生徒だった我々を戦争に巻き込んだのもアメリカだ。国家利権の為に他国を侵略し、私利私欲の為に人々を虐殺する奴らは悪魔だ。私は君達に平和の大切さを話し、コーランの人の道についても話してきた。しかし悪魔は倒さなければならない。あの一人の米兵を憎むのではなく、金と富の為に魂を売り払ったアメリカという社会を覆すのだ。」

アリの顔は憤怒のため紅潮し、握り締めた拳は爪が食い込み、血が滲んでいた。突然アリの両眼から細く青白い光線がひらめき、パンといってテーブルの花瓶が砕け散った。アリがじっと見つめていた一点がその花瓶だった。

 

その九 ケルチ

三人はウクライナ共和国、クリミア半島最東端の町ケルチ市の安宿にいた。ケルチは黒海とアゾフ海をつなぐ海峡の町で、戦略的にも交易の要としても重要な場所だった。そのため古くから各国による争奪が繰り返された町である。かつての教え子、今は武器商人のアッカドの手配で、ロシアマフィアのペレネ−エフとここで会う手はずになっていたのである。

安宿のロビーに現われたのは本人ではなく、使いの男だった。その男に促されて外に出るとメルセデスが停まっていた。三人が後部座席に乗り込むと、車は静かに発進した。助手席に座っている男が振り向かずに言った。

「ホラニー先生、品物はトランクの中です。ただ、あと五万ドル必要です。お支払い頂けますか。」

「あなたがペレネ−エフさんですか。」

「そうです。」

「核弾頭の闇の価格を知っていますか?」ホラニーが言った。

助手席の男がピクリと動いた。

「勿論、知っていますよ。」

「と言う事は、トランクの中身は偽物だ。」

「はは、では取引は現物を見て頂いてからにしましょう。」

そう言う間に車は港のはずれに着いた。ペレネ−エフは車から降りるとトランクを開けて見せた。

「どうですか?」

「核弾頭の闇の値段は2億ドル。私が五万ドル払ったとしても二十万ドル。本物のわけはないだろうね。」とホラニーが言った。

「ご存知でしたか。」とピストルをポケットから出した。運転していた男もホラニー達の後ろからピストルを向ける。

「いや、さっき君の心を読んで知った事だよ。そんなものでどうするつもりかね。」

「有り金全部頂きましょう。」

「いくら人気の少ない場所だからと言って、ここでそれを撃つのはまずくないのかね。」

「心配ご無用。」

パンという破裂音と「ギャ」という悲鳴が同時にした。運転していた男の銃が突然暴発したのだ。同時に三人の周りに青白い透明のバリアーが現われた。

「動くと暴発しますよ。ゆっくり引き金の指を外して、下に置きなさい。」そう言われたペレネ−エフの顔は蒼白になっていた。超能力があるとは聞いていたが、まさか本当だとは思っていなかったからだ。

「相場がどうあれ、商談は成立済みです。金はもう支払われたはず、本物を頂きましょう。」とホラニーの口調は落ちついたままだった。

「わかった。でも、核弾頭はここにはない。以前アッカドに話した原爆は手作り爆弾だ。頭のおかしい物理学者が作っているらしい。」

「その学者はどこにいる。」

「イルクーツクだ。」

「いいだろう、手はずをつけてくれ、もし、その原爆が手に入らない時は君も、君の家族も悲惨な死を迎えることになるからね。私はいつでも君がどこにいるかわかるということも忘れない様に。」とホラニー言った。

数日して三人はケルチを後にした。船でアゾフ海を渡り、ロストフまで行き、そこから鉄道で北上してモスクワ、シベリア鉄道でイルクーツクまで行くのである。

その十 訓練

沙織が佐渡に来て2週間が過ぎた。

「剣道も、空手も、特殊能力もちっとも進歩しない。私、本当にそんな素質あるんでしょうか。」

「体力だけは間違いなくついているわ。特殊能力は体力に比例するの。教授はよく自分の能力は低下したとおっしゃるけど、低下したのは教授の体力。毎日お酒飲みながら本ばっかり読んでいるんでしょ。体力が落ちるのは当然。」と江間二尉が答えた。その間沙織は江間二尉に念を送りつづけた。

「あら、可愛い百足…じゃなくって葉っぱ。」と言ってシダの葉を拾い上げた。

「特殊能力も進歩してるじゃない。居眠りしてる割には…。」といってにっこり笑った。

「やっぱり、ダメですね…。」

「相手が私だったからよ。普通の人なら十メートルは飛びあがって驚いたはずよ。さあ、ランニング行くよ。ここでの修行は今日でおしまい。」

「えっつ、本当ですか?」

「三日間のお休みが待ってるわよ。」

「たった三日ですか。」

「危機が迫ってるのよ。皆死んじゃうかもしれないのよ。三日間でも大サービスなの。」

二人はコースを駆け出した。沙織も自衛隊の戦闘服。鉄のヘルメットが重い。トレーニングの為に防弾チョッキも着けている。走るごとにその重さが増してくるようだ。草や雑木を掻き分け走る。そこをやっと抜けたかと思うと、今度は岩登りだ。滑らない様に三点支持で登るのだが、もたもたしていると江間二尉が小石を投げつける。それも避けなければならない。今日は初めて一つ投げ返した。これも訓練なのだ。崖を登るとゆるやかな下りになる。棒を持って木に括り付けられている的を叩きながら一気に駆け下りる。的は十二個、一つ打ちそこなった。三メートルの崖を飛び降り、山道を駆け上る。戦闘靴が重い。ぜえぜえと息が切れてくる。射撃ポイントまで全力で走り、ピストル型空気銃を三発撃つ。的を外すと腕立て伏せ十回だ。始めは一回もできなかった腕立て臥せも、十回出来るようになった。また走り、出発点の窟屋に戻ると五メートルのロープ登り、一番上の鐘をたたいてコースが終わる。

「三十二分十八秒。まあまあだね。」

沙織は、ぶっ倒れている。

「十五分休憩。ヒトマルマルマルに防具を着けて黙想開始だよ。」江間二尉は水筒の水を一口飲んでそう言った。

沙織は爆発しそうな心臓が少し納まると、水筒の水を飲み、頭からかぶった。沙織は素直な性格で、不平不満は感じない方だが、ランニング後は必ず『なんで私がこんな事しなきゃいけないんだ。』と思うのだった。

その十一 カーチェイス

両津から高速船に乗り、新潟港についた。ここまでは江間二尉が送ってくれた。母がうちの超旧式BMWで迎えに来てくれていた。

「あら、ずいぶんと筋肉女になったのね。」と母は私をからかった。

「新幹線の方がいいのに、車なの。私酔っちゃうよ。」

「誘拐されたら大変でしょ。人ごみの中だと、ナイフでブスリってことだって考えられるしね。」

「私を狙ってるの、一体誰なの?」

「金で雇われたヤクザよ。殺し屋も増えたみたいよ。殺し屋は中国マフィアね。」

「誰が雇ってるの?」

「Mっていう超能力者。ガードが固くて心が読めないの。」

二人は車に乗った。

「長野で会いましょ。とびっきりの楽しいコース用意しとくからね。」

と江間二尉が分かれ際に言った。

「お手柔らかに。」と沙織も手を振って、車はスタートした。

「カーナビ着けたんだ。」と沙織が言った。

「カーナビだけじゃないわよ。三百万かけて大改装したんだから。」

「えっつ? ちっとも変わってないみたいだけど…。第一、そんなにお金かけるんなら新しいの買えちゃうじゃない。」

「この車、お父様が気に入ってるでしょ。お父様メカ音痴だからカーナビ以外改装したこと気がつかないと思うけど。ガラスは防弾ガラス。ボディーの中にも鉄板入れて、タイヤも替えて…あら、早速お客さんね。」

「お客さんって?」

「殺し屋よ。」

「うそでしょ。」

「間違いないわ。振り返らないで。まだ気付いてないふりした方が良いわ。」

「でも母上、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)あるから、殺し屋なんてへっちゃらなんでしょ。」

「それがね、夕べお風呂入った時、外してね、洗面所に忘れてきちゃったのよ。」

「えー、またやったの。」

母はいつもそうだ、携帯がない。メガネがない。財布はどこだ。出掛ける時はいつも探し物で大騒ぎ、騒がない時は忘れ物をしたこと自体に気付いてない時なのだ。

私は母を母上、父をお父さんと呼ぶ。兄は、とうさま、かあさまだ。お父様、お母様と呼ぶように躾られたが、小三の頃に何か恥ずかしくて、今の呼び方に変えた。兄もその頃に、「お」をとったらしい。

「沙織、シートベルト大丈夫ね。そろそろブッチ切るわよ。つかまってなさい。」

そう言うや否や急加速した。この辺の関越道は二車線。追い越し車線を走っていた母は、見る見る後続車を引き離した。振り返ってみると黒のメルセデスが二台並んで両車線を追いかけてくる。向こうも加速は悪くない。ぐんぐん迫って来る。すぐ後ろのメルセデスの助手席の窓が開き、ビストルらしいものが見えた。母は急に左車線に変えたかと思うと、時速百八十キロのままインターチェンジを下りた。後ろのメルセデスは間に合わず、インターチェンジを通り越した。

母はブレ―キをいっぱいに踏んで減速し、カーブを乗りきって一般道に出た。

「もう、死ぬかと思ったじゃない。」

「あのままだったら、死んでいたわよ。いくら新品のタイヤでも鉄砲玉にはかなわないわ。あら、まだいたのね。」

後ろからまた別の黒のメルセデスが二台ついてくる。

「四台もいたわけ?」

「そうみたいね。山の方へ行くわよ。つかまってなさい。」

「私、車酔うんだってば。」

「袋、そこにあるから。お父様に叱られるから車汚さないでね。」

国道を逸れ、上下一斜線ずつの県道に入った。山道となりくねくねとカーブが多い。夕暮れが迫っていた。BMWはスピードをぐんぐん上げた。メルセデスもついてくる。ピシッとリアウインドウに何かが当たった。

「気が早い連中ね。暗くなるまで持たせないとね。沙織、思念の訓練した?」

「ちょっとだけお兄ちゃんに習った。」

「後ろの車の運転手にこの車のテールランプが真っ直ぐ走ってるように見せて。」

そう言うとハンドルを右に左に切っている。もう大分山道になっている。それでもスピードは落さない。急カーブでもサイドブレーキを引きながらキュッと曲がる。メルセデスも引き離したと思うと、またすぐ後ろにいる。ピシッとまたリアウインドウに音がした。

「トランクに穴でもあけられたらお父様に叱られるでしょ。早く思念送りなさい。」

真後ろのメルセデスがカーブを曲がりきれずにガードレールをブチ破って崖に飛び出した。

「あっつ、一台落ちた…。死んじゃったかな。」

「あんたね、殺されかけてるのはこっちなのよ。敵の心配するより、私達の心配しなさい。」

「うん。」

「大丈夫よ。シートベルトにエアバック、爆発炎上でもしない限り、メルセデスは死なないの。」

「うん。」

沙織は必死につかまりながら、それでも目を閉じて思念を後ろに送った。

すると後ろのメルセデスがカーブを曲がろうともせず、直進して崖に突っ込んだ。

「できるじゃない。」

やっと、減速すると車を止めた。

「どう、私の運転テクニック、A級ライセンス並でしょ。」と自慢げに言う。

沙織は車から飛び降りると道端にうずくまった。

「気持ち悪い。酔った。」

手に五鈷杵を持っている。

「あれ、あなた五鈷杵持ってたの。早く言えば良いのに。」

「でも、私これまだ使えないの。」

「沙織が使えなくても、私は使えるのよ。」

「破魔降魔の武器って聞いたけど、母上も使えるの?」

「何言ってるの。五鈷杵は古代の標準装備よ。超能力者なら誰でも持ってたのよ。」

「じゃあ、母上のもあるの?」

「勿論あるわよ。」

「じゃあ、自分の使えばよかったじゃない。」

「だから、うちの面所に忘れたて言ったでしょ。」

「それは勾玉でしょ。」

「一式そっくり忘れてきたのよ。」

そう言いながら、母はもと来た道を戻ろうとして方向転換を始めた。

ガンと後ろのバンパーで音がした。バックしてガードレールにぶつけたのだ。

「あら、やっちゃった。お父様に叱られるわ。」そう言いながら車を降りて、へこんだバンパーを撫でていた。

その十二 推理

久ぶりにラーと千夜と一緒に寝た。やっぱり自分のベッドが一番良い。十時間休み無しに寝てやった。起きた時、少しふらついた。バスタブに目一杯お湯を溜めて朝風呂に入った。佐渡では簡易シャワーだけだったので、一ヶ月ぶりのような気がした。

居間に行くと母がテレビを見ながらコーヒーを飲んでいた。

『北朝鮮の工作船と思われる船数隻が昨夜日本近海で発見され、海上保安庁の巡視船と交戦、二隻が自爆、一隻が逃走中です。』テレビが報じていた。

「ここんとこ多いのよね、国籍不明の不審船。」

「ねえ、千夜達長野に連れてっちゃだめかな。」

「そうねえ、三匹全部は大変だけど、千夜だけなら良いんじゃない。」

「母上も長野に行くんでしょ。」

「行くわよ。」

「ラーとクリの世話は?」

「幸太郎がするでしょ。」

「お兄ちゃんだけで大丈夫かなあ。ところで、お兄ちゃんは?」

「二、三日顔見てないわね。」

「また、引きこもり?あやしい薬作ってんじゃないの。」

「この前作ってくれたのカプセルがドピンクよ。まあ、結構利いたけど。」

千夜が膝に飛び乗った。ラーは足元でスリスリしている。

「今日はビデオでも見る?一緒に借りに行ってあげるわよ。」

「友達に会いたいけど、だめだよね。」

「止めといた方がいいでしょうね。沙織は思念のコントロールできないから、敵の超能力者に『ここにいますよ』って大声で叫んでる状態だから。」

「エッ、そうなの?」

「そうよ。超能力が増した分、大声になっているわ。私のそばにいる時は大丈夫だけど。」

「昨日は襲われたじゃない。」

「だから、勾玉を忘れちゃったからよ。」

「じゃあ、私が勾玉持ってりゃいいんだ。」

「そうねえ、私の娘なんだから、伊美富の力も受け継いでいるかもね。今度試してみましょう。」

「敵のMって何者なの?」

「超能力は大したことないみたいだけど、心を読まれない訓練を大分積んでいるわ。恐らくもう一人、アンテナ役がいるわね。アンテナ役が沙織の居場所を見つけて、Mに伝え、Mが殺し屋に指令を出してるのよ。ヤクザも殺し屋もMという男の指令で動いているだけで、何も知らないし…、現時点では私が掴んだ情報はこれだけよ。」

「でもさあ、ヤクザを動かしたり、殺し屋雇ったりするんだから、資金は豊富よね。それに、母上に心を読まれないようにしたり、私を襲ったり、こっちの事全部知ってるみたい。」

「それはどうかしら。今,結構不景気だから、ヤクザや殺し屋だって安く使えるのよ。敵にかなりの超能力者がいることは間違いないわ。その超能力でヤクザや殺し屋の弱みを見つけて、それを握っていれば、只でも動かせるのよ。また、私達の事だってほとんど何も知らないはずよ。その証拠に、先ずあなたを誘拐しようとして失敗。単に敵の超能力者がほっとくと強敵になりそうなあなたを感知して、調べようとしたのね。そしたら、そのペットも超能力を持っていて失敗。」

「エッ、クリや千夜達超能力あるの?」

「うちのぺっトだもの、当然あるわよ。危険探知能力と、数日程度の予知能力だけだけどね。」

「それで、あの時、『行かないで』って鳴いてたんだ。」

「クリは柴犬よ、羊の番なんてしないのよ。」

「それで何だっけ。」

「それで、敵の超能力者は驚いて、うちの家族を調べようとしたのよ。そしたら家全体にシールドが張られていて何も読めないわけ。」

「それで、『皆まとめて殺しちゃえ』ってわけね。」

「そんな所だと思うんだけどね。もしそうなら、敵は今ごろもっと訳がわからなくなっているでしょうね。だって、昨日、私超能力使ってないんだから。私のこと、プロのエージェントだと考えたかもね。」

「バックしてガードレールにぶつけるA級ライセンスのエージェントね。」

「そういうこと言うと、ビデオ借りに行ってあげないから。」

その十三 長野

「やあ沙織、元気だったか。」

私が車から降りると、父がニコニコしながら出迎えてくれた。

「元気は元気なんだけど、もう筋肉少女よ、お嫁に行けないわ。」

「はは、デブよりいいさ。」

ここは長野県茅野市から八ヶ岳に大分入った山奥だった。

「ここは長野破魔のピラミッドだ。表向きは宮内庁職員の保養施設ということになっている。この一ヶ月大分手を入れたから、佐渡よりずっと快適だぞ。」

地上にあるのは二階建のロッジ風の建物と、物置と車庫だが、母屋の地下から山に向かって地下道が伸び、いくつもの部屋に繋がっている。かなり広い地下基地になっていた。

「ここが情報分析室、こっちが会議室、そしてこの扉を閉めると核シェルターにもなるんだ。」と地下基地の中程にある頑丈そうな鉄の扉を指した。

「尤も、これを閉めるということは、我々が負けた時だから、絶対に閉めないつもりだけどね。」

一番奥の部屋がピラミッドの中心部で二十人ほどの人が座禅を組み、精神集中の訓練をしていた。

「佐渡より随分広いのね。」

「ああ、古代ではここが破魔降魔の中心地だったからね。」

「ピラミッドは他にもあるの?」

「ああ、出雲に降魔のピラミッド、新潟と能登にも破魔のピラミッドがあるよ。」

「ここには何人ぐらいいるの?」

「破魔系が七人、降魔五人、伊美富九人、宮内庁二人、警察庁からの出向二人と、そして警備の為の自衛隊が一分隊十二名といったところだ。」

「結構大所帯なのね。」

「いや、日本中を守るにはこの百倍は欲しいね。」

「でも、警察も自衛隊も協力してくれるんでしょ。」

「何と言っても、我々は公式に組織された機関じゃないんでね。連携がどこまでうまくいくか、はなはだ疑問なんだよ。おれもこの一ヶ月、総理や防衛庁長官、警察庁長官なんかと会ったけど、危機感が今一でね…。」

「ふうん、大変なんだね。」

「さあ、おまえの部屋に案内するよ。」

私の部屋はロッジ部分の二階に在った。八畳ぐらいで窓からの見晴らしも良く、結構気に入った。佐渡の穴倉暮らしとは各段の違いだった。荷を解き洋服をダンスにしまおうと扉を開けると、しっかり自衛隊の戦闘服が掛けてあった。勿論、あの重たいヘルメット、防弾チョッキ、戦闘靴もある。『また、明日から訓練か』と思うと気が重くなった。車の音がしたので外を見るとジープが止まり、江間二尉が降り立った。ロビーに下りて行くと江間二尉が父に敬礼し、報告していた。

「本日、フタマル、サンマルに特注のステルスヘリが到着の予定です。」

「ご苦労様です。沙織のこと、またよろしくお願いします。」と父が言った。

江間二尉の部屋は私の部屋の隣だった。夕食後江間二尉が呼びに来た。

「沙織ちゃん、食堂行ってみない。」

「はい。」

千夜をだいて食堂に降りていった。

 

食堂は十人ほどが座れる大テーブル三つと四人掛けのテーブル五つがある。奥の大テーブルに警備の自衛隊員が集まっていた。

「仲間に入っていいかしら。」と江間二尉が声を掛けると、全員が立ちあがり、「どうぞ」と椅子をあけてくれた。

「ここは食堂兼娯楽室でしょ、階級はなしよ。」と江間二尉。

「自分は山下三曹です。江間二尉のお噂はかねがね聞いていました。お会いできて光栄です。」

「あら、どんな噂?」

「美人で、強くて…剣道、空手、合気道合わせて七段。でも、すごく優しい人だともっぱらの噂です。」

「あら、ちょっと褒め過ぎね。」

「あの、そちらのお嬢さん紹介して下さい。」と一人の隊員が言った。

「教授のお嬢さんで沙織さん。」

「浜沙織です。よろしくお願いします。」

「かっわいい」と声が上がった。

「自分は山田三曹です。ファンクラブ作っていいですか?」とさっきの隊員が言った。まだ二十歳前の童顔の若者だった。

「私の・・ですか?…はい。」

「おう」と拍手がおこり。

「俺、会員番号001番な。」と別の隊員が言った。

「ばか、言い出したのは俺だぞ」と山田。

「私のファンクラブは?」と江間二尉が言うと。

一瞬置いて、キョトンとした目で「あっ、はい、勿論作ります。」と山田が答えた。

長い一秒間の沈黙のあと、どっと全員が笑い出した。江間二尉と、山田の答えが絶妙のタイミングだったからだ。

その後大いに盛りあがり、自衛隊以外の人も加わり、カラオケ大会となった。

食堂にはカラオケ、DVD、ゲームマシンと結構揃えてあった。

その十四  訓練再開

翌朝、沙織は五時半に江間二尉にたたき起こされた。

「お休みは終わったのよ。十五分で洗面、着替え。○五:五○正面玄関。」

耳もとで怒鳴られた。

「もっと寝たいよう。」と言った時には江間二尉は部屋の外に出ていた。

何とか二十分で仕度をし、外に出ると、六月だというのに山の早朝は寒かった。

「はい、これしょって、軽くジョギング。」と渡されたリュックはずっしり重かった。

ジョギングの道程は約五キロ。尾根を二つ越え、着いた所はヘリポートだった。

「これが昨日ついた特注のステルスヘリよ。」

「えー??これがですか?」

沙織はもっとかっこいい物を想像していたのだが、よくあるヘリコプターと変わりはなかった。

「機体は中古だけど、パワーアップしてあるし、航続距離もかなりなものよ。鋼鉄装甲に防弾ガラス。レーダー波吸収タイルを張って、機銃装備、小型ミサイル六基。ちょっとした戦闘ヘリよ。」

