どう見るコソボ危機

  •  空爆停止 それぞれの「勝利」(99/06/12記)
  •  空爆停止まであと一歩(99/06/10記)
  •  フェフミ・アガニの消息(99/06/09 毎日新聞)
  •  アジア記者クラブ定例会(講演会)お礼とごあいさつ(99/05/26記)
  •  中国大使館の誤爆(99/05/09記)
  •  「ノビサドの渡し」 あるいは「橋を落とす」行為が象徴すること(99/05/01記)
  •  帰ってきました(99/04/24記)
  •  今日からコソボに行って来ます(99/04/07記)
  •  フェフミ・アガニ氏が生きている?(99/04/06)
  •  空爆のどさくさにまぎれて、セルビア側民兵がフェフミ・アガニ氏を「処刑」(99/03/31)
  •  NATOがユーゴ全土に空爆開始(99/03/29記)
  •  NATOは勝てない(3月25日)
  •  Kosovo deployment could spell disaster for NATO(DPA 3月20日)
  •  ホルブルックの交渉は不調(3月22日記)
  •  デマチ氏が辞任、アルバニア人勢力分裂か(3月6日記)
  •  ボスニア北東部の戦略的要衝のブルチコがいずれの民族勢力にも属さない「特別区」に(3月6日記)
  •  コソボ和平交渉中断をどう見る(2月26日記)
  •  コソボ和平交渉の論点
  •  コソボ和平交渉のキーパーソン
  •  コソボ和平交渉参加者(英語)(読者からの指摘でスペリングミスを修正。イギリス人も間違うことがあるのですね)


  • [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

    空爆停止 それぞれの「勝利」(99/06/12記)

     最初から本題からはずれるけれど、マケドニアの軍事交渉で最後に交渉成立を発表したNATO軍のジャクソン司令官(イギリス軍所属)。名前はマイケルというのだ。つまり、マイケル・ジャクソン。
     ボスニアの緊急対応軍の司令官時代の公式バイオグラフィーにはちゃんと「マイケル」と名前があったが、マケドニアのNATOのインフォーメーションセンターの書類では、「マイク・ジャクソン」と書いてありました。まあ、マイケル(大天使ミカエルの英語読み)の愛称がマイクなのはいいけれど、だいぶ、記者団などから冷やかされたのかもしれませんね。なんでかって? それは彼の軍人らしい顔つきとマイケルという名前を比べてみて下さい。
     CNNは、マイク・ジャクソン将軍。でも、朝日新聞などはちゃんと「マイケル・ジャクソン司令官」と本名を書いていた。朝日は、数年前、特別に重要な人物ではないのにベオグラード大学の学長を記事に登場させたり、遊び心(?)があって、ときどき楽しい。ベオグラード大学学長の名前はミロシェビッチ大統領と同じスロボダン(自由という意味)、名字はウンコビッチ。何となくニュートン力学の「自由落下」を連想させるじゃないですか(本当の発音はウムコビッチに近い)。

    やっと終わった−−というのが正直な感想(空爆中止をどう見るか)