「へえ、こっちのちっちゃいのは?」

「一人乗りのステルスヘリ。機銃とミサイル二基装備で五台あるの。」

「なんでこんな離れた所にヘリ基地作ったんですか?」

「本部が発見されないためよ。それに陸路の補給はここの方が便利なの。さあ、朝食にしましょう。リュック下ろして。」

リュックの中には二人分の朝食、自衛隊の九ミリ拳銃二丁、長さ六十センチの日本刀二振。皮製のホルダーが入っていた。

「これ全部本物だから、扱いに気をつけてね。ああ、それからここはピラミッドから離れているので思念波シールドが弱いの。テレパシー使うと私達がここにいること敵に気付かれちゃうから、使っちゃだめよ。」と江間二尉が言った。

崖をくりぬいて作った洞窟があり、一人用ヘリが格納されていた。格納庫の一画に丸太で仕切られた部屋に入った。

「おはよう御座います。」中にいた三人の男が挨拶した。

「朝食とらせて。」と江間二尉が言うと田中さんがコーヒーをいれてくれた。

「ここにいる人達は私の為に除隊してくれたの。」

「江間二尉に頼まれりゃあ、いやとは言えませんよ。それに、自衛隊もちょっと長く居過ぎましたんでね。」

「田中さんと山本さんはヘリ整備のベテランよ。ここのヘリはみんな二人で改造してくれたの。機銃やミサイルは米軍の横流し。自衛隊は武器管理がうるさくてね。石川さんはベテランパイロットよ。沙織さんも操縦教えてもらいなさい。」

三人とも優しい感じのおじさん達だった。一休みが終わると、拳銃の射撃訓練、日本刀の扱い方とわら束のためし斬りの特訓。そして帰りの五キロが待っていた。今度は全力疾走。途中で実弾での的撃ち、空気銃と違って反動が強くなかなか当らない。日本刀での居合斬りもコースに含まれていた。本物の拳銃と日本刀はずっしりとした手応えがあり、本当に人を殺す道具という実感があった。そのため何倍もの神経集中が必要だった。全力疾走よりもそっちの方でへとへとになった。

その十五  ヘリ訓練

火曜と金曜の午後はヘリ訓練だ。車の運転もした事が無いのに、いきなりヘリというのはちょっと不安だったが、空手や剣道で江間二尉にしごかれるよりずっといい。ヘリポートへ行くと、能登破魔の健司さん、明美さん、三郎さん、長野破魔の拓造さん、啓介さんそして江間八重子さんと清さんがいた。三郎さんは本名ではない。演歌歌手の西島三郎に似ているのでそう呼ばれている。おまけに西島三郎のもの真似が得意技でもある。健司さんは一番の年上で、私の事を姫、姫と呼んで可愛がってくれる。

初めは理論と構造、そしてシュミレーションマシンでの操縦訓練だったが、1ヶ月が経って実技訓練に入った。沙織は運動神経は鈍い方ではないのだが、乗り物酔いのイメージが邪魔をしていた。

その日は沙織の3度目の飛行だった。離陸し、山間を直進し、ターンして戻り、着陸すると言う訓練だった。初めは上手く行った。直進している時、突風が襲った。そういう場合の回避方法はイヤと言うほど教えられ、沙織も分かっているつもりだったが、身体が逆の操作をしてしまった。普段は優しい石川パイロットは訓練となると鬼に変わる。耳元で石川さんの罵声が飛んだ。

「右だ、操縦桿を右だ。パワーを上げろ!!バカ者!この程度でパニクるな!お前なんか止めちまえ。」もう、ぼろくそだった。

フライト訓練が終わり、食堂でぽつんと一人で落ち込んでいると、明美さんが寄って来て言った。

「私達はいつでもシュミレーションマシンで訓練できるけど、沙織ちゃんは忙しくて出来ないもんね、気にすることないよ。今晩カラオケ大会やるからね。元気だしなさい。」

千夜がどこからとも無く現われて、ピョンと膝の上に乗った。

江間二尉が通りかかり沙織に声を掛けた。

「どう?やっぱり私の訓練の方がいいでしょ。」

「そんな事ありません。ヘリ訓練の方が楽しいです。」と言ってやった。

江間二尉は笑って地下に降りて行った。

「あっ、私の番だ.」と明美さんがステージに上った.夕食後のカラオケ大会である.何せ人数が多いのでマイクを持てるのは1回、上位3人だけが最後にもう1回づつ唄えるというルールが自然にできた.予めくじ引きで審査員10人を決める.各自10点づつの100点万点で競い合うのだ.此の頃は衣裳を用意し、振りをつけて真剣そのもの.熱が入ることこの上無しと言った具合になっている.舞台も自衛隊の人たちが有り合わせの資材で作ったものだが、かなりの出来である。

明美さんは30歳半ばだが、今日は超ミニスカートの衣裳で10代の人気タレントの歌を唄った.拍手喝さい、92点の高得点を得た。

「沙織ちゃん、歌入れたの?」唄い終わった明美さんが聞いた。

「もう、負けちゃいますよ、皆さんの迫力.半端じゃないですからね。」そう言いながら沙織は選曲に迷っていた.舞台では三郎さんが先日町に下りた時に買って来た、きらきらの和服を着込んで西島三郎の曲を熱唱している。見ている方も手拍子と合いの手をいれて盛りあがっている。警察も自衛隊も浜、江間も伊美富の人たちも通信や警備の当番以外の人はみんな一緒になって楽しんでいた。

今度は川島警部が三度笠に河童、長どすまで差して登場し、木枯し紋次郎を唄った。これまた大うけで、カラオケ大会も後半になると、衣裳も振りもエスカレートして、クラッカーが鳴りステージにテープが飛んだ。

「沙織ちゃん、これ着てアニメソング唄おうよ。」と長野浜の啓介さんが大きな袋の中を指差して言った。袋の中には兎の着ぐるみが入っていた。

「これ、どっからもってきたんですか?」と聞くと、

「ネット販売で買ったんだ。」と笑いながら言った。3曲後、啓介、小池二曹、横田三曹、そして何と太田三尉と5人で着ぐるみを着て踊りながら日本昔話を歌ったのだった。その日のカラオケ大会が最大のものとなった。優勝は黒の編みタイツに黒のランジェリー姿でマドンナを唄った自衛隊5人組だった。大喝采と爆笑と共に夜は更けていった。

その十六  作戦会議

十人ほどの主だった者が会議室に集まっていた。総指令の父、副指令の母、長野破魔の長である義典さん、能登破魔の甚右衛門さん。先祖代々甚右衛門という名を継ぐらしい。ヘリの健司さん。伊美富吾郎さん。江間二尉、宮内庁の占部さん、警備隊長の太田三尉、警察庁の川島警部、そして私だった。

「先ずは報告をお願いします。」と議長役の母が言った。

「伊美富が手分けして長野及び近県をくまなく調査しましたが、敵の超能力者の存在を感知していません。また、原爆保持または運搬している者の緊張した思念も感知していません。長野及び近県には敵がいない模様です。」伊美富吾郎が報告した。

「公式には発表されていませんが、先日自爆した工作船から、中国製拳銃50丁、爆薬及び大量の弾薬、ヘロイン20キロが発見されています。警視庁、海上保安庁は暴力団がらみと考えている様ですが、今回の危機との関連の可能性もあります。もしそうなら、プロ集団もしくはテロ組織が絡んでいる可能性が高いと考えられます。」警察庁の川島警部がそう報告した。

「私も敵の超能力者の思念は感じ取れませんが、殺気を持った血のにおいのする者が続々と日本に入国しているのを感じます。敵は、初めはヤクザ、次に中国マフィアを使おうとしていた様ですが、期待したほどの能力がないため、ゲリラ組織を日本に送り込んでいるのではないでしょうか。」と母が言った。

「超能力者どうしの戦いになると考えていたのですが、相手がゲリラとなるとそれなりの訓練が必要ですね。」江間二尉が言った。

「自衛隊はあくまで専守防衛です。私の部下はここが攻撃された場合以外戦えません。まして戦闘ヘリで先制攻撃など不可能です。むしろ一般の方にやっていただくしかありません。」警備隊長の太田三尉が言った。

その後色々な意見が出たが、最後に父が言った。

「我々の存在はまだ敵に知られていないものと思います。また、原爆もまだ日本に持ち込まれていないようです。原爆の持ち込みを何としても阻止しなくてはなりません。そこで、8つのチームを作り、北海道、東北、関東東海、北陸中部日本、関西山陰、四国山陽、九州、沖縄でそれぞれ思念探査をしてもらうことにします。もし、原爆運搬者の思念をキャッチしたら、テレパシーは使わず、電話で連絡して下さい。攻撃班がヘリで出動します。」

「東京にはMという思念を読まれない高度な訓練を受けた者がいます。また、最近わかったことですがNという私達の思念をキャッチしようとしている者もいます。Nはもっぱら沙織をターゲットにしているだけで、私達超能力部隊の存在には気付いていません。くれぐれも気付かれない様にお願いします。」と母が結んだ。

その十七 最終訓練

九時方向に敵の気配がした。待ち伏せだ。敵は恐らく二人。私は迂回して背後に回りこんだ。突然後方から弾丸が飛んできた。咄嗟に臥せた。私の動きを読んだ二重の罠にはまったのだ。私はさっきここに来る途中結んでおいた紐を引いた。10m後方の木がガサガサと揺れた。そこに向けて敵が一斉射撃を始める。私が這ってそこに移動したと思ったのだ。 

私は間合いを見て飛び出し、拳銃を乱射した。一人の敵の顔面が真っ赤に染まった。木蔭をぬって走った。容赦なく敵の弾が私を追う。岩を飛び越え、太めの杉の幹に身を潜め、荒い息を整える。敵が近付いてくる。ゆっくりとねらいを定め拳銃を発射した。敵のわき腹に命中。また走り出す。ようやく逃げ切ったと思った瞬間、私の胸が真っ赤に染まった。

「やった。今日は我々の勝ちだ。」と太田三尉が言った。

「太田三尉、ずるいですう。三重の罠なんて。」

「沙織さんの行動パターンが読めてきたんでね。実戦ではずるいも何もないだろ。」

私のファンクラブ、会員番号001の山田三曹が駆け寄って来て、

「沙織さん怪我しませんでしたか?」と聞いた。

「結構きつかったけど、大丈夫です。」

「どうぞ、と雑納から缶ジュースを出してくれた。保冷剤付きで冷えている。サバイバル訓練なのだ。訓練が終わると、皆この上なく優しい。

8月に入っていた。私の訓練も三か月が経ち、最終段階に入ったらしい。連日サバイバルゲームをやらされている。太田三尉率いる6名が私を追いかけるというもので、当然使うのはペイント弾なのだが、所定のチェックポイントを通りながら逃げ切るか、相手を倒すかしなければならない。警備隊の山岳戦闘訓練も兼ねているから一石ニ鳥とのことだけど、きついことこの上ない。

もっとも夕食後は警備隊の人達とあの時はああだった、こうだったと話題には事欠かず楽しいのだが。

はじめ大田三尉は何か堅物で近寄りがたかったが、今はもう打ち解けて、頼りになる兄貴っていう感じになっている。外見に似合わず、アニメお宅と聞いてびっくりした。確かにカラオケとなるとアニメソングしか唄わない。警備隊員の人達は皆三曹以上の階級なのだが、全員自衛隊高校の出身で、階級の割には若い。太田三尉も自衛隊高校から防衛大に入ったと言う事だ。

今日と明日は江間二尉が用事があるとかで、山を降りたので訓練はこれでおしまい。明日は全く訓練はない。何か開放感を感じる。

猫の千夜をだいてふらふらとヘリポートまで散歩した。

「やあ、沙織さん。訓練はおしまいかい?」とヘリ整備の山本さんが言った。

「山本さん達、たまには山下りて生きぬきしたらどうですか?」

「いや、下りたってパチンコするぐらいしかないからね。」

「江間二尉は町に行ってますよ。」

「仕事ですよ。あの人は部下を働かせて、自分だけ遊ぶような人じゃないからね。」

「江間二尉の為に自衛隊辞めたって聞きましたけど。」

「あの人には何度も助けてもらったからね。今度は私らが手を貸す番なんですよ。」

「ふうん、そうなんですか。」

「私らは偏屈な技術屋だから、上司とぶつかる事多いんですよ。去年もちょっとした事故がありましてね。」

沙織は差し出されたコーヒーを受け取った。山本さんは千夜を抱き上げながら話を続ける。

「別に人が死んだわけじゃあないんだけど、事故は事故。誰かが責任とらなきゃならない。上の連中は整備不良で片付けようとしたんだが、断じて整備不良じゃあない。江間二尉は人の心が読めるから、私らをかばって上と喧嘩しちまった。頭のいい人ですから、それでも両方の顔が立つように持ってったんだけど、上の連中はおもしろくないんでしょうな。優秀な人なんだけど、それで出世できないんだな、あの人は…。」

「やあ、沙織さん来てたんだ。飛んでみるかい。」とパイロットの石川さんが格納庫から出てきた。私もヘリの操縦は一応できるようになっていた。

「今日はいいです。久し振りの休みなんで。猫とお昼寝しようと思って…。」

「はは、平和でいいね。じゃあハンモックを吊ってあげよう。」

石川さんが吊ってくれたハンモックで1時間ほどうとうとした。足元で寝ていた千夜が突然ピクッとしてからニャ−と鳴いた。

『危険度1の人間、ラーが感知。』と沙織には聞こえた。「お父さんに知らせなきゃ。」と沙織は走り出した。

 

その十八 出動

夜、母の伊美富日女も東京に敵の超能力者を感知した。かなりの能力の持ち主らしい。続いて情報室の電話が鳴った。出雲からだ。『鳥取の日本海沖に武器運搬の思念キャッチ。』九州からも同様の電話が入った。

急にあわただしくなった。教授は石川パイロット、江間清さん、八重子さんと共にステルスヘリで九州へ、長野、能登破魔の人たちは小型ヘリで鳥取沖に向かった。母は伊美富の人たちと車で東京に行く事になった。緊急事態なのでテレパシーの使用が許可された。伊美富をはじめ、ほとんどの人達が探査のため各地へ散っているため、本部に残っているのは私と、通信担当の警察庁の二人、警備隊、そしてヘリ整備の山本さんと田中さんだけだった。

ステルスヘリは無灯で真っ暗な空を飛んだ。パイロットの石川さんの腕は確かだった。計器だけで正確に飛行している。

午前3時、長野・能登隊から

『武器輸送船三隻感知。内一隻に原爆あり、指示を求む。』とのテレパシー連絡があった。

『二隻をミサイルで撃沈せよ、原爆運搬船には機銃攻撃を繰り返し、航行不能にせよ。』と教授は命じた。原爆を積んだ船をミサイル攻撃した場合、原爆が爆発することを恐れたのだ。同時に海上保安庁に無線連絡したが、思った通り海上保安庁は教授達を信用しなかった。海上保安庁の無線係は正体不明の者からの原爆と大量の武器を積んだ船がいるという通報は信じ難かったのだ。

「こちら破魔。警察庁長官に照会せよ。」と言っても、ガサネタと思い込み向こうから通信を切った。

ステルスヘリが福岡沖に到着すると、レダーに小型船舶の陰影が沢山映し出される。ほとんどが漁船だが、一隻一隻、船の乗組員の思念を探る。現場海域を一時間捜索し、ついに武器輸送船を発見した。やはり敵は三隻。高度を下げ、乗組員一人一人の思念を探る。

『真中の船に原爆が積まれている。』教授は感知した。他の二隻は大量の銃と弾薬が積まれている。前後二隻にミサイル発射を命じた。発射されたミサイル二基は狙いを過たず命中。二隻が沈没した。真中の一隻から猛烈な機銃の攻撃が始まった。暗視スコープを使っているのだろう。こちらも機銃掃射。敵の船は高速のままジグザグに走る。十五分ほど追跡した頃、東の空が白み始めた。海上保安庁の巡視船が見えた。二隻を撃沈したのに気付いてやってきたのだろう。機銃を撃ちつづけながら巡視船に無線連絡した。「こちら破魔、警察庁長官に照会求む。敵の工作船には原爆と大量の武器弾薬あり、絶対に逃すな。」

ステルスヘリは海域を離れた。

パイロットの石川さんが言った。

「教授、こっちもえらく弾くらいました。方向舵を損傷しちまったんで長野まではちと無理です。私の実家は対馬で自動車整備工場やってんですが、そこで応急修理しようと思うんですが、どうします。」

「そうして下さい。」と教授は答えた。

長野・能登隊は二隻を撃沈した後、残る一隻に果敢に機銃攻撃を加えた。敵の暗視スコープによる応戦も激烈を極め、小型ヘリ三機が撃墜されてしまった。チームが結成されて初めての戦死者を出してしまった。

その十九 激震

教授達が戦っている頃、長野の本部で沙織は眠れずにいた。千夜がピクリと飛び起き、毛を逆立ててギャーと鳴いた。『危険度無限大、脱出せよ。』だった。太田三尉に言ったが、勝手に警備の任務を離れられないと言うし、山本整備士もヘリが帰るまで持ち場を離れないと言う。千夜は警報の鳴き声を繰り返す。あまりしつこく言ったので、大田三尉は3人の部下を護衛に付け、ジープで下山する様手配してくれた。セーラ−服に着替え、ピラミッドに祭ってあった草薙の剣を取りだし、紐を首から掛けてサマーコートの内ポケットにしまった。セーラー服は地元の高校の制服に似た物で、江間二尉から町に下りる時は着るようにと言って渡された物だ。制服は没個性となる。狙われている物には身をかくす有効な手段だ。

茅野市まであと一時間という時、異変が起きた。電柱がゆさゆさと揺れ、電線が火花を噴いて切れた。道路に亀裂が入り、目の前の道路が盛り上がった。山田三曹が慌ててジープを停めると、ものすごい揺れだった。揺れは非常に長く感じられた。やっと揺れが収まり、暗闇の中でジープを徐行させた。長さ5メートルの橋が落ちていた。ゴーと山鳴りがした。近くで山が崩れたのだ。

「へたに動かない方がいいでしょう。揺れはまた来ます。ここは割合安全な方でしょう。」中川二曹が言った。

突然飛びあがるほどの揺れが襲った。ジープが飛び跳ねた。

沙織は飛び跳ねるジープの座席で、本部に残っている隊員のことを思った。揺れは5分も続いた。

「本部、本部、応答願います。こちら中川二曹。」返事はなかった。その時、ピシッと何かがはじける感じがした。突然、助けを求める多くの人々の思念が洪水の様に沙織を襲った。沙織の意識は本部に向けられた。

「大田三尉、トンネルが崩れました。」「山本整備士と連絡が取れません。」隊員達の報告が沙織にははっきり聞こえた。

ジープのラジオのスイッチが入れられた。『本日午前2時52分、長野新潟一帯に進度6以上の大型の地震が発生しました。詳細は分かり次第お知らせします。』

 

極度の緊張感と恐怖が沙織を襲った。「三郎が撃たれた。」健司さんの声だ。緊張感と恐怖は三郎さんのものだった。「拓造右へ回れ、ちくしょう、仇は俺が取ってやる。」長野・能登隊の戦闘思念だった。超能力者なので、一般の人より思念が強いのだ。

『そうか、今の地震でピラミッドが壊れ、シールドが利かなくなったのだ。』

「明るくなるまでここで待ちましょう。暗い中での移動は危険です。」中川二曹が言った。その間も洪水の様に沙織の心に、地震被災者の悲鳴や、長野・能登隊、ステルス隊の思念が流れ込んでいた。

突然『座標138423576に沙織発見。抹殺せよ。』Mが電話口で怒鳴っている声を感じた。

沙織は自分の感知能力が飛躍的に上がっていることを知った。

 

その日午前二時五十分、長野・能登隊は三隻の武器運搬船を感知した。漁船を装った工作船である。すぐにステルスの教授に連絡、ミサイルで二隻を撃沈した。能登隊は石川パイロットの特訓を受けたとはいえ、無灯の夜間飛行もミサイル発射も、ましては機銃掃射も不慣れだった。当然今回が初めての実戦だった。しかし、やらねばならなかった。海上保安庁は暴力団対策としか考えていない。そんな生ぬるいパトロールで彼等が見つかる可能性は低いし、見つけたとしてもほとんどの場合、不審船は逃げ切っていた。先日の不審船撃沈は不審船が先に砲撃したからに過ぎない。連中も砲撃などせずにひたすら逃げれば逃げ切れたのだ。

残った一隻はスピードを上げ、全速力で日本沿岸に向かっている。隊長の健司が機銃を撃ちながら接近した。 敵船からも応射が始まった。訓練不足の為、接近編隊は組めない。そこで船尾左右から攻撃し、衝突を避けるために、右から攻撃した者は絶対に船の左側には行かないことにした。船は高速でしかもジグザグに進み、波を切るために、敵の射撃は安定しない。逆に小型ヘリは直進するだけでいいので、有利だった。しかし、敵はロケット砲を持ち出した。暗視スコープで照準をつけ、ロックして発射すると小型ミサイルになる。啓介が撃墜された。明美はぎりぎりまで近付いて機銃を撃ちまくった。船上の二人が打ち倒されたが、明美もまた撃墜されてしまった。

甲板にはまだ三人いる。続いて三郎と拓造が突撃した。敵は訓練を受けたプロらしい、揺れる船上からにしては狙いが正確だった。三郎のヘリのエンジンに命中、白い煙を吐きながら落ちていく。それでも三郎はできるだけヘリを船に近付けた。海面に落ちる瞬間、三郎は瞬間移動を試みた。今まで、三メートルが限界だった。三郎のヘリは船首数メートルの所に落ちた。三郎は背中を甲板にいやというほど撃ちつけ、波を切って飛び跳ねるように上下する船首甲板の手すりに何とかしがみついた。三十メートル以上あった瞬間移動に成功したのか、偶然そこに落ちたのかは三郎にもわからなかったが、まだ生きていることは確かだった。背中を打って呼吸困難で苦しいのが生きている証拠だ。三郎の思念を読み取った健司は機銃掃射を止めた。健司と拓造は距離を保って三郎の出方を待った。