     さて、そのマイケル・ジャクソン将軍らの交渉で、コソボからのユーゴ軍撤退などの細目が決まり、空爆が最終的に停止された(終了ではなく、サスペンド=中断と理解している)わけだけれど、いったいこの空爆は何だったのか、ということが、これから問われてくることでしょう。
     ユーゴ(セルビア)、アメリカそれぞれの大統領が、それぞれ「勝利」を宣言するテレビ演説をしました。どっちもどっち、ちゃんちゃらおかしいです。
     (1)ユーゴは敗北。「負けた」とは認めていないが、実質的にはほぼ完全降伏。それを「負け」と印象づけないように、ミロシェビッチはあれこれ工作して、結局空爆も数日間延長させることになった。マイケルと交渉したマリヤノビッチ・ユーゴ軍将軍は「ユーゴ連邦共和国とミロシェビッチ大統領の平和政策が結実した」なんて、いっていたけれど、数日してすぐに、コソボからの<セルビア人の難民>がベオグラードに避難して、戦争に「負けた」ことを証明することだろう。ミロシェビッチの支持率は急落し、政権は不安定化する。「戦犯」容疑者として、国家元首として初めて起訴され、ギネスブックに載ることになったミロシェビッチは、早晩、政権の座から降りなければならないだろう。でも、代わりがいない。野党は全滅。より危険な過激な民族主義だけが元気。奥さんのミラ・マルコビッチ教授が、ヒラリーみたいにやってみる可能性は?
     (2)ただし、セルビア側にとって、空爆前のランブイエ和平案よりは若干「有利」になったことも事実。一つは、名目的なものに過ぎないが、「コソボがセルビア/ユーゴの一部である」ことが認められたこと。ミロシェビッチ演説ではこれを「勝利」の根拠にしている。ランブイエ案では3年後に住民投票で決定するという、事実上の3年後の独立が定められていたが、これは回避された。また、ユーゴ全土にNATO軍が展開するという条項がなくなり、ベオグラードを「進駐軍のジープ」が走り回ることはなくなった。(けれど、コソボから陸上で5キロ、空域で25キロ、ユーゴは主権を制限されることになった)
     (3)アメリカ・NATOは「空爆だけで」勝利することはできなかった。結局、ロシアの仲介(助け船)に乗らざるを得なくなった。しかも、最初は迂回というか無視していた「国連」という傘の下でのコソボ暫定自治という枠組みで、体裁を繕わざるを得なくなった。アナン事務総長の手腕はまったく期待していない(無能のようだ)が、世界機構の国連にとって代わることは、結局NATOにはできなかった。むしろ、NATOは墓穴を掘ったかも。長いスパンで見ることが大切。
     (4)アメリカのタカ派に影響されたワシントン電で「空爆だけで勝利し、セオリーを変えた」など、空爆を最大限に持ち上げる論評を送ってくる日本人特派員は、何とか考え直してほしい。スポーツじゃないのだから、「5000人対0人」と戦闘員の死者数を比較しても意味がない。民間人の犠牲者は、それから100万人の難民は、完全に破壊された発電能力などインフラは、いったいどうしてくれる。デスクワークだけじゃなくて、現場にでなさいよ。それができなければもっと想像力を働かせてくれ。もし、朝鮮半島で何か起こって、アメリカが「空爆だけ」実行して、「より確実な世界のための勝利だった。あと、復興や難民対策などはアジアで何とかしてくれ」とクリントンにいわれたら、その時も「空爆だけで勝利するというクリントン・ドクトリンが新しいセオリーになった」なんて賛美するのかい?

    それで、これからいったいどうなる(コソボに和平はくるのか)

     (1)まず、今後の一番の障害は、(平凡ですが)地雷の処理です。
     ユーゴ軍は撤退時に地雷埋設マップを作っていくことになっていますが、それは大規模な地雷原(NATO軍の侵入を防ぐ目的のもの)で、その処理は比較的簡単でしょう。しかし、民兵組織などが、アルバニア人の帰還を防ぐために民家や畑などにしかけた地雷やわな(ブービートラップ)は、おそらくそのまま残され、手作業の地雷除去が必要になるでしょう。
     (2)次に難民の帰還ですが、上のような地雷問題があるので、アルバニア人が運良く全壊を免れた民家(自宅)に帰ったとしても、事故があいつぎ、かなり混乱することになるでしょう。電気や水道なども壊れているでしょうし、プリシュティナなど都市部の公共住宅(団地)などがどの程度居住可能な状態で残っているかにもよりますが、現実的には、アルバニア人の難民を、コソボ内に難民キャンプを新設し、そこに収容することになる。だから、自宅に帰るという意味ではなく、コソボ(領内)に戻るという意味での「難民帰還」が数カ月間にわたって続きます。(阪神大震災の仮設住宅を送るという案は、素晴らしいと思いますが、コストと輸送時間の点で、どうでしょうか)
     現在のマケドニア、アルバニアの難民キャンプはシャワーがないなど劣悪な条件です。しかも、難民の過半数は、そうした難民キャンプですらない、一般のアルバニア人の民家に居候させてもらっているので、そうした「大家さん」たちの負担がものすごくなっている。まず、そうしたところの「リリーフ」を急ぐ必要がある。そうして、雪が降り始める11月はじめまでに、どれだけの人が「冬越し」の準備ができるか。これは緊急問題。時間との闘い。
     (3)これに並行して、政治レベルで「暫定行政機構」の組織が進むことになりますが、国連の傘のしたに入ることになったNATOがいかにフェアな態度でPKOを実行できるか。アルバニア人側への肩入れをすると、数年後に撤退する際、武力衝突が再燃します。その際の一番の問題は、コソボ解放軍または武装したアルバニア人の「非軍事化」です。アメリカは「非軍事化」を武装解除ではなく、警察部隊への再編成としていますが、これは問題です。一部の分子が「復讐」行為に走ることが予想されます。一部といっても、全部ではない、という意味でしかなく、かなりの「リヴェンジ」があるでしょう。
     反対に、コソボに残留を決意したセルビア人の中にも、「NATOと戦う。アルバニア人のゲリラと戦う」と公言しているものがいるので、これも、「非軍事化」ではなくてちゃんと武装解除しなければいけない。
     この地域は伝統的に、セルビア人/モンテネグロ人も、アルバニア人も、両方がロミオとジュリエットの時代のような「血の復讐」という風習をつい50年ほど前まで(一部はつい最近まで)続けていたところで、これは結構深刻な問題です。
     (4)と、まあ、日常生活レベルの問題では、このほかに、コソボだけでなくセルビア本国のインフラ復旧、経済復興対策が緊急です。それ以外にも、(5)いま問題になっているロシア軍の指揮系統、担当地域、コソボ分割の是非、などなど、課題は文字どおり山積、議題にはまだなっていないけれど、コソボ暫定政府の自由選挙をどのように、いつ実施するかも、緊急に考えなければならないものです。