船上の敵は小型ヘリが攻撃を諦めたものと思いほっとしている様だった。三郎は息を整えポケットから五鈷杵を取出し、暗闇にまぎれて敵に近付いた。敵は上空ばかり気にし、三郎には全く気付いていない。五鈷杵は光線銃となり一人の喉を貫いた。そしてもう一人。気付いた3人目には剣となった五鈷杵が胸板を貫いた。船内からは二人の思念が洩れている。

三郎は船内へのドアを空け飛び込んだ。バンという発射音とともに三郎の脇腹に激痛が走った。三郎は振り向きざまピストルを構えている敵の右わき腹から左肩に向けて切り上げた。敵は声も上げずに倒れた。三郎は倒れこみながら操縦席に向かって光線を放ちつづけた光線は背もたれを貫通して最後の一人を絶命させた。三郎は薄れ行く意識を奮い立たせ、はって操縦席まで行き、船のエンジンを切った。

『カタキはとったぜ。』三郎の最後の思念だった。

 

「沙織さん、大丈夫ですか?どうしたんですか。」山田三曹の声で吾に返った。沙織は道端にうずくまり、振えながら泣いていたのだ。沙織は三郎の目を通して、いや、三郎の意識で能登隊の戦いを体験していたのだ。三郎と完全にシンクロしていたのであった。

「すいません。大丈夫です。今、三郎さんが戦死しました。」と言った。優しかったヘリ隊の人たち。三郎さん、啓介さん。

特に三郎は沙織を姫、姫と呼んで、可愛がってくれたおじさんだった。西島三郎の物真似が思い出される。能登の明美さんの思念も今は感じられなかった。戦死してしまったのだろう。今は悲しみの思念が生き残った破魔、降魔、伊美富の皆から発せられていた。

白々と夜が明け出した頃、「橋が落ちています。これ以上町に近付けません。本部に戻りましょう。」と中川二曹が言った。『そうだMが刺客を送ったのだ。戦うのなら地の利を得ている本部近くが有利だ。』沙織は本部帰還に同意した。

その二十 警備隊の激戦

一夜が明けた。長野・能登隊の健司さんと拓造さんは燃料切れのためすぐには戻ってこれなかった。ステルス隊も対馬で足止め状態だった。地震は新潟と長野と群馬の県境あたりが震源でマグニチュード9.6という巨大なものだった。幹線道路もズタズタとなり、被害も絶大だった。いたる所で土砂崩れが起こり、孤立する村も数十を数えた。

本部の被害も絶大で、トンネル部分は完全に塞がれ、ロッジ部分も倒壊していた。トンネル内の通信室にいた警察庁の安倍警視が死亡、川島警部も負傷した。山本さんは格納庫が崩れ、左足骨折。田中さんも軽い怪我をしていた。

「幸い火災が起きなかったので、食糧も物資も大丈夫です。通信室は一番手前でしたので、遺体は運び出しましたが、到る所で落盤していますのでトンネル内に入るのは危険です。」大田三尉が説明してくれた。

朝から新聞社のヘリや自衛隊のヘリが飛びまわっている。被災地への救援である。ただ、人家から遠く離れた本部上空には来ない。遠くを飛んでいるのが見えるだけである。沙織は亡くなった警察庁の安倍警視に線香をたむけ冥福を祈った。隊員たちは倒壊したロッジから物資を運び出し1箇所にまとめている。突然千夜が毛を逆立て「ギャー」と鳴いた。『危険度無限大。危険人物多数接近。』だった。千夜の向いている方から大勢の殺気が沙織にも感じられた。「Nもいる。」と沙織は思った。「大田三尉、敵です。」沙織の指差す方角を双眼鏡で見る。点が二つ近付いてくる。

「狙いは私です。Nという超能力者が私の位置を絶えず追っているはずです。私、一人で逃げます。」沙織は言った。

「バカ言っちゃいけません。仲間を見捨てる自衛隊高校だと思いますか。」大田三尉が答えた。全員を集合させ、作戦を説明した。

「敵ヘリ二機接近中。ヘリの大きさからして敵はおよそ四十名。小池二曹他2名は沙織さんとともに一キロ下の広場にて敵を待ち伏せ、敵がヘリを下りた所を攻撃せよ。ただし敵が撃つまで攻撃はするな.吉田一曹他四名は訓練C地点にワイヤーで罠を敷設、身をかくし罠にはまった敵を攻撃せよ。残りの者は私と共に、沙織さん達の撤退を援護する。訓練と同じだ、地の利は俺達にある。深追いせずに次々に待ち伏せし、ヘリポートまで行く。作戦開始。」大田三尉はポケットから旗を取りだし捧にくくりつけた。「おう」という歓声が上がった。自衛隊高校の校旗だった。

沙織達はジープで一キロ下の広場に向かった。そこは暇な時、サッカーのまねごとをしていた場所である。ヘリも着陸できる。わざとジープを広場の端に停め、身を隠せる場所に潜んだ。Nは沙織の位置を感知している。必ずここに着陸するはずである。

「沙織さん、ヘリが着陸したらすぐに大田三尉の所に走ってください。」小池二曹が言った。

「わかりました。皆さんは『救援が来た、救援が来たと念じてください。敵の中に心が読める物がいますから。』沙織はそういうと、「救援が来た、救援が来た」と小さな声でつぶやき出した。小池二曹達もそれに合わせてつぶやき始めた。

ヘリはローターが前後についた自衛隊の輸送ヘリに似ていた。ちょっと見には自衛隊の救援物資輸送としか思えない。もう機体の文字まで見える位置にまで近付いて来ていた。ヘリが着陸し、数人が飛び出し、ジープを調べ出した。東南アジア系の男たちでGパンにTシャツ、手にはライフルを持っている。ヘリから続々と男達が降りてくる。特に警戒している様子はないが、きょろきょろと沙織を探している。ネクタイ姿の男が降り立った。「Nだ。」と沙織は直感した。

小池二曹が沙織に合図した。沙織はそっと後退し、現場を離れた。Nがさっとこっちを振り返り何か叫んだ。それに応じて数人のゲリラがこちらに向けて乱射し始めた。沙織が咄嗟に木の陰に転がり込んだ.警備隊の一斉射撃も始まった。沙織は銃声を後ろに聞きながら走った。いつもの戦闘靴の変わりに今日はスニーカーだ。ヘルメットも防弾チョッキも重い者は何もない。数分で大田三尉と合流できた。「山田、篠原、前進して小池班を援護しろ。」

二人は前進し、小池班とは別の所から撃ち出した。小池班は手榴弾を投げ、派手に撃ちまくっていた。遮蔽物のない敵はヘリの後ろに身をかくし応戦しているが、林に掛け込み、側面から小池班に廻り込もうとしている者もいた。山田と篠原はその敵を狙い撃ちにした。手榴弾を投げ注意を引く。その間に小池班は撤退した。一次攻撃をした五人が合流。小池二曹が

「敵三十八名、AK突撃銃で武装しています。東南アジアのイスラム系ゲリラと思われます。六名倒しました。」と報告した。

「よくやった。Aポイントで攻撃の準備をし、待機せよ。」と大田三尉が命じ、その五人と沙織はAポイントに移動した。Aポイントに着くと激しい銃声が聞こえた。爆発音も響き渡る。大田三尉の得意な仕掛けが次々に爆発し、その隙に撤退しているのだろう。

大田三尉がAポイントに来た。横田三曹に肩を貸している。続いて飯田二曹が戻ってきた。

「川辺がやられました。」とぼつりと報告した。「川辺さん」と沙織が力なく言った。フリをつけてカラオケを唄う陽気な人だった。

「これは戦争なんです。泣いている暇はないですよ。」と大田三尉が沙織の背中をどやしつけた。

大田三尉の合図で一斉射撃が始まった。Aポイントは谷になっている。そこをやってくる敵を谷の左右の岩場から撃ちまくるのだ。沙織も撃った。隊員達は89式ライフルを自動連発に合わせ、狙いをつけ軽く引き金を引き、タタン、タタンと二発づつ撃つ。沙織は89式ライフルに慣れていないのでどうしても五・六発出てしまう。すると反動が大きすぎて全く当らない。仕方なく単発に切り替えた。

「沙織さん、Bポイントへ移動します。」と大田三尉が言った。大田三尉と山田三曹が横田三曹を抱えて移動し始めた。残りの隊員は撃ちつづけているが、敵の弾丸は雨のように飛んでくる。圧倒的に敵の数が多いのだ。手榴弾が炸裂する。敵の一人が吹っ飛んだ。移動中、沙織の頭上の岩に何発もめり込んだ。ヘルメットが欲しいと思った。

Bポイントはサバイバル訓練の時、一番苦しめられた場所だ。十メートルの崖をよじ登らなければならない。初めは右へ登り、少し下って今度は左に登る、そうしてジグザグコースを辿らなければ、上から狙い撃ちされてしまうのだ。

今は上に敵がいないので最短距離でよじ登った。だが、後の隊員がなかなか来ない。怪我人がいるので、多めに時間を稼いでいるのだろう。と思ったが、残った三人の思念が突然消えた。

「三人の思念が…」沙織が両手で顔を覆った。

「ちくしょう。自衛隊高校をなめんなよ。」と大田三尉が大声で叫び、旗を岩山に立てた。敵の姿が見えた。まだ二十数名はいる。岩山に向けて猛烈に撃ちまくってくる。三・四人づつ這いあがってくる。頭を出せないくらいの猛烈な撃ち方である。

「自分がここを死守します。Cポイントに移動して下さい。」と負傷している横田が言った。

「山田、沙織さんをつれてCポイントへ行け。」

山田三曹は大田三尉の覚悟を知り、すぐには返事をしなかった。

沙織は頭は出さずに、手榴弾をよじ登ってくる敵の思念に向けて投げた。爆発音がして、山田三曹がちょっと頭を出し、数発撃つと、頭を引っ込めた。

「手榴弾命中です。」

「大田三尉、私も仲間を置いて逃げたりしませんよ。私と山田さんにここは任せてください。横田さんをよろしく。」沙織はきっぱりと言った。

「よし、お願いしよう。戦いはこれからが本番だ。」といって横田三曹を抱きかかえ、Cポイントに向かった。

沙織の手榴弾は絶大な効果を発揮し、敵を釘付けにしたが、すぐに品切れになった。

「それが最後の手榴弾です。それを投げたらすぐにCポイントに向かってください。自分は後からすぐに行きますから。」山田三曹が言った。

「だめよ、私がにげる時間かせぎするつもりなんでしょう。私、人の心読めるんだから。」

「自分は沙織さんを絶対守りぬきます。この任務につけて光栄に思っているんです。沙織さんを守る事は、日本と国民を守ることにもなるんです。ですから、そうして下さい。」

「わたし、山田さんの後から行きます。山田さんがここを動かないんなら、私も動きません。もう、これ以上仲間を死なせません。」沙織はそう断言すると、さっと場所を変え、一発撃ち、すぐに頭を引っ込めた。猛烈な銃弾の雨が打ち寄せた。モグラたたきゲームのモグラになった気分だった。いくら沙織でも、十人以上の人間の思念を同時には読めない。敵は今度はどこから頭を出すか予想し、狙いをつけている筈である。しかし、崖を登ってくる者は今はいない。

「山田さん、先に行って。これ投げたら私、全力で追いかけるから。さあ、早く。」

山田は「ふう」といきを吐いて「結構頑固なんですね。」と笑って見せた。山田が出発して、暫くすると、敵の四人がバラバラの方向から登り出した。沙織モグラは時々頭を出して撃つが、当らない。照準をつける暇がないのだ。今度は登ってくる者の思念を読み、手だけ出して撃つ。当然当らない。敵が崖の中腹まで来た時、沙織は手榴弾を投げ、全速で走り出した。敵が崖を登り切るまで二分。その間に、敵の視界から消えなければならない。しかし、五十メートルも走らない内に沙織は転んだ。訓練では転んだことなどなかった。やはりあせっていたのだ。転んだ拍子に尖った岩で足をぐさりと切った。やはり戦闘服に戦闘靴は重いけれど、安全性は高かったのだ。セーラー服にスニーカー姿は山を走るのに適しているとは言えない。足を引きずりぎみに沙織はそれでも走った。背後で崖を登りきった敵が現われた。ホルダーから9ミリ拳銃を出して撃った。一人倒したが、沙織と敵の間には遮蔽物はない。『だめだ』と沙織は思った。タタン、タタンという銃声がして敵の姿が崖の上から消えた。先発したふりをして沙織を待っていた山田が駆け寄る。

「さあ、」と言って肩をかしてくれた。

Cポイントへ行くには、大きく迂回する必要があった。直進コース上には吉田一曹がたっぷりと罠をしかけている筈だからだ。

Cポイントでは、沙織達が着く前に敵の姿が見えた。大田三尉は沙織達の無事を必死に念じた。

「大丈夫ですよ。奴らはこの旗を見て直進して来たんです。沙織さんはあっちからもうじき来ますよ。仲間のカタキ、この吉田一曹が、きっちり取らせてもらいます。」そう言って吉田一曹はスコープ付きのライフルを構えた。松本用意はいいか。

「OKです。」

「まだだぞ。もうちょいだ…。スイッチON」

松本がスイッチを押すと下でタタタタという銃声が聞こえた。敵の一人が倒れ、銃声の起こった方に敵が銃を向けた。

「二番スイッチON」

タタタタと銃声。敵もその方向に撃ちだし、身を隠しながら前進を始めた。

「うまく引っ掛かってくれました。あの先にスズメバチの巣があるんですよ。だからライフルを固定して、向こうに敵を引き寄せたんです。」と吉田一曹が説明した。

「良い手だな。」と大田三尉。

吉田一曹はニヤリと笑い返し、スズメバチの巣に照準を合わせた。

「あれ、奴ら自分でスズメバチの巣を撃っちめいやがった。」吉田一曹はハチから逃げ惑う敵に照準を着け直した。

「撃ち方始め。」吉田一曹が号令した。他の四名もスコープで狙い撃ちを始めた。

敵は十六名になっていた。負傷した横山二曹は大田三尉の隣で撃っていた。

「大田三尉、自分はこの任務に就けて光栄でした。」空になった弾倉を替えながら横山が言った。

「俺もだよ。」大田三尉が答えた。

「大木、大木しっかりしろ。」と松本が叫んでいる。時折吉田一曹が仕掛けた罠が爆発する。ワイヤーに引っ掛かると爆発する仕掛けだ。銃声が引っ切り無しにとどろき渡り、身を隠している岩にピシピシ弾が当った。横山が頭に銃弾を浴びて倒れた。

「俺もすぐいくよ。」大田三尉が低くつぶやいた。

沙織はC地点百メートル手前で敵を見つけ、倒した。C地点はほぼ囲まれた状態になっていた。山田三曹も目前の敵を倒し、C地点に転がり込んだ。

「無事でよかった。」と大田三尉が微笑んでみせた。が、すぐに「吉田、松本、山田は沙織さんと共にヘリポートに移動、バリケードを築き応戦体制をとって、ヘリ隊の帰還を待て。」と命令した。

「自分の仕掛けた罠がどこまで利くか見届けさせてください。」と吉田一曹が言った。

「だめだ、命令だ。直ちに出発。」と大田三尉が怒鳴った。四人はC地点を離れた。

「大田三尉、あそこで死ぬつもりだ。」吉田一曹が言った。それは誰もが分かっていた。C地点で一人でも多く敵を倒さなければならないのだ。ヘリポートは応戦に適した場所とは言えないからだ。半分崩れた洞窟の格納庫に篭って戦うしかないのだ。

「それにしてもしつこい奴らだ。普通半分やられれば、退却するでしょう。」松本が言った。

「俺達に賞金でも掛かってるんだろ。仲間が死ねば分け前が増えるてえ仕組みだよ。」吉田が言った。

田中さんと山本さんは、すでに洞窟前にバリケードを作っていた。C地点の銃声と爆発音がここまで聞こえる。

「奴らが来るまで数分あるさ、まあ、中でコーヒーでも飲みな。」と田中整備士が89式ライフルを構えながら言った。

「田中さんそれ撃ったことあるんですか。」と山田。

「バカ言え。これでも元自衛官だ。基礎訓練で撃ったさ。64式をね。」

「田中、何とか使えるようになったぜ。」と山本整備士が急ごしらえの松葉杖をついて出てきた。

「ヘリ搭載用の機銃なんだが、調子悪くてな。」と山田に説明した。山田はそれをバリケードに据え付けた。

「今、C地点の人達が…。」沙織が小さな声で言った。

「やられましたか…。敵は何人のこってますか。」吉田一曹が沙織に聞いた。

「恐らく…8名…です。」思念を探りながら答えた。

68なら楽勝だ。」松本がわざと明るく言った。

格納庫でコーヒーを飲んでいると機銃の発射音が入り口でした。

「お出ましだ。」と吉田一曹が入り口に走り寄る。沙織が入り口に行くと山田が倒れていた。機銃は一番狙われるのだ。「山田さん。」沙織が駆け寄る。

山田はかすれた声で「沙織さん、すいません。ファンクラブ解散です。もうほとんど会員がいないし、会長の自分も…。」すうっと山田の思念が消えて行った。ただ欲も、恨みもない透き通った山田の残像思念がかすかに残っていた。

沙織は膝をついたまま動かなかった。悲しみと憤りが洪水の様に湧き出している。真に敵が憎いと思った。わなわなと振るえた。大田三尉の顔が浮かんだ。横田三曹、川辺二曹とこの戦いで死んでいった者の顔を思い起こした。ほんの二時間前まで、冗談を言っていた明るい、そしてごくごく普通の人達だったのだ。涙が溢れた。そして悲しみのレベルを憤りが越えた時、沙織の体から青白い炎が揺らめき出した。それは悲しみ色の炎だった。沙織は今まで一人も殺していなかった。敵は倒したが、わざと急所を外して撃っていたのだ。しかし今はもう違っていた。一人残らず殺してやりたかった。沙織は立ち上がりバリケードの上に立った。敵の弾は炎に跳ね返された。吉田も松本もあまりの出来事に身動きできなかった。沙織は草薙の剣を取り出して鞘を払った。剣からも青白い光りが伸び、大きな剣となった。

「死ね。」と大声で叫びながらビューと剣で空を切った。剣の光りは遠くまで伸び、左から右へ青い光の面が残像として残った。辺りは静まり返った。銃声もしない。鳥の鳴き声もしない。長い長い数秒が過ぎ、ガサガサっと音を立てて杉の大木が倒れ出した。敵は身を隠していた木ごとまっぷたつに切り裂かれていた。二十本ほどの林が一瞬のうちに切り倒されていた。沙織はばたりと倒れ、気を失った。

その二十一 イルクーツク

大地震の1ヶ月前、ホラニー達はバイカル湖に近いイルクーツクにいた。イルクーツクは天然資源に恵まれ、石炭、リチューム、金などを産出している。ホラニー達はリチューム鉱山の廃坑に建設された旧ソビエトの秘密研究所にいた。この研究所は中性子爆弾の研究所だったが、ゴルバチョフ時代に閉鎖されていた。しかし、ここには変人の物理学者がまだいたのだ。

ロシアマフィアのペレネーエフが言っていた頭のおかしい学者である。名前は誰も知らないが博士で通っていた。彼はここの只の研究員だった。若い頃から上司にへつらわず、我を通す偏屈者だったため、中央からはじき出されここに飛ばされたのだ。

ただ、この研究所では最古参だったため、ここのことは何でも知っていた。崩壊直前のソ連社会は乱れ切っていた。実際にある資材の量と帳簿上の量は大きく異なっていた。余った分を横流しして、所長クラスは私腹を肥やすのが当たり前だったのだ。しかもここはもと鉱山の廃坑だった為、物資を隠す場所には事欠かなかった。所長が変わる度に、処分し切れなかった物資が廃坑のどこかに残されていた。博士はその場所を全部知っていたのである。博士は閉鎖とともに研究員をやめ、ここに戻って住みついた。宝の山を捨てて、安給料で働くのが嫌だったのだ。横流しのルートも知っていた。地元マフィアのイワンという男だ。博士は残った物資を少しずつイワンを通して処分し、格安原爆の話も流してもらったのである。

「博士、いつになったら原爆はできるんだね。」ホラニーが言った。

「マジックハンドの修理がもうじき終わる、そうしたらじきにできるよ。」

ホラニーはここにもう3ヶ月もいるのだ。初め見せられた原爆は巨大な物だった。トラックが必要なほど大きかった。博士はありあわせの材料で作ったからだと言った。もっとコンパクトな物を作ってくれと言うと、部品代は別途請求だという。1万ドルを上乗せした。やっと部品が届いたら、今度はマジックハンドが壊れたと言う。また上乗せした。博士は嘘はついていなかった。そうだからこそホラニーは上乗せしたのだ。ただ、月日がやたら掛かった。

イワンはマフィアの幹部にしては風格のない男だった。イルクーツクはシベリアの中心都市というが、やはり田舎であり、イワンは田舎のマフィアなのだろう。彼は『でかい事をするんだ。』というのが口癖だった。

ホラニーは心が読める。イワンは博士にできるだけ多くの原爆を作らせ、できるだけ高く売りさばこうとしていた。しかし、偏屈者の博士は、国家や組織には絶対に売らないという。ソビエト連邦という国家の、研究所という組織の中で、ヒラ研究員の悲哀をいやというほど味わった博士のポリシーなのだ。国家や組織に売れば、それがある特定の人物の野望に使われると信じているのだ。だから売る相手は個人で、しかもオーダーメイドなのである。

「ホラニーさん、別にあんたも急いでいる訳じゃないんだろ。第一、軽くしろ、運搬中には絶対に放射能もれは起こすな、ボストンバッグに入る大きさにしろなんていう面倒な注文つけたのあんただからな。時間がかかるのは当然さ。」と博士はロシア語で言う。ホラニーはテレパシーで直接相手の脳に語りかける。奇妙な会話だが、博士もイワンも、もう慣れたようである。イワンが言った。

「ホラニーさん、日本を脅迫しないかね。日本はアメリカの腰巾着だ。平和主義なんて言っているけど、現にアメリカに手を貸している。アメリカ軍の戦費だって負担してるんだ。あんた達の家族を殺した弾丸は、日本の金で作られ、日本の自衛隊が運んだものかも知れないんだぜ。日本は平和ボケの国だ。原爆を方々にし掛けたと脅迫すれば、すぐに金を出すさ。金さえあれば不可能なことは無い。アメリカにだって行けるし、ホワイトハウスだってぶっ飛ばせる。あんた、それがしたいんだろ。どでかい事をやろうじゃないか。」イワンはにっと笑うとウオッカをあおった。

その二十二 ハッサンの出発

それから一ヶ月が過ぎ、シベリアは短い夏を迎えようとしていた。白く凍てついた大地に緑がよみがえり、一斉に花が咲いた。

ホラニ―とハッサンは秘密研究所の坑道入り口に椅子を並べてそんな景色を眺めていた。

「先生、こんな景色を見ていると、復讐って何なんだろうと思えてきます。」

「そうだね、復讐なんて意味の無いことかもしれないね。」

「でも、夜になって目を閉じると、あの光景が見え、絶対許さないって思うんです。ここんとこずっとそのくり返しです。」

「ああ、私もそうだよ。特にこの頃思うのは、一体誰に復讐するかだよ。アメリカと言っても二億人以上いるんだ。その大多数が私達と同じ平凡な人間のはずだ。家族を愛し、子供の成長を喜び、幸せを願う。」

「でも、奴らは俺達の家族を無残に殺しやがった。ただ、路地を横切っただけで妻を蜂の巣にしやがった。お腹には六ケ月の子供がいたのに・・・。」

「ああ、わかっているよ。でも、神は私達に力を与えて下さった。その力をどう使うべきか、誰に対して使うべきか、それが分らない。」

「そうですね、二億人全部殺す訳にもいきませんよね。」

「うん、私達の敵は一人一人の人間ではなくて、もっと別な経済機構とか、生きる意味とか、価値観なんだろうね。そういうものが勝手に歩き出して人を虐殺しているのかもしれない。」

「そんなものと・・・どう戦うんですか。」

「分らない。まあ、急ぐことはないさ。そのうち見えてくるだろう。」

遠くに一台の車が走ってくるのが見えた。

「迎えが来たらしい・・・。日本はアメリカの同盟国だ。これからは敵地に入る。くれぐれも疑われないようにな。お前はのんきに旅を楽しんでいるクエートの学生だ。そのことを忘れるなよ。」

「はい、分っています。」

ハッサンはルート確認のため、先ず一人で先に日本へ行くのである。田舎マフィアのイワンのつけた手はずでは、先ず海辺のソビエツカヤガバニまで鉄道で行き、漁船で日本に密航する。次に貨物船でカナダに行くというルートである。安全のため先に原爆だけを別ルートで日本に送ろうとしたが上手く行かなかった。やはり自分たちで運ぶのが確実だった。なにせこれからは原爆を持っての旅となる。慎重過ぎると言う事は無い。

坑道からアリが出てきた。

「気をつけてね。」アリがちょっと寂しそうに言った。

「二週間もすればまた会えるさ。それよりも英語、きちんと勉強しておけよ。」ハッサンが言った。

ルートが安全ならば、三人は日本で落ち合い、貨物船に乗る予定なのだ。

迎えの車がだんだん近づいてきた。ハッサンはホラニー、アリとそれぞれ抱き合い、出発の挨拶をした。

その二十三  東京

地震の日、沙織の母の伊美富日女は新宿の超高層ホテルの最上階にいた。部屋はスイートルームである。二十数年前、結婚式の夜に泊った部屋だった。結婚式を思い出してここに決めた訳ではない。渋谷に自宅があるのに新宿のホテルに泊まる必要は全くないのだ。でも、ここに泊まらなくてはいけない感じがしたのだ。

敵の超能力者の正確な位置は掴めていなかった。長野で一瞬感知したのが最後だった。危険感知度は、やはりラー達動物の方がはるかに高いと言う事だ。また、敵にこちらの存在も知られてはいないはずだった。超能力思念波が洩れない様にコントロールしていたし、テレパシーも使わないでいた。福岡や鳥取沖での戦いの思念波も極力キャッチしないようにし、敵の思念波だけを探していた。

伊美富日女は夜中に目が覚めた。何かが起こる予感がし、着替えをし大きな窓から東京の夜景を見ていた。突然ビルが揺れ出した。右に左にゆうらゆうらと船酔いするように揺れている。花瓶が床に砕け散り、ソファーやテーブルが部屋中を移動した。揺れが収まったとき、ドアをノックする音がした。「姫、姫、大事御座いませんか。」伊美富の長老達3人だった。

3人を部屋に入れた時、激しい揺れが再び襲った。長い揺れが収まりかけた時、急に沙織の思念がすぐ近くに居るように感じられた。

「ピラミッドが崩れましたな。」長老が言った。その時、沙織の思念をスーと吸い取る別の負の思念を感じた。

「敵の超能力者です。方角は築地の高層ビル。」伊美富日女が言った。

何故ここに泊まらなければならないのかが分かった。築地と新宿と長野のピラミッドは一直線上にあるのだ。敵と沙織の間に自分がいることを知ったのだった。伊美富日女は勾玉を首に掛けると築地方向の大きなガラス窓の前に立ち、印を結び、九字を切った。長老達三人も日女の後ろに立ち、印を結び唱和した、「臨・兵・討・者・皆・陣・列・在・前」「臨・兵・討・者・皆・陣・列・在・前」次第に声が大きくなり、九字も速くなる。それに伴い、四人は霧の中に投射された緑色の光のように、もやもやとした炎に囲まれ始めた。

突然、築地方面から暗赤色の光線が発射された。同時に伊美富日女の掌はガラス窓を押すように開かれ、そこから緑色の光の壁が広がった。飛来した暗赤色の光線はホテル上空を通過しようとしたが、空まで伸びている緑の壁にはじかれ天空にすい込まれた。

「今のは沙織を狙ったものです。敵は私たちの存在に気付きました。今度は全力で私達を攻撃してきます。」日女はそう言うと右足を前に、左足を後ろにして身構え、掌の角度を少し変えた。すると緑色の巨大で平らな光の壁が凹レンズ型に変わった。「臨・兵・討・者・皆・陣・列・在・前」「臨・兵・討・者・皆・陣・列・在・前」唱和は続く。

今度はこの部屋に向って太い暗赤色の光線が真っ直ぐ飛んできた。その衝撃は凄まじく、大きな窓ガラスが一瞬グニャリと曲がった様に見え、長老達三人は後方に吹き飛ばされた。しかし、伊美富日女は一メートルほど後ろに押されただけで、姿勢を保ったまま踏みとどまった。暗赤色の光は凹レンズの中心で光の玉となり、高速で回転しながら留まっている。日女は念を更に集中させ、光の玉を少しずつ押し戻している。そして、玉がレンズの焦点に達した時、「イー…エス」と腹の底からの思念と共に、どす黒く変色した光のその玉を逆に発射した。赤黒い光は玉の形のまま、築地方面に飛び、敵に激突した。

「みんな大丈夫ですか。」と日女は長老達に声を掛けた。

「これで暫く敵は超能力を使えないでしょう。私は長野に戻ります。皆さんはあいつを見張って下さい。」そう言って部屋を出た。

「今のが伊美富の誠の力だ。さすが日女。何百年に一度しか見られないものだ。」長老の徳蔵が言った。他の二人も家具が散乱した部屋の床に座って頷いていた。ドアをノックする音がした。開けてみると。

「お財布忘れちゃった。」と日女が顔を出した。

その二十四 十日の婆さん

沙織は目を覚ました。気を失った沙織を生き残った吉田一曹達が介抱してくれていたのだ。沙織が簡易ベッドから起きあがり、手渡されたコーヒーを飲んでいると、千夜がどこからか現われて膝の上に乗った。皆、無言だった。千夜も鳴かなかった。敵の殺気は消えた。地震の被災者の思念が流れ込まない様に、沙織は心を閉ざした。みんな無気力にそこに座っていた。極度の緊張が解け、疲労感と悲しみでの脱力感がみんなを包んでいた。

江間二尉はバイクで本部に向かっていた。実はもう二尉ではなかった。正式除隊する為の下山だったのだ。自衛隊員でいる内は、自衛隊法に縛られなければならない。先制攻撃をするにはどうしてもフリーの立場に立たなければならなかったのだ。韮崎までは電車が通っていたが、その先は土砂崩れで不通になっていた。オフロード対応バイクを買って皮ジャンに着替え走っていた。

警備隊がほぼ全滅した様子は手に取るようにわかった。歯を食いしばりながら電車に揺られていたのだ。もはや駆け付けても、どうなる訳ではなかったが、とにかく行かなくてはという気持ちで一杯だった。それでもやることはやった。宮内庁の齋部と連絡をとり、後始末を頼んだ。四十人ものゲリラが死傷し、出向中とは言え、現役自衛官が十人も殉職したのである。ニュースになるのか、極秘に処理されるのかは政治家の判断に委ねられるだろう。

沙織の母とは連絡がつかなかった。テレパシーは使わないようにしているからだ。いずれにしても、自分が一番早く本部につくことは確かだと思われた。

江間二尉、いや今はただの江間小百合はヘリポートに着くと、齋部との打ち合せをみんなに伝えた後、沙織をバイクの後部座席に乗せてもと来た道を戻った。そして茅野市には行かずに、市から一時間ほどはなれた長野破魔一族の家に連れて行った。茅野市のホテルより安全で、休まると思ったからだった。その家には六十過ぎのお婆さんが一人で住んでいた。沙織の世話をお婆さんに頼むと、江間小百合は沙織の母と連絡をとるため茅野市に向かった。

お婆さんは沙織の足の手当てをし、床を敷いてくれた。沙織はぐっすり眠った。昨夜はほとんど寝ていなかったのだ。

「目がさめたかい?」とお婆さんが言った。「お茶をたてるからこっちにおいで」と言う。

 お茶と聞いてふと以前父が話していたことを思い出した。『十日の婆さん』の話である。浜家の先祖に十日の婆さんという人がいたらしい。何でも父親が飲んだくれで博打好きで、身代を潰してしまった。それを十日の婆さんがお茶を飲みながら失った田畑を買い戻し、元の身代(しんだい)に戻したと言う話である。話としてはそれだけなのだが、言い伝えでは鎌倉時代の先祖ということになっている。歴史学者でもある父が言うには、鎌倉時代ではお茶は一部の禅寺で薬として飲用されていただけで、そう簡単に手に入る筈が無い。室町時代では一部の上流武家の間で闘茶というゲームで飲まれ、次第に流行していったが、かなりの高級品であったから、身代を立て直そうという人が飲む訳がない。だから江戸時代の人なのだろうと言うのである。半身起きあがってそんなことを思い出していると、布団をはがれた千夜が迷惑そうに見上げ、足元にもぐり込んだ。

「さあ、こっちへおいでなさい。」とお婆さんが呼ぶ。呼ばれた方に行くと、そこは茶室になっていた。田舎屋といった作りで、建物に似合っていた。炉が切られ、天井から自在で茶釜が吊られてる。

「正座しなくていいよ。お茶は形などにとらわれずに、楽しんで飲むものだよ。ほれ、夏は普通風炉と決まっているが、うちじゃあ一年中炉だよ。この方が楽だからね。お茶を飲むと気分がすっきりするよ。」そう言いながらお茶を点ててくれた。

「特にこのお茶は特別だ。破魔茶といってな。昔、鎌倉時代に香純様という巫女さまがやってきて植えたお茶なんだよ。ここから二十分ほど登った所に小さな茶畑があって、うちが代々管理しているんだ。香純さまはこの地に三年留まって、茶の作り方と、薬草を教え、越後に旅立たれたということじゃよ。」

「いつの時代の人なんですか。」沙織は聞いてみた。

「鎌倉時代と聞いているが、そこにあった村もとうに無くなり、古文書類も焼けてしまったとかでようわからん。」

「鎌倉時代ですか。」沙織は十日の婆さんと何か関連がある気がした。苦いのではと思ったが飲んでみるとほんのり甘さも感じられおいしかった。いっしょに出されたみかんの皮の砂糖漬けとよく合っていた。

夕食後、テレビを見ていると、臨時ニュースが流れた。

「本日、中東のテレビ、アルマジーラが、局に送られてきたビデオテープとして、日本への脅迫のテープを放映しました。」ニュースキャスターが少し緊張した口調で伝えていた。ビデオの映像が流される。目の部分だけモザイクが掛かった髭もじゃの男が声明文を読み上げている映像だった。続いて彼等の旗が映され、武装した覆面の男達が爆弾を運んでいる映像に切り替わった。声明文の内容は『日本中に10個の原爆を仕掛けた。世界中にある二百の指定口座に合計五百億ドル振り込め』というものだった。『振込み口座は極秘裏に指定する』とも言っている。声明の後で『悲しみの旅団』と名乗った。

いよいよ敵が本当に動き出したと沙織は思った。五百億ドルと言えば約5兆円。沙織には大きすぎて実感のわかない金額だった。

コメンテーターが言った。「もしこれがいたずらではなく、テロ予告が現実となり、十個の原爆が爆発するという最悪の結果となれば、数百万人が死に、数千万が原爆症にかかるでしょう。」

「でも原爆を日本に持ち込めますか?」と別のコメンテーター

「四方を海に囲まれていますからね。やろうと思えば不可能ではないでしょうね。」

「警察は何か言っているんですか?」

「まだ、何も発表はありません。」

「経済的ダメージはどうですかね。」

「もし、十大都市が狙われれば壊滅的です。日本は政治的にも経済的にも国家として成り立たなくなるでしょうね。」

「政府はどう動くでしょう。」

「勿論、脅迫には応じないでしょうね。へたに応じたりしたら、信用丸つぶれですし、ゲリラに巨額の資金を提供することになりますからね。もっとも、現実性を持った脅迫とは思えませんから、先ずは騒がずに、調査をしっかりやればいいんじゃないですか。問題はどのように指定口座を知らせてくるかでしょうね。口座を調べればいたずらかどうかも分かりますよ。」と結んだ。別のニュースに移った。

その二十五 渋谷

久し振りに沙織は渋谷の家に戻った。栗麻呂は尻尾を振りながら飛び跳ねて出迎えてくれた。ラーは足元にまとわり付いて離れない。沙織はソファーにどっかりと座り込んだ。

「やっぱ我家はいいな。」いきなりラーが千夜に猫パンチを食らわせた。

『フギャ…なんでもっとちゃんと沙織さんを守らないんだフギャ』

千夜も黙ってない「ギャウーあれ以上何をしろって言うんだ。」と猫パンチを返す。

「もう、二人とも止めな。私がこうして無事に帰って来たんだからいいでしょ。」と沙織が言うと二匹は背を向けあって座り黙った。

「やあ、沙織さんお帰り。」兄が部屋から出てきた。

「何か作ってやろうか。」

「そうね、おしるこ食べたい。冷たいやつ。」

「冷やししるこね。OK

「地震大丈夫だった?」

「本棚の本が少し落ちたぐらいで、地震は大した事無かったんだけど、その後クリとラーが大変だったよ。クリは夜中だって言うのに吠えまくるし、ラーは家中走りまわる。テーブルの上はひっくり返すし、地震の被害より大きかったね。」

「みんな私の事心配してくれてたんだね。」

「俺は別に心配しなかったよ。筋肉少女はめったなことじゃあ死なないからね。ところで一人で帰ってきたの?」

「家の前まで小百合さんが送ってくれたの。」

「小百合さんって江間二尉?」

「うん、自衛隊やめたから江間二尉じゃ変でしょ。だから小百合さんって呼ぶ事にしたの。」

「何か大きなニュースなかった?」

「何も無いよ。日本を批判したアメリカの商務長官が、自分のクルーザーで日本に来るんだって、そんなとこかな。あとは地震関係のニュースばかりだよ。」

「長野の件は?」

「隠蔽さ。殉職した自衛隊員は地震での人命救助中に土砂崩れに巻き込まれたことになってるね。二階級特進で栄誉章授与だそうだ。」

「やっぱりそういうことなのね。」

「日本に四十人もの武装ゲリラがいたと分かれば、警察は何をしてたんだってえことになっちゃうからね。」

「実際はもっといると思うよ。」

「パニックになるのが恐いのさ。結局いつまでたっても危機管理の意識は芽生えないのさ。」

オタクの兄の発言にしては今日は社会派だと思った。そう思った矢先、

「こんど『笑える薬』ってえの作ったんだ。沙織さん試してみる?」お汁粉を作りながら兄が言った。やはり変わってない。少し安心した。ラーと千夜は仲良くソファーの上で寝ていた。

 

父と母も帰り、久し振りに家族全員での夕食となった。長野の本部は閉鎖することにしたのだ。その後築地の超能力者の動きも無く、特に各方面でも何の動きもないというので、渋谷を仮の本部にすることにしたらしい。

「ねえ、おとうさん。『十日の婆さん』の噺なんだけど。」と私が言うと。

「ああ、あの話な。あれはやっぱり鎌倉時代の先祖だったよ。」と父が言った。

「破魔降魔の力についてもう一度研究してみようと思ってな、俺は忙しいんで、佐渡で幸太郎にできるだけ古文書をスキャンしてもらったんだ。すると香純っていう先祖がいてな、文永十一年、後宇田天皇に頼まれて博多に行っているんだ。例の元寇の時だ。元軍を退けたのは彼女の力だな。
 その後京に一、二年滞在し、臨済宗の寺から茶の苗を分けてもらい、長野に植えそのまま暫くそこにいて、五年後の弘安の役の時、再び九州に行って元軍を追い払った。彼女が佐渡を離れている六年ばかりの間に、破魔の領地は奪われてしまった。彼女の父は飲んだくれの博打好きではなく、必死に領地を守ろうとしたらしいが、討ち死にしてしまったんだ。長い間の言い伝えの中で、討ち死にがばくち打ちに変わってしまったのかもしれないな。そこで彼女は持ちかえった茶の苗を育てながら、失った領地を取り戻したんだよ。ちなみに香純さんの命日が十日なんだ。」

「あっ、思い出した。前に私、夢でうなされて眠れなかった事あったじゃない。あの時、夢の中で私の事を香純って皆が呼んでいた…。そうよ、確かに香純だった。」

「沙織は破魔の血より伊美富の血を多く受け継いだのかもね。伊美富は相手の心を読んだり、時にはシンクロしたりするのよ。」

「でも、香純さんは何百年も前の人でしょ。」

「ああ、七百年以上前の先祖だよ。」

「何で夢の中で私を香純って呼ぶんだろう。いくらご先祖様だからって、乗り移るとかじゃないよね。」

「それは何とも言えないな。例えば七百年前に誰かが古いお寺のどっか棚の上に石を置いたとする。その石は位置エネルギーを持つよな。そして七百年後に地震が起きて、その石が棚から落ちたとする。丁度その下に沙織がいれば、七百年前の人が沙織に石を当てたことになるよね。」

「うん、まあそう言えるね。」

「位置エネルギーは単純だけど、もっと複雑な力をもったエネルギーが七百年間存続し続け、沙織に何らかの影響を与える事はないとは言えないんじゃないかな。」と父が説明した。

「何だかよく分からないな。」

「まあ、良いんじゃないの。何で超能力が使えるかも分からないんだから。」と兄が言った。

「宗教的に考えちゃだめよ。本来超能力と宗教は関係無いんだから。」と母が話を受け継いだ。

「超能力はやたらに使うわけにはいかないでしょ。だから超能力を伝える上での注意事項ってものがあるのよ。例えば私利私欲のために使っちゃいけないとかね。それが代々伝えられる内に一つの規範となって、さらに一族の内の能力のない人や普通の人をまき込んだ場合、宗教っていう形をとっちゃうのよね…。」

こんな真面目な、そして訳の分からない家族の話は初めてだった。

その二十六  JCIA

内閣調査室の渡辺修次郎はプラザホテルの十四階、エグゼクティブラウンジにいた。中肉中背で髪はきちんと七三に分け、きちんと背広を着ているが、どこか公務員らしくない飄々とした印象がある.ここはフリードリンクである.彼はドリンクバーから飲み物を二人分取り、両手に持って、テーブルに置くと、ゆったりしたソファーに座った.大きな窓からは新宿のビル街が見えるが、このラウンジは東京では数少ない盗聴されにくいスポットの一つでもあった。

「修ちゃん、JCIAの局長就任おめでとう。」渡辺の持ってきたグラスを受け取りながら、沙織の父の教授が言った。渡辺は教授の大学の後輩だった。教授は学生時代の言葉遣いに戻っていた。

「全然目出度くなんてありませんよ。何の力もない、名目だけの本部長です。ちなみにJCIAっていうのはマスコミが勝手につけたネーミングで、正式には緊急テロ対策本部です。」

「まあ、修ちゃんならお互い協力しやすいってもんだね。」教授が言った。

「私もそうしたいんですが、残念ながら、それがどうも怪しいんです。」

「どういうこと?」

「今回の対策本部は、内閣調査室、警察庁公安二課、防衛庁市ヶ谷通信中隊、海上保安庁の寄せ集めです。そしてそれぞれが例の脅迫に対する受けとめ方が違うんです。公安は近々来日する米商務長官を狙うテロの陽動作戦と見ているし、防衛庁はアラブゲリラ、海上保安庁は北朝鮮の陰謀と言って双方譲らない。もう、どうしようもないんですよ。おまけにアメリカからオブザーバーとして、自称テロ対策のプロと言うCIAから来た人間までいるんですよ。もう、どうにでもなれっていう感じですね。」

「そうなの、貧乏クジ引かされたんだね。」

「ほんとにそうですよ。日本を守るどころの騒ぎじゃないんですよ。それで最悪なのはCIAと公安が、商務長官警備に全力を尽くすべきだといって聞かないことです。」

「でも、日本海で押収した原爆があるじゃない。商務長官に対するテロじゃ、繋がらないでしょ。」

「まともな人間が考えれば当然そうですよね。でも、連中はそれも陽動作戦だって言うんですよ。」

「それは困ったね。」

「私も困ってます。公安の中には『先輩の秘密組織が仕組んだ事件だ』って言い出す者までいるんです。」

「え、何で…、総理初め、警察庁長官のお墨付きまであるんだよ。」

「でも、それは公にはされていませんし、連中は『仕組んだ本人じゃなければ、数ある漁船の中から、暗闇の中で二箇所も同時に武器の密輸船を発見できるわけが無い。』って言うんですよ。なんせ、組織力もダントツですし、逮捕権も武器使用権も連中は持っていますから。テロ対策本部は事実上公安に仕切られてるようなもんです。まさかとは思いますが、先輩を任意同行で事情聴取するなんてこともないとは言えない状況です。気をつけてください。」

「修ちゃんが本部長って聞いて、これで日本は救われたと思ったんだが…。」

「私も残念です。公安全部が私の部下になった訳ではないので、この流れは止められません。」

「分かった、わざわざそれを教えてくれる為に会ってくれたんだね。ありがとう。」

「いえ、私も何とか原爆が持ち込まれないよう頑張ります。」ぼそりと渡辺が言った。

 渡辺の表情は、何か寂しそうだった。出世欲に燃えるでもなく、誰にこびる事も無く、かといって人一倍仕事をこなし、自分の信念に忠実な信頼できる男。それが教授の渡辺に対する評価なのだが、それ故に渡辺の暗い表情が、今、日本の置かれている現状を物語っている様に感じられた。

その二十七 兄の推理

『本日未明、紀伊半島沖100キロの地点で、原爆と思われる爆発がありました。付近を航行中の船舶は現場に近付かない様…。』テレビが朝からこのニュースを繰り返し放送している。昼過ぎになると、

『ただいま入りました情報によりますと、悲しみの旅団が中東のテレビ局アルマジーラを通して紀伊半島沖の爆発について犯行声明をした模様です…。』

『本日午後3時、米商務長官のクルーザーが横浜港に入航しました。今回の原爆テロ予告の脅迫はは米商務長官を狙った陽動作戦という見方もあるため、横浜港は戒厳令でも敷かれたような厳戒体制がとられ…』

『テロ対策のプロである米CIAのジェームズ・コリン氏はインタビューに答え、未明の原爆は、商務長官のクルーザーを狙ったものではないかと…・。』

朝から父は居間のソファーに座り込んでテレビを見続けていた。恐れていた事が次々と現実化していた。そして玄関のチャイムが鳴った。

『浜教授ですね。警察庁公安二課の榎田と言います。お話を伺いたいので、ご同行願えませんか…』

父は着替えをし、警察の車に乗り込んだ.母は玄関前でお辞儀をし父を見送った.そして母が部屋に入るなり言った。
「沙織、千夜達つれて幸太郎と車で出かけなさい。当然尾行されるから、途中で車を降りてうまく巻くのよ。幸太郎は沙織を下したら、そのまま千夜達をつれて横浜のおばあちゃんの家に行きなさい。」

「お父さん大丈夫?」私が聞くと。

「大丈夫よ。連中は何もできないわ。ただ心配なのはお父様がキレた時ね、あの人は相手が警察だろうと軍隊だろうと喧嘩しちゃう人だから。でも、めったにキレないから大丈夫。」

「母上はどうするの?」

「戸じまりしたら出かけるわ。尾行を巻いたら、沙織がいる所に行くから。」

「私、どこへ行けば良いの?」好きなところほっつき歩いていなさい。あなたの居る所ぐらい分かるから。」

「忘れ物ないようにね。」

「あら、そうね。」と母は持ち物の点検を始めた。私も草薙の剣をもう一度握り締めた。

兄が車を運転しながら言った。

「沙織さん、今度のテロで一番得をする奴は誰だと思う。」

「テロリストグループでしょ。」

「それは、金が入った場合だね。金が入ろうと入るまいと得をする奴だよ。」

「…わかんない。」

「アメリカさ、それも日本の貿易黒字に腹を立てている奴。何でもアメリカが一番じゃないと気がすまない奴。」

「アメリカの商務長官?」

「多分ね。日本がテロに屈して金を払えば、その金が懐に入り、おまけに日本は国際信用を落とし、日本製品の不買運動が起きる。金を払わなきゃ原爆でドカン。長野に函館、新潟、仙台、みんな近くに各メーカーの第四世代コンピューターの最終組み立て工場がある。特に長野はパラトリック社の工場だ。パラトリックは秋にニュータイプを発表する。今度はビールス対策だけじゃなくて、立ち上がり零点五秒、ワープロ、表計算、画像処理などの主要ソフト、オールインワンだ。アメリカの大手ソフト会社は大打撃を受ける。これはアメリカとの経済戦争だと思うよ。」

「みんなその事、気がついてるの?」

「いや、気がついてないと思うよ。気がついた者がいてもテレビなんかで言ったら大問題になっちゃうからね。米商務長官が犯人だとは言えないよ。まあ、現時点では単なる俺の考えだ。商務長官が日本に来たら、母様が心を読んではっきりするさ。」

「今日、クルーザーで来たんじゃないの。」

「あの船には乗ってないよ。多分後から飛行機で来るんじゃないの。」

「なんで船に乗ってないの。」

「恐らく原爆積んでるからだろ。商務長官の荷物はフリーパスだ。多分CIAのジェームズ・コリンは超能力者だ、公安の幹部を洗脳したんだろう。」

「お兄ちゃん名探偵だね。」

「父様も母様も気付いていると思うよ。問題は、どうやって原爆爆発を阻止し、米商務長官を炙り出すかだね。さて、そろそろ尾行を巻くとするか。」

兄は車線を変えた。

その二十八 M

渋滞してびくとも動かない車から沙織はするりと抜け出した。尾行の車も動けない。勝手知ったる原宿の路地から路地を抜け、尾行を巻いた。小さな店に入り、ぶらぶら商品を見て母が現われるのを待っていると。ふと匂いがした。匂いというより一種の独特な雰囲気といった方が良いのかもしれない。沙織は咄嗟に自分の思念を隠した。沙織も修行のかいあってそれくらいのことは出来るようになっていたのだ。ぶら下がった商品の間から外を見てみた。あいつだった。以前やはり原宿で沙織を見張っていた奴だ。今日は沙織を見張っている訳ではなさそうだった。早足で店の前を通りすぎた。沙織はその男の思念を探ってみた。何も感じなかった。奴も思念を隠しているのだ。沙織は跡をつけた。今度は以前と逆の立場に立ったのだ。路地に野良猫がいた。

『ねえ、猫ちゃん。あの男つけて、煮干あげるから。』と手提げから煮干をつまんであげた。

「にゃあ」といって煮干をくわえると、そのまま男を追い出した。さっき家を出る時、ラーと千夜のおやつにと思って煮干を一袋手提げに入れておいたのだ。沙織は男との距離を十分にとって尾行した。明治通りに出た。人が多く、男の姿が見えなくなった。暫く歩きつづけると「にゃー」とさっきの猫が鳴いた。

『このビルに入ったよ。』

「ありがとう。」また煮干をあげた。そのビルは小さな事務所がいくつも入っているオフィスビルだった。ちょっと恐い気もしたが、いざとなったら『五鈷杵がある』と思って入って見た。このごろ五鈷杵もやっと使えるようになったのだ。1階には何の気配もなかった。二階、三階と上がっていった四階の廊下であの雰囲気がかすかに洩れているのを感じた。『多分三つ目のドアだ。』と思った。ドアには近付かず、中の思念を探ってみた。

『もう、勘弁して下さいよ。四人重傷、ベンツが二台オシャカなんですから。あの女達はいったい何者なんです?』

『今度が最後だ。』

『いくら前田の旦那の頼みでも、もう只じゃ何もできませんよ。それに品物の中身も何なのか教えてもらいませんとね。』

『じゃあ、ドラッグの件、表に出してもいいんだな。』

『またそれだ。どうせやばい品物なんでしょ。途中であの女達が出てきて、すんなり運ばせてはくれないんでしょ。』

『じゃあ、ここでの商売は諦めて、務所に入ってもらおうか。』

『わかりました、それじゃあこうしましょう。これが最後だと言う念書を書いてください。旦那の直筆のサイン入りでね。』

『いま、文書作りますから。』

男がパソコンを打っている文章も男の思念から沙織には聞き取れた。

『陽光物産殿 富士吉田から茅野への品物運搬を依頼する。これが最後の依頼である。その代償として、新宿、渋谷地区での麻薬密売を黙認する。』

『ここに今日の日付と旦那のサイン、それに拇印もお願いします。』

『これでもし私がパクられれば、旦那も一蓮托生ってえやつです。』前田がサインしている。『旦那もこれにサインするんだから、大分切羽詰ってるんですね。』

『大きなお世話だ。』

男は文書を封筒に入れ、金庫にしまった。沙織は前田という男が出てきそうなので階段を降り、隣のビルのランジェリーショップに入った。ここには普通男は入ってこない。

突然肩をたかれ沙織はびくっとした。母だった。

「偶然とはいえ、よくやったわね。この後は江間二尉に任せなさい。あの男が恐らくMよ。」男はタクシーを拾った。それを江間小百合のバイクが追っていった。

「私,思念隠してたつもりだったんだけど…。」

「ちゃんと出来てたわよ。普通の能力者なら気付かないわ。でも、私にはこれがあるから。」

と首の下を指した。服で隠れて見えないが、勾玉のことを言っているのだ。

「これから函館に行くわよ。超能力者が現われたらしいの。」タクシーを拾い、二人は羽田に向かった。

その二十九 函館

「あのホテルに三人泊まっています。」伊美富純一が母に報告した。

「二週間前長野からこっちに着いた時、稚内方面で特別な思念を感じました。その思念はすぐに消えてしまったんですが、従兄弟の隆司と江間和夫さんは函館に残り、私一人が稚内に行って見ることにしたんです。稚内についた翌日、短いテレパシーを感じました。『船』と聞き取れただけで、何の事かはわかりませんでした。でも、歩き回っているうちに、地元ヤクザともめているアラブ人三人がいるという噂を耳にしました。小さな町なのでその三人はすぐに見つけられたんですが、三人とも思念を消していて、心を読み取れません。ごく稀に夜中に非常に強い悲しみがにじみでることがありましたが、原爆を持っているとは感じられません。今回の件とは関係ないかも知れませんが、函館に移動したので一応ご報告しました。」

「何か邪悪なものは感じましたか。」

「いえ、全然。」

「分かりました。ご苦労様です。」

「私が稚内に行っている間に隆司と和夫さんが警察に連行されました。任意同行ということですが、実際は強制連行だった様です。二人は大丈夫でしょうか。」と純一が聞いた。

「別に悪い事した訳じゃないから、警察は何も出来ないわ。大丈夫ですよ。」と母。

「その二人も警察につかまったの。」と沙織が聞いた。

「そうよ、日本中に散った8チーム16人の内、13人が今、警察に泊められているわ。」

「これからどうするの?」

「もう時間がないから、直接聞いて見るしかないわね。万一の場合、あなた達は自分の身を守ることだけ考えてね。」

「私、戦うよ。」

「沙織はまだ、五鈷杵がやっとでしょ。強力な相手だったら通用しないわ。」

「でも、長野では…」

「あれは破魔の力でも草薙の剣の力でもないわ。次々に仲間を失った強い悲しみが爆発したのよ。あれはあなたの持つ潜在的な力ね。でも、コントロールできない力は力ではないの。生兵法は怪我のもと、今回は大人しく見ていなさい。」

沙織はちょっとシュンとした。

母は三人のいるホテルに入っていった。ロビーに座っていると、沙織達の来訪を知ってか、アラブ人三人が降りてきて、向かいのソファーに座った。双方無言だったが、テレパシーでの会話が始まった。

『私はもと中学教師のホラニーと言います。何か私達にご用ですか?』

『私は伊美富日女、この二人は娘と親類の者です。私達は日本を守る家系に生まれた者です。今、日本は原爆で脅迫されています。』

『脅迫のことは知っています。でも、私達は脅迫とは何の関係もありません。南、恐らく東京に邪悪な思念を感じます。その者達が犯人でしょう。』ホラニーが静かに念じていた。

『深い悲しみを感じますが、あなた方の目的は何ですか?』母が念じた。

『アメリカに行きたいと思っています。ただ、正式なルートでは入国できそうもありません。』

『ホラニーさん、あなたは強い超能力をお持ちですが、その力を何に使うつもりですか。』

『初めは復讐に使うつもりでした。でも、復讐の相手が見つかりません。そのうちに神が何に使うべきかお教え下さると信じています。』

『日本や日本人に対してはどうですか?』

『わかりません。日本は私達の家族を虐殺した共犯者です。破壊し、虐殺し、復興支援をしているという。そんな勝手で無責任な理屈は認めません。ただ、あなた方、特にこちらのお嬢さんとは闘いたくはありません。このお嬢さんも恐らく多くの親しい人たちを亡くしたのでしょう。深い悲しみの色が見えます。悲しい者同士が闘うほど悲しい事はありません。』

「母上、わたし、この人達に破魔茶を差し上げたいんだけど。」沙織が声に出して言った。

「長野破魔のお婆さんから、一缶もらったの。あの日、もう何にもする気がおきなかったけど、破魔茶を飲んだら、悲しみも、憎しみも和らいで、元気が出たの。」

『娘がこう申しております。道具を調え、もう一度伺っても宜しいでしょうか。』母がホラニーに念じた。

『喜んで、お待ちしています。』ホラニーにもハッサンにもアリにも目に優しい光がさした。

その三十 フランシーヌ

伊美富吾郎は東北新幹線に乗っていた.東京駅でたまたま超能力者の思念をキャッチし、そのまま尾行して乗り込んだのだ.その超能力者は小柄の白人女性だった.ムッシュ・ウーなる人物にテレパシーを送っていた.会話の内容はわからなかった.フランス語だったからだ.お互い理解しようとして対話する場合は何語であろうとある程度通じるのだが、盗聴する場合はそうはいかない.彼女の持つ緊張感と不安感だけを感じただけである.歳のころは30ちょっと前か、小柄だがスタイルの良いブロンドの美人である。吾郎は同じ車両の一番後ろの席に座り、自分から思念を発しないように細心の注意を払いながら彼女を監視し続けた.ムッシュ・ウーも同じ新幹線に乗っているらしいのだが、誰なのかは分からない.

初めはあまりテレパシーの会話もしなかったが、列車が岩手県に入る頃になると思念を全く感じないためか、またはフランス語であるため聞かれても分からないと思ったのか、二人はテレパシー会話を無警戒で頻繁に交すようになった.二人の会話を聞く内に女の名前がフランシーヌらしいことは聞き取れた、そして何度も函館という地名が出てくる.

吾郎は意を決して洗面所に立ち、伊美富日女に電話をした.簡単に事情を説明し、自分の思念に同調してくれと頼んだのである.つまりフランシーヌとウーの会話を聞くと同時に思念として増幅して発信する.それを伊美富日女に受信してくれと頼んだのだ.

『それは俺の仕事ではない.俺はあんたの指示した場所と時間に原爆をセットするだけだ.』ウーが言った.

『函館は初めてで土地感がないのよ.地図だけでは分からないわ、あなたは何度も函館には行ってるんでしょ.ムッシュ・ウー.』

『マダム・フランシーヌ、あの二人の女をAPにおびき出せば良いじゃないか、おれは予めそこに行っていて、あんたの連絡が入り次第時間をセットしおさらばするさ.それで俺の任務は完了だ.』

『でも、おびき出すと言ったって…』

フランシーヌは言葉を切った.今まで耳鳴りかと思ってさして気にしていなかったのだが、テレパシーと耳鳴りは関係無いのだ.音声通信ではないので、耳は使っていないのだ.さっきから言葉がほんの少しだがずれて二重に聞こえていた、いや、感じていた.日本の新幹線はトンネルが多いため気圧の変化で耳鳴りがすることがある.でも、テレパシーには関係無いことに突然気付いたのだ.

吾郎もフランシーヌの言葉が途切れた時、増幅発信を止めた.どんな内容で、どこまで伊美富日女に伝わったのか皆目検討がつかなかったが、心を無にして今は何もしないよう心掛けた.

その三十一 函館2

伊美富日女はあせっていた.予想外の展開である.既に原爆は日本国内にあり、今この函館に持ち込まれようとしている.そしてAPとは一体どこなのか、彼等の暗号なのであろうが、どこだか皆目見当がつかない.

「ねえ、何て言ってたの.」フランス語の分からない沙織が聞いた.伊美富日芽女はかいつまんで話して聞かせた.
「でも、フランシ―ヌっていう人テロリストっていう感じしないよね.」吾郎からの増幅思念を分からないながらも一緒に聞いていた沙織が言う.

「そうね、でも、ムッシュ・ウーにはぞっとするほどの冷たさを感じたわ.」

「私達だけでくいと止めるんでしょ.」

「そうするしかないみたいね.まあ、相手は二人なんだから何とかなるでしょ.」とは言ったが伊美富日女には何だか分からない不安が残った.

一晩中交替で吾郎からの増幅思念を待ったが、あれ以後何も送られては来なかった.一夜が開け朝になっていた。
「母上、コーヒー買って来たよ.」と沙織がホテルの部屋に戻ってきた.伊美富日女は真っ青になってテレビを見つめている.

『持っていた免許証から被害者は伊美富吾郎さんと思われますが、警察では確認を急いでいます.…』

「えっ、吾郎さんがどうかしたの…?」沙織が聞いた.

「新幹線のトイレで殺されたらしいの….」母は下を向いて目をつむり、何も言わなかった.地震で亡くなった一人を除けは、14人目の犠牲者が出たことになる.沙織も全身から力が抜けて行く思いがした.また同時に、犯人はウーに違いないと思った.

沙織のオーラは青い悲しみ色から、次第に真っ赤な怒りの色へと変わっていった.

「二人はもう、函館に着いたよね.テレパシーでどっか人気の無い所に呼び出して、対決しようよ.」

沙織が言った.

「待ちなさい.私達二人を殺すためだけなら原爆は使わないわ.何か別の目的があるのよ。」

「例の五兆円の脅迫でしょ。」

「その脅迫の犯人はアラブゲリラなんかじゃなくて、西側の人間、もしくは組織ね.そうじゃなきゃフランス人や中国人がこう深く絡んでくる訳ないでしょ.」

「中国人って?」

「ムッシュ・ウーよ.中国語だと「呉」って言う字はウーって発音するの.」

「じゃ、どうするの.」

「APがどこなのか知りたいわね.ただの脅迫だけなら函館のどこだっていいはずでしょ.でも、そうじゃないみたいじゃない.APがどこだか分かれば、敵の本当の目的もわかるはずよ.おびき出されてやりましょう.」母の目にはさっきの悲しみはもうなく、らんらんと闘志が燃えていた.

「沙織、草薙の剣抜いて御覧なさい.」

そう言われて沙織は立ちあがり剣を抜いた。赤みを帯びた金色の刀身が50センチほどに伸びた.」

「肩にまだ力が入っているわ.剣を見ちゃダメ.憎しみは忘れて無心になりなさい.」

沙織は言われたとおりしようと試みた.少し刀身が伸びたような気がした.

「天井に穴開かないかな.」

「シールド張ってるから大丈夫.天井突き破る事も無いし、どんなに大声で思念解放しても外には洩れないわよ.」

沙織は目をつぶり無心になろうとした.呼吸を出きるだけ静かにし、全身の力を抜いて行った.次第にぼうっとイメージが湧き出し、閉じたまぶたの裏に何かが見え出した.何か遠くで無数の光が瞬いている.次第にはっきりと見えてくる.光は灯火であり一つの面を作るかのようにゆうらゆうらと波打っている.そうだ、本当に波なのだ.大海原に何百何千と浮かぶ船の灯火なのだ.

「いいわよ、剣を見て御覧なさい.」母の声で、はっと吾に返った.剣は1メートルの長さに伸びていた.特別に伸ばそうとも念を送り込もうともしていないのに、剣はブーンとう唸りを発しながら赤みを帯びた金色に輝いていた.

「あとは光線銃のように使えればあなたも一人前ね.なんせ今度の相手は超能力者、それもウーっていう男はかなりの戦闘能力がありそうね.吾郎さんを悲鳴を上げる暇もなく一瞬で殺すくらいだからね.油断しちゃダメよ.」

沙織はこくりと頷いて見せた.

 

レンタカーを借りて、その足でプラザホテルに向い、ロビーに座り込んだ.フランシーヌが泊まりそうなホテルはそう多くない.先ず一番高級なホテルで張り込みを始めたのだ.伊美富純一さんには函館で一番大きなオーシャン・パイフィックホテルに張り込んでもらった.

ホテルのロビーわきの喫茶コーナーで遅めの朝食を取った.

「お兄ちゃんがこの前言ってたんだけど、脅迫の犯人はアラブゲリラなんかじゃなくて、アメリカの何とかっていう奴じゃないかって.」

「ベアーズ商務長官ね.」

「母上もそう思うの?」

「その方がつじつまが合うわね.」

「じゃあ、日本のコンピューター潰すのが、本当の目的なわけ.」

「かもしれないわね.函館にもコンピューター工場あるしね.」

「じゃあ、そこがAP?」

「かもね.いずれにしてもすぐにはっきりするわ.」

「ホラニーさん達が犯人じゃなくて良かった.」

「あの人達も、ひょっとしたら原爆持ってるわよ.」

「えっつ?」

「もっともあの人達の狙いはアメリカで、日本じゃないけどね。」

不安そうな沙織を見て

「あの人達はまともよ、今の所心配無いわよ.」と伊美富日女は言った.ゆっくり食事をし、コーヒーも飲んだが、フランシーヌらしき女性は現われなかった.暇を持て余し、ホテル内のブティックを冷やかし、本屋で立ち読みをし、昼近くになった.その時英語で呼びかける思念が聞こえた.かなり強い思念だが、ホテル内からではなかった.

思念は数分置きに送られてくる.ホテルの前でタクシーに乗った.

「あっちに走って」と運転手に思念を感じる方向を指差した.

「空港ですか.」と運転手は怪訝な顔で聞き返した.

「どこだか分からないけど、とにかくあっちよ.」

母が強く言うと、タクシーは走り出した.間もなく海岸沿いの278号線に出て東に向って走った.3キロほど走り、湯の川温泉まで来た時、母は左に曲がる様に言った.

「この辺に公園か、コンピューター工場ないかしら.」

「香雪園、見晴公園ともいいますが、この先にありますよ.工場だともっと北の函館カントリークラブの手前にありますけどね.」

「じゃあ、その見晴公園に向って下さい.」

公園につき、タクシーを降りるとき、

「待ってましょうか.」と運転手が聞いた.

「いえ、結構よ…、ああ、工場はここから遠いの?」と母が聞いた.

ちょっと戻ってから北へ2キロぐらい行った所ですよ.」と運転手は教えてくれた.

公園は蝦夷松や杉に覆われた針葉樹の森になっていた.小鳥のさえずりと、蝉の鳴き声が辺りを包み込み、公園の小道を蝦夷リスが走りぬけた.

「かわいい、今の見た?」

沙織がリスを見つけて言った.

「油断しちゃだめよ.私達はおびき出されているんだから.」

慎重に、それでも一見のんびりと散歩を楽しんでいる観光客を装って公園の奥へ進んで行った.

Mrs.and Miss Hammer. Where are you? I'm looking forward to see you.』英語の思念はまた呼びかけてきた.

「見晴らしのいいところでお弁当食べましょうか.」母は思念を発しないように注意しながら沙織に言った.相手をじらし、次にどう出るかみる作戦である.夏休みとあって、他の観光客も結構いる。山側から乾いた風が時折そよぎ、陽射しは強いが木蔭に入るとひんやりと心地よい。さっとそよ風が吹き抜け広葉樹の葉を震わせた。日の光を受けて葉がキラキラと光って見えた。

「何かのどかね。原爆なんてまるで嘘みたい。」沙織がつぶやくように言った。

見晴らしの良い所には流石に人が多く、お弁当を広げている人も結構いた.

適当な場所に小さなビニールシートを敷いてホテルで買ったサンドイッチを広げた.

「ねえ、金髪の白人.」沙織が言った.100メートルほど離れた小道から姿をあらわした白人女性が、廻りを見渡し、そばのベンチに座った.また英語の思念が二人を呼んだ.

「どうやら、そうらしいわね.様子を見ましょう.あんまり見ちゃダメよ、あなたは漫画でも読んでいなさい.」そう言われて沙織は、さっきホテルの本屋で買ったコミック誌を取出して読み出した.

十五分が過ぎた、女はベンチに座ったまま動かない.

「ムッシュ・ウーはいないみたいね.引き上げましょう.」伊美富日女が沙織りを促した.

ゆっくりとビニールシートを片付け、公園の入り口へと向った.フランシーヌはこちらの存在には気付いていない様子だった.

タクシーを拾い、ホテルに向った.

「見張ってなくていいの?」沙織が聞いた.

「彼女はただの囮ね.能力もテレパシーだけみたい.きっとこういう任務は初めてなんじゃないかしら.不安と緊張でいっぱいいっぱいって感じだったわ.」

携帯が鳴った.伊美富純一さんからだった.

『原爆を持っている男が今チェックインしました.超能力はありません.東京から車で来たようです。受けつけたホテルマンの意識を読んだところ、男の名前は大友淳一、車は品川ナンバーの白のクラウン.30代後半のつるっとした感じの結構良い男です.』

『分かりました.そちらに向います.』

「ムッシュ・ウーじゃないの?」

「車で来たって言ってたから、別人でしょうね.」

その31 新宿

その日の前日、川島警部は新宿のバーで一人飲んでいた.まだ胸と左腕にはギブスがつけられている.

「まだ飲まない方がいいんじゃないの.痛々しくて見ていられないわよ.」

「なに、俺は叩き上げのデカだ、この程度どうっていうことないさ.」

60歳過ぎのママが一人でやっている古い店である.ママといってもオカマだ.タイガースファンでいつも縞のユニフォームと帽子をかぶって店に出ている.薄暗い店の壁にも所狭しと野球選手の写真がかざってあるが、どれも黄ばんで古びている.夜中の2時を廻っていた.カウンターの隅には酔っ払って帰れ無くなった客が低いいびきをかいて眠っている.客はその男と川島の二人きりだった.この店は川島警部の情報源の一つでもあった.彼の情報屋が集まる店なのだ.

 川島は地震で死んだ安倍警視のことを考えていた.この任務に付いた時、何故一介の刑事でしかない自分が選ばれたのかが分からなかった.でも、どうやら安倍警視のご指名だったらしい.安倍警視は左遷されたといつも愚痴っていた.警視庁のエリートコースを歩んでいるつもりが、突然長野の山奥に飛ばされたのだ.その理由が、聞いたこともない名前の教授の指名で、自分が安倍の清明の子孫だったからだという.ふてくされて会議にも出ず、代わりに川島警部を出させたりして、通信室に篭っていた。しかし、それが命取りになってしまった.でも、彼には一つの読みがあった.大都市に原爆をし掛けて爆発させるだけの冷徹な実行力のある者はそう多くはない.しかも予告しての事である.先ず外国人、特にアラブ系や東南アジア系には厳しいチェックがあるだろう.過激派にしてもヤクザにしてもやりそうな者の名前は特に浮かばない.思いつく名前はただ一人、プロの殺し屋、大友弘である.
 組長連続殺害事件というのがあった.中国マフィアのドンが殺された事件もあった.必ず名前が挙がるのが大友なのだが、いつも完璧なアリバイがある.身長
178センチ、痩せ型、37歳、のっぺりとした色男で、噂ではカンフー、射撃、爆発物、なんでもござれのプロである.新宿でよく見かけられる.そこで新宿署の川島警部が指名されたのだ.

川島も安倍警視の読みは間違っていないと思う。大友弘の線から探るのが安倍警視の弔いになるような気がする。生き残った自衛隊の連中はヘリ基地の建設に走りまわっているようだが、幸い怪我人の自分にはこれといった仕事はない.少々無理をしても病院を抜け出し、聞き込みを始めたのである.

「俺の留守中、変わったことはなかったのかい.」長い沈黙のあと川島が口を開いた.

「とくには聞いていないけど。」

「大友弘を見たって言う話はないかい。」

「さあね、聞いてないけど、そろそろあっちこっちの店が看板になるから誰か来るんじゃないかしら.」

店のドアが開いた.

「いらっしゃい.今うわさしてたところよ。」

「あっ、旦那…。久し振りで、どこに行ってたんです?あれ…、名誉の負傷ってやつですか。」とその男は川島のギブスを見て言った。

「まあ、そんなところだ。」

川島は入ってきた40柄みの男に自分のボトルの酒を注いでやった.

「大友弘を見なかったか?」

「何かあったんで?」

「例の原爆脅迫事件さ。」

「奴が関係してるんですか。」

「それは分からないんだが、仮に豊富な資金が有って、間違い無く仕事をこなしたい時、誰に頼む?」

「なるほど。」

「まあ、その程度の読みなんだがな。」

「妙な噂があるんですよ.大友弘が二人いるって言ってる奴がいるんです。」

「何だそりゃ。」

「何でも新宿の南口でデパートに入っていくのを見たすぐ後で、NSビルの大時計の下でコーヒーを飲んでいるのを見たって言ってるんですよ。」

「その見た奴が移動している間に、大友も移動したんじゃないのか.」

「まあ、そうかもしれないんですがね。双子なら、アリバイ工作もできるんじゃないかってね….」

「ふん、面白いな。それで近頃奴を見たってえ話はないのか.」

「聞いてませんね。」

川島はもう一杯注いでやった。更に何か情報をききだそうとしたが、大友についてはそれだけだった。

その32 函館3

翌日、沙織と母はレンタカーを借りて函館カントリークラブに向った.昨日行った見晴公園より山に入った所だが、コンピューター工場近くまで新興住宅地と言った感じで家並みが続いていた.

「函館の中心部からは離れているけど、ここで原爆爆発したらやっぱり被害は大きいね.」

「だから食いとめないとね.」母が答えた.

カントリークラブに着き、暫く散歩をして喫茶室に入った.

「ねえ、部屋に踏み込んで原爆抑えちゃったら.」テーブルについて沙織が言った.

「下手なことしてスイッチ入れられたらお仕舞いでしょ.向こうにだって超能力者はいるんだし、そういった準備だってしてるはずよ.」

「そうか.」

「原爆はホテルに有った方がむしろ安全なのよ.JCIAの渡辺さんの話だと日本海で押収した原爆は超小型で半径500メートル以内が蒸発、半径3キロが高温と爆風で倒壊もしくは焼失っていう規模らしいの.多分車のトランクに入るくらいだから同じ型の原爆ね.もし函館の中心部で爆発させても、工場はホテルから5キロ以上離れているし、山間にあるから直接の被害は出ないわ.まあ、風向きによったら放射能汚染はするかもしれないけど、連中もそんな半端な仕事はしないはずよ.」

「本当に敵の目的は工場なの?」

「それはもう間違い無いわ、伊美富の力は敵の意図を知る事よ.」

純一から電話連絡が入った.

「四人連れの男が大友を訪ね、今一緒に車で出かけました.五人とも緊張しています.思念を読んだところ原爆を仕掛けるつもりです.プロの殺し屋といった冷酷さも感じます.今そちらに向っています。」

「了解、JCIAの渡辺さんに連絡して、できれば爆弾処理班を手配してもらって下さい.それと東京の幸太郎、そして宮内庁の占部さんに状況を報告して下さい.」

 

すぐには喫茶室を出なかった。人家の有る所で出くわしたくなかったからだ。暫くすると、沙織は奇妙な気持ち悪さを覚えた。

「思念を殺しているけど、超能力者が2人…。今5人と合流したわね。車から原爆降ろしてるわ。」遠くを見る目で伊美富日女が言った.沙織りの気持ち悪さは連中の邪悪さを感じたのだ。

7人もいるの。それで連中、今どこにいるの?」

「ここと工場の中間辺りかしらね。そろそろ行きましょうか。」二人はレンタカーに乗り込んだ。

カントリークラブからコンピューター工場の間には人家は無く、両側は針葉樹の林になっている.暫く走ると白い車が道をふさぐ様に停まっていた。車を停めると、白い車から男女が降り立った。

「マダム・ハマとマドモアゼル・サオリですね.」男がフランス語で言った.

「思念を出していないのに、よく分かったわね.」伊美富日女もフランス語で答えた.

「やはりフランス語がお分かりになるんですね…。ゴルフもしないでカントリークラブに行く母と娘、あなたがた以外に誰がいます?」と男。

「そういうあなた方はムッシュ・ウーとマダム・フランシーヌ.他のお仲間はどこかしら。」

「向こうの林の中で原爆のセッティング中ですよ。」とウー。

「このままだと、あなた達も一緒に死ぬことになりはしない?」

「御心配無く.あんたらを倒した後、被害の及ばない所まで逃げますよ。マダム・ハマ」つるりとした美男子だが蛇のような目で笑ってウーは答えた。

「上手なフランス語ね。どこで覚えたの?」

『外人部隊』ウーの心に答えが浮かんだ…が声には出さなかった。

「あなた超能力ないわね、そしてウーでもない。」

「俺はウーだよ。確かに超能力はないけどね。」

と言い終わらない内に、男は胸のホルダーからピストルを抜いて撃った。瞬間、伊美富日女は緑色のバリアーを張り、弾丸は弾き返された。今度は伊美富日女が炎のイメージの思念を吹きかけた。フランシーヌは悲鳴を上げて顔を覆ったが、ウーは平然と立っていた。

「そんな子供だましは利きませんよ。イメージだけでは焼けどもしませんからね。」

伊美富日女は五鈷杵をバッグから取り出した。

「どうするつもりです.浜大姐(ピンダーチェ)その武器はそのバリアーを外さないと使えないでしょ。」今度はウーが中国語で言った。

その時、沙織は草薙の剣を抜くと左に走った。伊美富日女は右に走り、林に入って五鈷杵を光線銃にして発射した。銃声が轟く。沙織は左の林に飛び込み、草薙の剣を水平にし光線銃にして発射した。糸の様に細い光線が走ったがウーは身を翻してそれを避けた。フランシーヌも車の影に走りこむとピストルを取りだし沙織を撃った。沙織は身を伏せフランシーヌを撃ったが車にスッと浅い傷をつけただけだった。ウーは伊美富日女を追って林に入った。フランシーヌは更に撃ってくる.沙織は深呼吸しまた光線を発射した.幾分光線が太くなったが、当らない.外れた光線が杉の木を焦がした。

道の向こうの林の中ではウーと伊美富日女がはでに撃ち合っている.他の4人も加わり、銃声が引っ切り無しに聞こえる。ウーの近くの木の枝が五鈷杵の光線を受けて落ちる。伊美富日女が身を隠している木に銃弾がビシビシと音を立ててめり込む。ウーの動きは敏捷でなかなか捕らえられない。伊美富日女も木やバリアーでうまく身を隠し、弾丸を弾き返している.

フランシーヌの弾が切れ、弾倉を換えようとした時、沙織は林から飛び出し、剣に変えてフランシーヌに切りかかった。が、突然大きな力が横から吹き付けた.訓練の賜物で瞬間避けたが、それでも沙織は弾き飛ばされた。一回転して体制を整え、その方向に構え直すと、ニタニタと不気味な微笑を浮かべたウーが立っていた。

沙織は『あれ?』っと思った。ウーは向こうの林の筈であった。沙織に隙ができた。男が掌をぐっと押し出したかと思うと、大きな砂袋を投げつけられたようなずっしりと重く、強烈な圧力が噴きつけられた。沙織は剣で受け、圧力を半減させたものの、また吹き飛ばされ、今度は背中をいやというほど打った.その間、男は向こうの伊美富日女にも圧力弾を数発打ち出し、めりめりと木をなぎ倒した。彼の発射する圧力弾に当ると、あばら骨が砕け内臓破裂で悲鳴を上げる暇も無く即死するのだ。その間に沙織りも攻撃する。フランシーヌも撃つ。男は続けざまに圧力弾を撃った。沙織はくるくると転がってそれを避けた。男は焦り出した。今まで仕事は一発で仕留めて来た.それをことごとくかわされているのだ。圧力弾を撃つと彼自身の体力も消耗する。動揺を隠すため、そして消耗した体力を回復するため、時間稼ぎに、男はしゃべった。

『なかなかやるね、お嬢さん。でも、俺に勝つにはちょっと修行が足りないね。』

『あらそうかしら。』沙織もどう戦ったらいいのか考えていた。原爆はセットされたかもしれない。そうだとすると時間が無い。

『そろそろ観念したらどうかな。』

『早く片付けなさい。時間がないわ。』フランシーヌが男に言った。フランス語なので沙織には分からない。

『逃げたければ一人で行け。受けた仕事は最後までやる。』

『随分おしゃべりな殺し屋さんね.』沙織が言った。

『じゃあ、お遊びはこれぐらいにして、そろそろあの世に旅だって貰おうか.』

とどめとばかりに圧力を発射してきた.沙織は横に飛んですれすれに避けた.今まで沙織が立っていた道がボコリとへこんだ.すかさず沙織も剣を水平に薙いだ。細い光線が走ったが目前の男は身を反らして避ける。もう一振り、更に一振り、沙織が身を立て直しながら剣を振るうごとに、光線は太くなって行く.男もことごとくそれを避ける.パンと拳銃の発射音.今度はフランシーヌの銃弾を沙織が避ける.大友の圧力カ弾が沙織を襲う.音を立てて木が折れ枝が粉々に吹き飛ばされた。そんな繰り返しが暫く続いた。

突然フランシーヌは車に乗り方向転換すると急発進させて山道を走り出した。もう逃げる時間が無いと思ったのだ。沙織は車に光線を発射したが、車はそのまま走り去った。

 

伊美富日女は思わぬ苦戦を強いられていた.彼女は実戦の経験が無い。訓練も受けていない.新宿のホテルの時は相手が超能力者だったので十分相手の行動が読めたし、余裕もあった.しかし、今の相手は場数を踏んだプロの殺し屋らしい。考える前に体が動いている。それも相手は5人だ。超能力者ではないので発する思念も弱く、反射的に動くので全く相手の行動が読めない。攻撃しようとシールドを解くと、必ずどっかからか弾丸が飛んでくる。沙織の事が気に掛かるが、逆にどんどん遠くに引き離される。五鈷杵を発射し木蔭に走り込みシールドを張る。弾丸が何発も飛んできて木に食い込んだ。ふと足元を見ると根元の腐葉土にムカデがいた。これだと思い、思念で敵の足元に無数の大百足を這わせた。『あーっ』という驚愕の声が上がった.すかさず五鈷杵を打ち込む。一人倒した。

「幻覚に惑わされるな.」ウーが仲間へ怒鳴った。もう、この手は使えない。

沙織の方へ移動する。何かが飛んできた.手りゅう弾だ。シールドを張ったまま逆方向へ走る。うしろで爆発音がし、土埃を被った。気を取られた瞬間、シールドが消え、銃弾が浴びせられた。腕にかすり傷を負った。効果有りと見た敵は、手りゅう弾作戦に切り替えた。

伊美富日女には何とも手詰まりだった.じわじわと包囲の輪が狭められる.何とか敵をかく乱しようとウーに強力な思念を送った.

『列車の中で吾郎さんを何故殺したの?』

『俺じゃあない。昨日列車に乗っていたのは兄貴だ.』ウーは答えたくないという気持ちと同時に答えが心に浮かんでしまう。

『兄貴って誰なの?』

双子の兄の大友弘。超能力があるのは兄貴だ。ちょくちょく入れ替わっている。』

伊美富日女はどんどん敵に質問を浴びせ掛けた。思念があまりに強いために、流石のプロも瞬間動きが止まる.その一瞬を見て伊美富日女は攻撃をした。

『何で名前を入れ替えたの?』

『大友っていう名前は警察にマークされている。警察抜きであんたらをおびき出したかった。』とウーの思念が言った.

『でも、ホテルのチェックインの時大友を名乗ったじゃない.』

『プロの仕事士は名前を売るのも大事だ。でかい仕事すれば、次の仕事のギャラが上がる。』ウーが思念質問に撹乱された隙に、伊美富日女は有利な場所に移動した。

『兄弟なのに何で名前が違うの?』

『俺は日本生まれの香港育ち、兄貴は日本生まれの日本育ち、都合でちょくちょく入れ替わったり、二人一役を演じている。』ウーの動きが止まった。すかさず攻撃する。ウーがかわす。別の男が動いた。

『後ろ』と強い思念をその男にぶつける。男は瞬間、後ろに気を取られた。伊美富日女の光線が男の胸を貫いた。

もう、話題もつきた。もはやいちかばちかの勝負に出るしかなかった.シールドを最大レベルに上げた.これならそばで手りゅう弾が炸裂捨しても被害はない.敵が側まで来たとき、五鈷杵を剣にして斬りつけるのだ.それなら相手が木の陰にいても、木ごと斬り倒すことが出来る.ただ、相手はまだ三人いる.相手の弾丸をかわせるかどうかが賭けだ.伊美富日女は敵の動きを読もうと目を閉じ、呼吸を整えた。

ふと、別の思念を感じた.ウーの邪悪な思念ではない.透き通った思念だ.ピシっと空気が裂けた.バンと小さな爆発音がして、数メートル先の敵が仰向けに倒れた。彼の右手と胸が真っ赤に染まっていた。銃が暴発したのだ。敵の気配が遠ざかる.残った二人は逃げたのだと分かった.

 

その間沙織も死闘を続けていた.

「流石にしぶといな.」男、いや大友がそうつぶやくと、ポケットから大ぶりの五鈷杵を取り出し、ブーンと唸りを上げる剣にして沙織に斬りかかった.もう圧力弾を撃つ体力が無くなったのだ。沙織も光線を浴びせたが、ことごとく外された.沙織は大友の一太刀目を紙一重で避け、二太刀目は草薙の剣で受けた.バシっと火花が散り草薙の剣が大友の五鈷杵を撥ね返した。今度は沙織が絶え間無く太刀を浴びせる.大友は五鈷杵で受けながらも受身にまわり次第に押され気味になった。バンっと銃声がし、沙織りの右肩を弾丸が掠めた。いつのまにか大友の左手には銃が握られていた。沙織の体制が崩れた、それを逃さず大友が打ち込もうと振りかぶった時、ピシっと空気が裂ける音がして大友の動きが止まった。次第に大友の胸が赤く染まりだし.ばたりと仰向けに倒れた.振り向くとアリとハッサンが立っていた。

沙織と伊美富日女に優しく思念で語りかける者がいた。ホラニーだった。

『邪悪な思念を感じて急いで来たのですが、移動手段がタクシーしかないので言葉が通じず時間が掛かってしまいました.お怪我は大丈夫ですか?』

『はい、ありがとうございます。』伊美富日女が答えた。

『原爆のスイッチが…』沙織はそう叫ぶと、アリとハッサンに一礼し、母の方に走った。

伊美富日女は原爆の前に座り込みじっと爆弾を見つめていた。

「どうするの?」沙織が聞いた.

「分解して止めるしかないでしょ.」

「爆弾処理班は?」

「もう間に合わないでしょ.」

「母上がやるの?」

「機械いじりは得意よ.」

「でも、この前時計分解して元に戻せなかったじゃない。」

「これは時計ほど複雑じゃないわよ.」

『私がやりましょう.原爆づくりと、時限装置づくりはずっと見てましたので、分かると思います。』

ホラニーが言うと、ハッサンが軽く原爆にふれ、内部構造を透視し始めた.伊美富日女はホラニーの思念に同調し、ホラニーの目を通して内部を見た。

『解除できない様に3重の仕掛けがあります.まず、動かすと中の振り子が動いて爆発します。次に、このカバーを外しても爆発。最後に5本の電線の内、3本がダミー。ダミーを切っても爆発します。緑と白が本物です。奥さん、振り子を固定し、緑と白を切ろうと思いますがどうでしょう。』ホラニーがテレパシーでそういった。

『はい、私にもそう見えます。やってください.』

ホラニーは時限装置に触れたまま目を閉じて3分ほど動かなかった。先ず、すっと振り子が持ちあがり吊ってある鎖といっしょに溶けて固まった。次にパシッと緑と白の電線がそれぞれ1センチほど溶け無くなった。

『これで大丈夫でしょう.私は金属を自由に曲げたり溶かしたりできるんですよ。』とホラニーは立ち上がって言った。

『ご苦労様です.多くの命が救われました.ありがとうございます。』伊美富日女がホラニー達にそうテレパシーで礼を言った。

ホテルに帰ると、テレビがローカルニュースを告げていた。

『…後続車の運転手の話では、事故車はスピードを出しすぎていた上に、突然後部タイヤがパンクし、ハンドルを切りそこなって対向車線のトラックに激突したということです。死亡した運転手は持っていたパスポートでフランス人観光客のフランシーヌ・ラタンさん…。』沙織りは最後に撃った光線がタイヤに傷をつけていたのかと思った。彼女からは邪悪さをあまり感じなかったので、ちょっと複雑な気持ちに落ち込んだ。

その三十 横浜

沙織は母から渡された住所の建物の前に居た。北海道から戻り、母とは羽田で別れたのだ。横浜港に近い古びたビルで、エレベータがきしんだような音をたてた。七階で停まる。七二三号室のチャイムを鳴らすと江間小百合が出てきた。横から犬の栗麻呂が顔を出し、飛びついてきた。

「ここが私達のしばらくのアジトよ。」小百合が言った。

部屋は二十畳ほどのワンルームだったが部屋の中は薄暗かった。

「やあ沙織さん、北海道じゃあ大変だったね.怪我は大丈夫?」兄が言った。ソファーに座るとラーと千夜が擦り寄ってきた。

「ここはね、伊美富の徳蔵さんが見つけてくれたんだ。最高の眺めだよ。と大きな机の上に液晶モニターを三台並べ、それを見ながら言った。窓には薄手のカーテンが閉められ、ビデオカメラ三台と写真機二台が三脚で外向きにセットされていた。

「赤外線カメラだからカーテン越しでも映るんだよ。モニター見てみ。」

大きな船が映っていた。

「米商務長官のプライベートクルーザーだよ。来日して四日目だから、公式行事を終えて、今日あたりあの船に来ると思うんだ。」

「クルーザーっていうより、客船みたいね。」

「ああ、超豪華クルーザーってえ奴だね。ああ、それからこれ渡しておこう。無敵の思念無線機だ。微弱電波だから普通の無線機ではキャッチできないし、一応無線機だからテレパシーとしてもキャッチしずらい。俺の苦心作だ。」

「お兄ちゃん何でも作っちゃうんだね。」

「今年はこんなことばかりやってるから、目の前に”留年”ってえ文字がちらつき出したよ。」

「うちは貧乏なんだから…って言う母上の口癖が聞こえそうね。」

「ああ、人使い荒いくせに、それが当然だって言うんだな。まあ、父様が動けない分、やらにゃならんけどな。」

「くじ引きよ。」江間小百合がくじを出した。

「何の?」交代で見張るの。

「だって、ビデオ三台でずっと撮ってるんでしょ。」

「多分原爆は、まだあの船の中にあるわ。車に積み込む写真と積み込んだ車のナンバーを写真に撮るでしょ。そしてその車から原爆が発見されれば、動かぬ証拠になるって言う訳。」

「でも、デジタル映像はコンピューターで簡単に改造できるから、やはりフィルムじゃないとね。」と兄が補足した。

その晩何の動きも無かった。ただ、他の人の番だと眠くないのに、自分の番が近付くと眠くなるのは何でだろう。

「お兄ちゃん、眠くなってきた。」

「いくら沙織さんの頼みでも、こればかりはやってもらわないと…。コーヒーでものんだら。」

「コーヒー利かないもん。」

「じゃあ、抹茶は?」

「そうだね。試してみようか。」

沙織は濃い目にたてて飲んでみた。でも、眠気は治まらなかった。

「交代まであと何分?」

「十五分だよ。」

「じゃ、十五分寝るから起こしてね。」

沙織はソファーに横になった。

 

夕暮れが迫っていた。目の前には何百艘という帆船が停泊している。海岸の土塁には盾を並べ、弓を構えた武者達が海をにらんでいる。丘の上に設えられた櫓の上に自分は座っている。巫女の衣装をつけ、手には草薙の剣。息を整え、魔を払う陀羅尼経(だらにきょう)を低く唱え出した。「阿仁麼爾摩真昵、舎毘亜奢日戴戦弖…」

祈りは数時間に及んだ。目の前の護摩壇の火だけが辺りを照らし出している。遠くに揺れる無数の灯火。空には天の川がくっきりと見え、晴天であることはわかった。それ以外は陸も海も見分けがつかないほどの暗闇に包まれていた。

突然、突風が巻き起こり、旗指物がばたばたと音を上げ、棚引き出した。波も出てきたらしく、船の明かりがうねる様に揺れ出す。風は次第に激しさを増し、天の川を暗雲が覆う。雷鳴が轟き、突然バケツをひっくり返したような雨が降り注いだ。それでも護摩壇の火は消えない。巫女…私は更に激しく祈りつづける。「アニマニママネ…」

「起きろ、時間だぞ。交替だ。」遠くで兄の声がする。

「沙織、沙織…もう。大丈夫なのかなあ、最後はお前の力に掛かってるんだぞ。」

「御案じなさいますな。」兄の声に誰かが答えている。

「あれ、沙織どうした。」

「吾は、香純でござります。」

「ご先祖の香純様ですか。」兄が驚いた声で言っている。

私は深い眠りの中。これは夢か。いや、兄と話しているのも私。

「はい、長野の破魔茶に、念を込めました。沙織殿のお力になりまする。」

はっと目が覚めた。

「お兄ちゃん、今の夢?」

「いや、現実だよ。」

江間小百合は美人に似合あわぬ豪快ないびきをかいて眠っていた。

その三十一 スイートルーム

「君達には失望したよ。ことごとく失敗じゃあないかね。」

「何分、予想外の敵だったもので。」

「君も超能力はあるんだろ、ミスターコリン。いや、あったと言うべきかな。」

「日本の警察も、海上保安庁も我々の動きを全く感知していませんでしたし、これほど強力な超能力者の組織があると、思ってもみなかったもので…。」

「それで、攻撃するつもりが、逆にやられてしまい、超能力がなくなったという訳か。弁解は聞きたくないんだよ。任せてくれと言ったのは君達なんだよ。」

「はい、でも敵の首謀者は確保してありますから、もう大丈夫です。」

「ミスターマエダ。確保したのは日本の警察で我々ではない。きみは、あんな小娘一人消せないじゃないのかね。」

「捕まえて、万一の為の切り札にしようと思ったもので。」マエダがおずおずと答えた。

「初めはやくざ、次に中国マフィア、そしてゲリラ。全部失敗じゃないか。」

「申し訳けありません。」マエダが頭を下げた。

「でも、もう大丈夫です。超能力者の組織はほぼ壊滅です。残っているのは小娘と、その母親と数人だけですし、テロ対策本部は我々の言い成りですから。」コリンが言った。

「その母親に負けたのは君だよミスターコリン。」

「母親の超能力は仕掛けられた超能力攻撃を撥ね返すだけです。どこかにおびき出し、残ったゲリラに始末させますので、ご安心を。」

「もう、時間がないんだよ。来月、パラトリック社がコンピューターのニュータイプを発表したら取り返しがつかなくなる。これが君達にとっての最後のチャンスだ。失敗したら君達に未来はないんだよ。」

「分かっています長官。」二人は部屋から出ていった。

ベアーは函館の失敗はあえて二人には言わなかった.言い訳の材料を与えるだけだからだ。フランシーヌは素人にしてはよくやった方だと思った。彼女は、ああいった血なまぐさい仕事こそ初めてだったが、情報を入手し、政敵を失脚させる仕事では実に有能な私設秘書だった。有能な殺し屋ウーを見つけ、あと一歩というところまで行ったのは褒めてやりたい程だった。『あの邪魔さえ入らなければ』と思った。ワインをグラスに乱雑に注いで一気にあおった。いまいましさに顔が歪んだ。もはやコリンとMを囮に使い、敵の超能力者をはじめ自分の計画を阻止しようとする連中をどこかにおびき出し、自分の手で一度に始末するしかないと決心した。

 

「あの部屋には思念シールドが張られています。やはりベアー商務長官は超能力者です。」ホテル最上階の貴賓室を見張っている伊美富徳造が思念無線機で報告した。

「先程、ホテルにCIAのコリンと公安二課の前田警視が入っていきましたので、何か話していると思いますが、シールドがあるので何を話しているのかは分かりません。」

「了解しました。引き続き見張ってください。」沙織の兄、幸太郎が思念無線機の向こうから答えた。

幸太郎は徳蔵にお悔やみうを言いそびれた。言いそびれたと言うより、言うべきか迷ったのだ。徳蔵の息子吾郎が新幹線で殺された。徳蔵はすぐにでも吾郎のもとに行きたかったに違いないのだが、持ち場を離れず、それには一言も触れず見張りを続けている。幸太郎の父が公安に留められ、動けないため、幸太郎は今、父の代わりに総指揮を執っている。留置場からテレパシーで指示を出すことは可能だが、それをするとこちらの手の内が敵にばれてしまう。自分から進んで引きうけた訳ではないが、総指揮者の立場として何か言うべきだとは思うのだが、言葉が喉につかえて出てこないのだ。また、徳蔵に持ち場を離れさせる人的余裕もない状況である。仮に悔やみを言い、葬儀の仕度をしろと言っても、徳蔵の返事は分かっている。『これは戦です。吾郎のためにも負けられない戦ですよ。』徳蔵はそう言うに違いないのだ。指揮者とはつらいものだと幸太郎は思った。

その三十二 アラブ人漁師

夕方の潮風に吹かれながら、日本という国は奇妙な国だとホラニーは思った。初めて日本に来て一ヶ月が経った。初めは日本人の危機感のなさに無責任さを感じ、嫌悪感すら抱いた。中東に対する知識も薄く、戦争なんて全く無関係と考えている日本人。警官や自衛隊員までがそうなのだ。そんな日本が何故アメリカの同盟国で、軍隊まで送っているのか。ホラニーには全く理解できなかった。しかし、先日沙織という若い女性とその母親に会った時、とても新鮮なものを感じた。とても人間的で優しさを持ち、思いやりも今までに会った日本人以上にあるのに、凛とした戦士でもあるのだ。こうしたほんの僅かな戦士によって日本の平和が保たれている。日本という国が更に不可解なものに感じられた。

「ほれ、ぼけっとしてねえで、減速せえ、岩場にぶち当たるでねえか。」小山田の声にはっとした。

「おめえさんも、まあ、天気がよけりゃ一応動かせるようになったが、時化もあるでな。もう少し練習しなきゃ船はだせねえな。それでなんだ…授業料もうちょいだせや。」この船の元の持ち主である小山田がいつもの台詞を言い出した。

貨物船でのカナダ密航が上手く行かないので、ホラニーは中古の漁船を買ったのだった。勿論闇ルートで、名義変更などはしていない。大型高速エンジンも取り付け、博打と酒に溺れた元持ち主から操船方法を習っている。これでホラニーの持ち金は一万ドルを切った。

『あなたはまだ懲りないのですか。私がこの船を買わなかったら、あなたは殺されていたかも知れないんですよ。もう、酒と博打は止めなさい。授業料は全額払ったじゃないですか。』ホラニーはテレパシーで答える。もう、日課となったやりとりだった。遊び癖はそう簡単に直らないものらしく、借金取りにあれほど怯えていた小山田も、借金が一段落するとまた悪い癖がうずきだすようだった。目的は操船練習だが、人目があるので一応漁もする。漁師仲間は小山田が変な外人を雇ったと思っている。調子のいい小山田は東京で万馬券当てて借金を返したと豪語している。

ホラニーは小山田を何とかまっとうな生活に戻してやりたいと思っている。悪い癖さえなければ腕の良い漁師なのだ。ちょっと意志が弱いが悪い人間ではない。だから毎晩借金取りに追われている思念を送って夢を見させたり、ヤクザの誘いに乗らないように気を使ったりもしている。

アリとハッサンは片言の日本語を覚え、他の漁師仲間に可愛がられている。沙織の破魔茶を飲んでから、二人は少し明るくなった様にも思える。

ホラニーは沙織達が誰と戦っているのか興味を覚えた。そして沙織の周りの人間の思念を探る内に、敵は誰なのかも此の頃解かりだしたのである。

アメリカの兵器産業の大株主で数社の重役も兼ね、なおかつアメリカ商務長官。利権競争で常に勝ち抜き、今の地位に這いあがった男、影の大統領とも言われ、現アメリカ政権に絶大な発言力を持つ、戦争を始めた張本人ベアー商務長官だ。ホラニーは沙織に手を貸してやりたいと思っている。ただ、沙織やその両親、数人の仲間達の思念を読めないのだ。 

どう手助けしたら良いのか見当がつかない。漁船の操船練習に一区切りついたら、東京に会いに行き、協力を申し出るつもりでいる。

その三十三 対策本部

「あれ以来、不審船は日本近海には現われていません。」海上保安庁の滝田保安監が報告した。

「これで、原爆はベアー商務長官襲撃の囮だったと、ほぼ確定ですね。」公安の前田警視が言った。

「前田警視、それでは原爆脅迫の犯人の心当たりはあるんですか。」渡辺本部長が聞いた。

「悲しみの旅団と名乗るアラブゲリラと右翼団体の菊水会と見ているのですが。」

「そんな団体は聴いた事がありませんが。」

「菊水会は今年の4月頃結成されたもので、主催者は浜という人物です。現在任意で事情徴収しております。」

「あの四十人のイスラムゲリラが『悲しみの旅団』なのですか。ほとんどがアジア系で、アラブ人は一人もいなかったと聞いていますが。」自衛隊の上田一佐が、前田に言った。

「悲しみの旅団についてはCIAに照会中ですが、アラブのどこかの国に本部があるものと思われます。」

「自衛官が十名も殉死しているんですよ。徹底した捜査をお願いします。」

「勿論です。」前田が答えた。

テロ対策本部ができて五回目の会議だった。

「悲しみの旅団が健在なら、原爆の脅威はまだ去っていない訳です。」

「いえ、原爆はことごとく押収しました.これ以上の原爆はまだ日本に持ち込まれていません。今後持ち込まれなければ脅威はないということでしょう。」

「しかし、この前のようにシーレーンも狙われているじゃないですか。」

「海上保安庁と自衛隊の哨戒機の更なる活躍に期待します。」と前田。

「指定口座はゲリラから指示があったそうですが。」公安の横田警部が言った。

「ありました。」渡辺が答える。

「要求を飲んだふりをして、その口座をマークしたらどうでしょう。」

「横田警部、一切要求を無視するというのが政府の方針です。ところで、ゲリラ四十人の中に一人日本人の死体が混ざっていたそうですが。」と渡辺が今度は前田に言った。

「はい、身元はまだ判明していませんが、偶然巻き込まれた可能性もありますので…。」

「内調(内閣調査室)を甘く見てもらっては困りますね。私達の調査では、その日本人は死体の位置からしてゲリラ部隊を指揮していたと断ぜざるを得ないんですが。それに、DNA鑑定、歯型の鑑定いずれも半年前に辞職した、かつての貴方の部下、中島警部と判明しています。」

「いえ、私はそのような報告はうけていません…。」その時、CIAのジェームズ・コリンが英語でまくし立てた。

「コリンさん、ここは日本です。今日から発言は日本語でお願いします。」と渡辺が言った。

「私が通訳しますので…。」と前田が口を挟む。

「あなたの下手な通訳など、もう聞きたくないんですよ。第一、ここにいる者全員、英語ぐらい通訳なしで分かりますしね。」

「折角オブザーバーとして来て下さっているのに、発言させないのは…」と前田。

「失礼だと? 日本語を話せないオブザーバーを派遣する方がよっぽど失礼でしょう。日本はアメリカの植民地ではないんですよ。」

I mean the problem is…」

「黙れ!!」と渡辺がいつに無く強い口調で言った。そして、少し声を和らげ

「もう、茶番劇は止めましょう。中島警部と前田警視は一年前、研修でアメリカに行きましたね。その時、このコリン氏に会い、洗脳された。」と続けた。

「何をばかな…」と前田。

「前田さん、貴方は自分がしている事が分かってるんですか?原爆で日本人を殺そうとしてるんですよ。」

「何を証拠にそんな事を言うんですか、ばかばかしい。」

「確かに、あなた方と原爆テロを結びつける証拠は現時点ではありません。だから警察も私の話を信じないし、仮に信じたとしても動けない。」

「当然です。あなたのばかばかしい妄想など誰が信じますか。」

「でもね、陽光物産は今、厚生省の麻薬取締官に目をつけられているんですよ。数日中に強制捜査が入るでしょう。面白い書類が出てくるかも知れませんね。」

それを聞いて前田の顔は引きつった。

「上田一佐、警備隊に入ってもらってください。」と渡辺が言う。向き直り

「ジェームズ・コリン、前田和夫、君達を逮捕します。」渡辺は意外に穏やかな声で言い渡した。

「逮捕状もなく、逮捕するんですか。第一貴方には逮捕権などない。」前田がどなった。

警備の自衛隊員が銃を持って入ってきた。

「抵抗する者は射殺しなさい。」渡辺が言った。自衛隊員は一斉に89式ライフルを構えた。

「越権行為だ。」

「君達を今ここで射殺してもいいんですよ。確かに私が今している事は権限外、むしろ非合法なんだから。でも、状況から見て、私一人が腹を切れば、なんとか済むでしょう。それくらいの覚悟は私にもある。」渡辺は穏やかな口調で、しかもきっぱりと言った。

その三十四 北富士練習場

翌日、ベアー商務長官の車列がクルーザーにやってきた。船の後部が開き、車ごと船に乗り込んで行く。

「いよいよ大詰めだな。」兄が言った。クルザーに思念バリアーが張られるのが分かった。

「テロ対策本部の渡辺さんがコリンとMを逮捕したわ。手足をもぎ取られた訳だから、ベアーはもう、自分で動くしかない訳よ。」小百合さんが私に説明してくれた。

「ベアーはどう動くの?」

「残ったゲリラを使って原爆を長野に運ぶでしょうね。そして私達がそれを阻止しようとした所を、超能力で一気に潰すつもりでしょう。よほど自分の力に自信があるのね。」

「そんなに強いの?わたし、修行が足りなかったみたいね、せめて草薙の剣をもっと使えればな。」

「全力を尽くすしかないわね。」

 

午後10時、船の後部ハッチが開いた。兄と小百合さんが写真を連写している。

「車種とナンバープレートばっちり撮れたわ。」小百合さんが言った。

「こちら幸太郎、敵は動き出した。ベアーの動きを徹底マークして下さい。」

「こちら徳蔵、了解しました。」と思念無線機が答えた。

船から出てきたのは4WD一台だが、桟橋に駐車してあったフォードが二台前後について走り出した。

「ベアーは乗ってないみたいね。」小百合さんが言った。

「でも、原爆は積んでますね。小百合さんは沙織を連れてあの車列を追って下さい。」

「了解しました。」と小百合さん。沙織はヘルメットをかぶり、小百合のバイクの後に乗った。

 

「車列は16号を町田方面に北上中です。」小百合が思念無線機で報告した。

「了解。そのまま追跡をお願いします。」幸太郎の返事だった。

「こちら伊美富日女、新宿の中国マフィアが中央道に入りました。引き続き追尾します。」

「こちら大阪の伊美富彰、ゲリラと思われる集団が東名を東京方面に移動中です。約十二名。」

「こちら大宮の破魔祥子、ゲリラと思われる思念を感知。現在東京方面に移動中。追尾します。」

幸太郎は判断に苦しんだ。どこかで車列はゲリラと合流するはずである。そこを押さえなければならない。その場所を割り出し、渡辺本部長に出動を依頼しなければならない。もう、時間がなかった。

「こちら幸太郎、それぞれのターゲットの目的地を思念で探ってください。」

「こちら小百合。車列の第一目標は御殿場。」

「こちら伊美富日女、中国マフィアは河口湖。」

「こちら破魔祥子、ゲリラに中央道のイメージあり。」

「こちら、伊美富彰、ゲリラの目標は御殿場。」

目標は河口湖だな、と幸太郎は思った。もっと長野よりならば、中央道を行く中国マフィアが河口湖方面に行くはずがない。ベアーは河口湖周辺で決着をつけるつもりなのだ。

幸太郎は携帯電話で渡辺に連絡した。

「分かりました。でも、正式な手続きを踏んだ出動ができませんので、連絡可能な者で、しかも志願者のみに限られます。せいぜい三十名程度でしょう。」と渡辺は答えた。

幸太郎はステルスヘリの石川パイロットにも出動要請をした。

渡辺本部長は市ヶ谷の上田一佐と海上保安庁の園田警務監、そして前田警視とは繋がりの薄い、公安の鈴木警部に出動依頼をした。彼等は、正式な手続きが間に合わないため、自分の責任で部下を出動させなければならなかった。

 

小百合と沙織は4WDの車列を追って、御殿場から東富士五湖道路を走っていた。

「こちら徳蔵。ベアーが車で港みらいヘリポートに向かいました。」

「こちら小百合。了解しました。車列の目的地は自衛隊北富士演習場篭坂トンネル地上付近と探知。追尾を続けます。」小百合が報告した。

車列は須走インターチェンジを降り、須走口登山道を抜け北富士演習場に入った。三百メートルの距離をおいて追尾していたが、最後尾の車が停まった。小百合もバイクを停めライトを消した。

「来るわよ。五鈷杵いいわね。」

三人が車から降り、懐中電灯を照らして近付いてくる。ライフルを持っているのが見える。

一、二の三で五鈷杵を発射し、麻酔レベルで三人を倒した。敵は一発も撃つ暇が無かった。車にそっと近付き、運転手も眠らせた。四人を縛り上げ、原爆がないか一応点検し、車が走れないよう細工を施し、ライフルを壊してから、またバイクに乗り、追尾を再開した。敵の集合地点を思念で読み取った以上、急ぐ必要は無かった。

「こちら伊美富日女、山中湖インターチェンジを降り一般道から北富士演習場に入る。すでに二十名ほどのゲリラが篭坂トンネル東2キロ当りに終結のもよう。」

「二十人もいるんじゃ迂闊に近づけないわね。お母様は河口湖方面から来たんだからトンネルの向こう側よ、先ずは迂回してお母様と合流しましょう。オフロードだからしっかりつかまってね。」小百合が言った。

 

「こちらヘリ隊石川、誰か応答願います。」

「石川さん、幸太郎です。誰も一般無線機は持っていません。テレパシーの出来る人はいませんか。」

「長野破魔の甚右衛門さんがいるよ。」

「じゃあ、テレパシーで呼びかけてください。私もあと一時間ぐらいで現場に着きます。」

「了解。」『こちらヘリ隊、現場到着五分前指示を頼む。』

『こちら伊美富日女、トンネルの西2キロのワゴン車二台は中国マフィア。攻撃せよ。当方現在篭坂トンネル上.』

『了解。』

伊美富日女は篭坂トンネル中央当りの地上に車を停めた。

初めはステルスヘリ、続いて一人乗りヘリ二機が一発づつミサイルを撃った。マフィアのワゴン車は火柱と共に舞いあがった。近くにいたマフィア数人が巻き込まれた。

「こちら伊美富彰、ゲリラの車2台北富士練習場に入ります。」

ステルスヘリは伊美富日女の近くに着陸し、山本、田中整備士と江間清さんを降ろし、再び飛びあがった。その間一人乗りヘリが機銃掃射をゲリラの車に浴びせていた。沙織達も合流した。

「原爆を積んだ車はトンネル東1.5キロにいます。自衛隊及び一般車はありません。」小百合さんが伊美富日女に報告した。

「それじゃあそっちにもお見舞いしますか。」

『石川さん、一発ぶち込んで。』

『了解』甚右衛門さんがテレパシーで答えた。ヘリが旋回し、ゲリラの車にミサイルが飛び猛烈な炎が上がった。

ゲリラがロケット砲を撃ち出した。石川さんは地上すれすれに飛び、ロケット砲は地面で爆発した。そして高度を上げたとき、ヘリは西から飛んできた火の玉に飲まれた。

「ベアーだ! 石川さん甚右衛門さん…」

二機の一人乗りヘリがベアーのヘリに向けてミサイルを撃った。一発はベアーの火の玉に落されたが、もう一発が後部ルーターを掠めた。ベアーのヘリは回転しながら不時着した。それに一人乗りヘリが機銃掃射を浴びせた。同時に一機が地上から発射された火の玉に包まれた。

「ベアーめ、まだ元気だ!」小百合さんが吐き捨てる様に言った。

「危険です。ヘリは退去して下さい。」母がテレパシーで命じた。

火の玉は沙織達の上にも飛んできた。

「臨兵闘者皆陣列在前」母は九字を切り透明な緑のバリアーを張った。火の玉は跳ね返されたが、近くに落ち燃えあがる。次から次へと火の玉は飛んでくる。母のバリアーははじめ平面だったが、今はドーム状となり、仲間をガードしていた。火の玉の勢いは衰えず、引っ切り無しに降り注いだ。もう、ドーム状のバリアーの周りは火で囲まれていた。母は飛んでくる火の玉が多すぎて、バリアーを張るのが精一杯だった。バリアーの周りは炎が高く上がり、風を呼び、炎の渦の真っ只中にいる状態だった。山本さん達がごほごほと咳をし出した。周りの炎でバリアーの中の空気が乾燥し、かなりの温度になっているのだ。このままでは全員窒息してしまう。沙織は草薙の剣を握り締めているが、何もできないでいた。

「沙織さん、ヤバくなったらこれ飲んでみそ。」と出かける時に笑いながら兄がくれたカプセルを思い出した。『破魔茶入り、無敵散』と、相変わらず芸の無いネーミングだった。沙織は三粒口に放り込んだ。のどがカラカラで、ひっついて飲み込めない。つばを溜め、やっとのことで飲み込んだ。一秒、二秒、何も変化はない、と思った瞬間、草薙の剣が震えだし、まぶしいぐらいに赤い金色に光り出した。腹の底から何かがこみ上げ、声になって呪文を唱え出した。

『アニマニママネ、シャビヤシャビタイセンテ…』沙織が知らない呪文が沙織の口から発せられている。沙織は第三者のようにそんな自分を見ている。

『この呪文は何だろう』と思うと、

『破魔降魔の陀羅尼』という答えが浮かんだ。

小百合も清も沙織の後に立ち、五鈷杵をかざして陀羅尼を唱和する。

『阿仁麼爾摩真昵、舎毘亜奢日戴戦弖…』

群雲が湧き出し月が隠れた。雷が数条光り、敵がいる場所に落ちた。飛んでくる火の玉が止まり、落雷した場所が爆発した。ベアーが乗ってきたヘリが燃えあがったのだ。バケツをひっくり返したような豪雨が辺りを包んだ。びゅうびゅうと突風が荒れ狂った。台風のど真ん中にいる感じだった。突然、雨も風もぴたりと止んだ。周りの炎も消えていた。

自衛隊のヘリが三機、近くに着陸し、吉田一曹が走ってきた。「自衛隊高校2分隊到着。ゲリラは任せて下さい。」そう言うと散開してゲリラと銃撃戦を開始した。

「沙織さん、今度はこっちの番よ。」と小百合がバイクにまたがった。

「沙織、これを着なさい。伊美富の念が込められてるの。あなたを守ってくれるわ。」と母が薄手のコートを手渡した。沙織を乗せ、バイクは走り出した。

着陸した二機目のヘリから、渡辺本部長が降りてきた。

「奥さんご苦労様です。」渡辺が伊美富日女に言った。

「原爆を積んだ車はトンネルの東1.5キロです。まだ、ゲリラは二十人ほどいるでしょう。また、山中湖方面から十二人ゲリラが来るはずです。そちらもよろしく。」

「分かりました。」渡辺はトランシーバーで指示を出した。

その三十五 ドラゴン

バイクは燃えあがるベアーのヘリ目指して走った。トンネルの西五キロの地点に来た。

目前に暗赤色のエネルギーが五つ並んで浮いている.恐らくその後にベアーがいるのだ.更に近付くと五つの火の玉は中世の騎士の形になった。

「白人が好みそうなイメージね。」バイクを停めた小百合が言った。

「あれは虚像ではなく、エネルギーそのものよ。気をつけてね。」小百合の忠告が終わらぬ内に火の玉の騎士がバイクに向って走り出した。

方向を変え再び発進した小百合は右に左にそれをかわして走りまわる。後部座席の沙織は剣を最大に伸ばし、火の玉の騎士を斬った.遠くにベアーらしき人影が見えた.ベアーめがけて突進する.騎士がそれを阻み、ぶつかってこようとする。沙織がまた斬った.残った騎士は一つにまとまり今度はドラゴンの形になった。

『随分と古典的な趣味ね.』小百合がテレパシーでつぶやいた.

ドラゴンが口から火を噴いた。二人はバイクから手を離し、23回転地上を転がったかと思うとぴたりと足を地に着け身構えた.そのまま無人で進んだバイクはドラゴンの吐いた炎に包まれ爆発した.小百合は五鈷杵をベアーめがけて発射した。ベアーはドラゴンの脇に立ち、暗赤色のバリアーに覆われている。小百合の発した光線は苦も無くはじき返された。

ドラゴンは首を曲げ沙織に襲いかかる。沙織は草薙の剣を光線銃にしてドラゴンを撃った.そのエネルギーをドラゴンは吸収し変化はなかった。ドラゴンが火を吹く。沙織は剣で払う。足元は先程の豪雨でぬかるみ、思うように動けない。二メートルの剣ではドラゴンの炎を払うのがやっとで、少しも攻撃に移れない。

「全くタフなオヤジだぜ。あんだけ火の玉発射して、まだこんなドラゴン出しやがる。一体何食ってるんだ。」と小百合が毒舌を吐いた。

「香純さま、早く現われて。」と念じるが、一向にその気配がない。兄にもらったカプセルを飲みたいが、ドラゴンの攻撃はそれを許してくれなかった。小百合は再び、ベアーめがけて突っ込んだ。ベアーは手を一振りしたかと思うと、火の玉が小百合めがけて飛び出した。小百合は横に飛んでぎりぎり交わした。小百合も沙織も息が上がってきた。体力が尽き、動きが止まれば留めを指される。二人はベアーに翻弄されながら泥まみれになって走りつづけた。

トンネル上付近でも戦闘が続いていた。銃声が響き渡り、五鈷杵の光線が数条光る。ゲリラのロケット弾が自衛隊ヘリを炎上させた。自衛隊も手榴弾を投げ、ゲリラを吹き飛ばした。一人乗りヘリが機銃掃射しながら飛び交っている。実戦経験のない自衛隊員にとってゲリラはなかなか手ごわかった.吉田もそんな隊員に檄を飛ばしてゲリラを追い詰めている。渡辺本部長は、ただじっと見つめていた。

 

破魔幸太郎が現場に到着したのは、沙織がドラゴンとの死闘を始めた頃だった.遠くで、まがまがしいドラゴンが火を吹いているのが見えた。犬の栗麻呂が車のドアを爪で引っかき、飛び出そうとしている。

『お前達、沙織を守ってくれ。』そう言って車のドアを開けた。小さく栗麻呂がワンと吠え、脱兎の如く走り去った。千夜も暗闇の中に吸い込まれた。ラーは十二キロの巨体をのっしのっしと揺らせながら、それでも走って行く。でも、白い彼の身体はいつまでも見えた。

一人乗りヘリがドラゴンにミサイルを打ち込んだ。ドラゴンはびくともしない。機銃をベアーに浴びせ掛ける。これも効果は無かった。ベアーの操るドラゴンは執拗に沙織に襲いかかった。

クリがベアーの近くで吠え出した。その声は超能力者のベアーにとって耳障りな波長を含んでいた。

ベアーは足元でうるさく吠えまくる犬をいまいましそうにみて、火の玉を投げつけた。クリは泥まみれになってそれを避け、吠えつづけた。さっとベアーの顔の前を何かが飛んだ。千夜がベアーの注意を逸らしたのだ。

ラーは走っていた。長距離走が苦手なデブの老ネコなので、最短距離を走った。苦手な水溜りも直進した。そうせざるを得ない何かが彼を突き動かしていた。危険を知らせる動物警報が彼の耳の中で鳴り響いていたが、彼はもうそれを気にしていない。のどかなお昼寝、やさしく撫でてもらった感触がよみがえる。生まれた時から可愛がってもらった沙織のイメージに満たされる。ラーの頭の中には思考はない。失いたくない何かと、幸せなイメージと突き動かされる衝動だけである。泥まみれになってラーは走った。敵が見えた。そしてラーは獲物を狙うハンターに変わった。

そっと近付き、相手の油断を読み取る。一気にベアーの膝の後ろに体当たりを食らわせた。当然ベアーのバリアーに弾き飛ばされたが、ラーも微弱ながら自己バリアーを張っていたので、ベアーにも衝撃は伝わり、ガクリと膝をついた。ラーは二メートル飛ばされたが、ネコらしく足で着地した。

その間ドラゴンの動きは止まっていた。沙織はカプセルを取り出し飲み込んだ。肩で息をし、膝はがくがくで、のどはからからだったが、とにかくカプセルは口に入った。ドラゴンはまた動き出した。口の中で次第にカプセルが溶け、お茶の苦味が広がった。

『首を落せ。』と心の中で声がした。剣が倍の長さに伸びた。でも、ドラゴンの首には届かない。沙織は気を溜めて飛びあがり、首めがけて切りつけた。ドラゴンは身を交し、剣は空を切った。

クリが吠えつづけ。千夜が飛び、ラーがまた体当たりを食らわせた。ベアーはいらつき、火の玉を続けざまにクリに投げつけた。ドラゴンの動きが鈍ったと見るや、再び沙織が飛びあがり、ドラゴンの首を切り落とそうとした。あと、一歩で届かない。

小百合はベアーの弱点を探していた。動物たちの作戦は見事に功を奏していた。もう一つ何かがあるはずだった。小百合は少し離れた所で息を整え、念を送った。匂いの念だった。納豆、うなぎの蒲焼。白人が嫌う匂いである。ベアーの顔がゆがんだ。

『沙織さん、ドラゴンは地上に立った時、足を地に着けてるかい?』兄の思念が聞こえた。良く見るとドラゴンの足は三十センチぐらい地面から浮いていた。

『浮いていればそれは空気中の電気を集めた一種のプラズマだ。アースすればいいんだ。』

アースって言ったって、どうすればいいのか沙織には分からなかった。小百合はベアーの焼け焦げたヘリに走って行き、クランクのワイヤーを引出した。五鈷杵で適当な長さに切り、投げ縄のように回してドラゴンに投げつけた。ワイヤーはクランクの巻き取りの癖が残っていて、真っ直ぐには伸びなかった。しかし、ドラゴンは翼を広げさっと飛びあがり、小百合に火の玉を吐き出した。

その時、ラーが渾身の力を込めて体当たりを食らわせた。ベアーはガクリと膝を着き、ドラゴンは首を伸ばした状態で動きを止め、そのままふわーっと下がってきた。沙織がドラゴンに駆けつけ、飛びあがってドラゴンの首を切り落とした。首は地面に落ち、水溜りを蒸発させ消えた。胴体も崩れ落ち、ただの炎の塊になり、バリバリと放電しながら地面に吸い取られて行った。沙織はベアーをにらみつけ、一気に駆け寄り、頭からまっぷたつに切り下ろそうとした。がその時、『殺してはだめ』と母の声がした。沙織は一瞬ためらい、手首を返して剣の平の部分で殴り倒した。ベアーは泥の中に沈んだ。ベアーのバリアーは消え、醜く太ったベアーが泥に埋まって気絶していた。それを見て沙織は大きく息を吐いた。千代が泥の塊をぺろぺろなめている。いや、泥ではないクリだ。沙織が駆け寄る。側にラーも横たわっている。「クリ、ラーしっかりして。」沙織が叫んだ。

『一緒にお散歩。楽しかった。』もうワンと鳴く力も無くクリが最後の思念を送り、静かに目を閉じた。ベアーの攻撃で、クリの毛はチリチリに焦げていた。

『一緒にお昼寝、幸せだったよ。今度生まれてくる時も、また拾ってね。』最後の体当たりで息絶えたラーの残留思念だった。沙織は声も出せなかった。ただ目から止めど無く涙が溢れ出していた。二匹からキラキラ光る砂粒のようなものが現われ、天に昇って行った。千夜が「ニャーーー」と長く尾を引いて悲しげに鳴いた。

その三十六 ベアーの最期

「ベアー長官、ご気分は如何ですか?私はキャビネットスタッフ(政府職員)の渡辺と言います。日本政府は、今回のことを一切表に出さないよう決定しました。ただ、日米間でのカードとしては使わせていただきますがね。まあ、貴方の原爆より効果があるカードになるでしょう。」病院で気が付いたベアーに渡辺本部長が言った。首にギブスをはめたベアーは何がどうなったのか分からず、きょろきょろと目だけを動かしていた。

「あなたには米大統領から召還命令が出ているようです。クルザーに残っている原爆と一緒に、日本から退去して下さい。」

ベアーは何か言おうとしたが、うめき声しか出せず、いまいましそうに渡辺をにらみつけた。

 

久し振りに渋谷の家に帰った沙織は父に聞いた。

「何でベアーを殺しちゃいけなかったの?」

「ベアーは一応国賓待遇だ。国賓が訪問国で死んだら面倒だろ。」

「でも、…」

「お前の言いたい事は分かるよ。多くの仲間や、クリやラーまで死んだのに、何もニュースで報道されない。ベアーはそのまま無罪放免、間尺に合わないって言いたいんだろ。でもね、『米商務長官が同盟国日本を原爆で脅迫した。』ってニュースで流しごらん。世界中で反米運動に火がついて収集が着かなくなるだろ。力のバランスの急激な変化は世界にとっても日本にとっても望ましい状況とは言えないんだよ。表沙汰にしなくても事実はじわじわと伝わるものさ。」

テレビのニュースが伝えた。

『本日、アメリカのジョン・フォレスト大統領が緊急入院しました。病名はまだ発表されていませんが、重体説も…』

「まあ、病気を理由に大統領辞任だな。」と父が言った。

「ベアーはどうなるの?」

「どうなるかは分からないけど、政治生命はもうないね。」

『只今、緊急ニュースが入りました。太平洋上で原爆らしい爆発があったもようです。衛星写真によりますと付近を航行していたベアー商務長官のクルザーと、小型漁船が爆発に巻き込まれたという情報も…』瞬間沙織にはホラニーの顔が見えた。

漁船を一人で操り、ベアーのクルーザーを追っている。ホラニーの表情には悲しみも憎しみもない。穏やかな目で神々しさまで感じられた。ベアーの顔も見えた。超能力はもう使えない。ただ、危険は感じられる。自分では起き上がる事すらできない。恐怖で顔が引きつり、言葉にならない声を張り上げ、部下に命令している。クルーザから、ホラニーの漁船に銃弾が撃たれる。弾が届く距離ではない。ベアーは撃てと命ずる。ホラニーは足もとの原爆のスイッチを押した。全てが真っ白になって消えて行った。

「あのクルーザーにはまだ原爆が何個か残ってたはずだね。まあ、こういう結末もあるってことだね。」そう淡々と言う父の口調にちょっとムカついた。

アリやハッサンはどうしただろう。沙織はそう思うとテレパシーで呼んでみた。

『先生は一人で行ってしまった。『お前達は若い、やり直せ。』とおっしゃってつれて行ってくれなかった。』アリの返事だった。

『先生の言葉を胸に刻んでやり直しなさい。私達が応援しますよ。』母の思念が割り込んで来た。

エピローグ

あれから一ヶ月が経った。母は菊水会カードのキャッシングができなくなったとブーたれている。父は相変わらず読書ざんまい。

私は普通の高校生に戻れたことで気楽になり何か開放感まで味わっている。でも、夏休みを挟んだとはいえ五ヶ月も学校を休んだので、私も「留年」という文字とは紙一重の状態にある。出席日数はスキー教室出席と補講でぎりぎり、もう一日も休めない。成績も必ずUPという条件が担任から言い渡されている。今までのようにボーっとしていられなくなった。

日課は朝のジョギングと朝勉強。クリとラーの生まれ変わりを探して、捨て犬、捨て猫を探している。

函館で逃げたウーと二人の殺し屋は川島警部の執念の追跡で逮捕された。フランシ―ヌは持っていたパスポートからカナダ出身でベアーの私設秘書の一人であったことが分かったが、旅行中の事故死ということで処理された.

原爆テロはイスラム過激派の犯行ということになった。それを未然に防いだ特別チームがもてはやされ、渡辺本部長は一躍有名人になった。次期国会では危機管理庁が新設されることになり、渡辺さんが初代長官と目されている。危機管理庁は、国内危機管理部と海外平和維持部の二本柱からなることが渡辺構想として発表され、与野党一致で可決される見通しである。

アリとハッサンは不法入国で強制退去という扱いにはなったが、渡辺さんの配慮で無事故郷に帰れ、祖国復興のために働ける様に学校に通い出している。

近所に引っ越してきた小百合さんが朝五時にジョギングに誘いにくる。自衛隊に復帰し、今は内閣調査室に出向という形になっているらしい。三十分走って、朝の勉強。小百合さんは体育会系という割には英語も数学もできて、毎日我家にいる家庭教師みたいになっている。

小百合さんは相変わらず厳しいが、ふと石川さんや山田さん達のことを思い出すと、弱音は禁物という気分になる。

私の目標もできた。渡辺さん発案の国際支援プロジェクトに入って小百合さんと世界中で不当に苦しんでいる人達を助けるのだ。そのためには公務員試験に受からなければならない。

皇太子殿下は約束通りハイキングに私達を連れて行ってくれた。ゲリラのヘリが着陸した広場で、大田三尉達に献花をした。でも、県知事やら銘士やら、訳の分からない人たちがぞろぞろ付いて来て、ハイキングというよりも、山道を行列している様だった。

 草薙の剣は殿下にお返しした。香純様の力を借りなければ使えないので持っていてもしょうがないのだ。返す時、「草薙の剣がある限り、日本いや、人類は永遠です。」と殿下がおっしゃった。本当にそうだといいと思った。本当になるかどうかはきっと私達が今後どう生きるかにかかっているのだろう。

このごろ、クリやラーにまた会える予感がしている。
おわり