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

     (99/06/10記)この2週間、ミロシェビッチの戦犯容疑者としての起訴、続いてG8案の受け入れ、それに基づくNATOとユーゴ軍の交渉と、空爆停止まであと一歩のところまで来たが、どうもすっきりしない。はっきりしているのは、ミロシェビッチがだいぶ動揺しているということだ。起訴されたことで動揺し、G8案を受け入れたが、その後、自分が政権から降りること(ハーグの戦犯法廷に出頭すること)がユーゴ復興援助の条件だとイギリスなどから強調されてまた動揺し、結局、メンツを整えるために交渉で「条件闘争」をおこなって時間稼ぎをしているようだ。

     この欄で何度か取り上げたフェフミ・アガニの消息がわかりました。

     06/09 毎日新聞<世界をのぞく>あるアルバニア指導者の死

     セルビア軍・警察軍によるコソボでのアルバニア系住民に対する虐殺が続く中で、1人のアルバニア人指導者が、死んだ。彼の死は、アルバニア民族に永久に語り継がれるだろう。
     NATOの空爆が始まってから、コソボの穏健派指導者の1人、フェーミ・アガニ氏は5月6日、コソボの中心地リプルジャンの野原で、難民に交じり、スカーフをかぶって女装したままセルビア軍の銃の前にいた。家族も一緒だった。アガニ氏の息子メントール君は、次に起こったことを涙ながらに英紙記者に語った――。
     「彼ら(セルビア人)は、数百人の中から若い男を20人選び出して並ばせ、処刑すると宣言した。そして、『われわれは、寛容であるから処刑前に死について考えるよう10分間を与える』と言った。父はこの状況に耐えられなかった。自分が名乗り出れば、このセルビア人の態度を変えられる、とささやいて、スカーフを取り外し、ゆっくりと立ち上がった。セルビア人たちは、びっくりして父を見つめた」
     アガニ氏がアルバニア系住民の指導者であることが分かって、若者たちの処刑が中止となった。難民をプリスティナに送るバスが到着したが、アガニ氏だけが残され、その日彼は処刑された。
     アガニ氏は、自分の犠牲によって若者の命を救える、と瞬時に判断した。そして覚悟したとおり不帰の人となった。あまりにも尊い自己犠牲である。
     アガニ氏の行動は、アウシュビッツのコルベ神父を思い浮かばせる。1941年7月、カトリック僧コルベ神父の収容されていたアウシュビッツ14号棟から脱走者がだ出た。連帯責任で、同じ棟の中から10人が餓死刑を受けることになった。名前を呼ばれた1人のポーランド人軍曹が、自分には妻子がいると絶叫し、泣き崩れたとき、コルベ神父が自分には妻子もおらず、身代わりに餓死刑を受けたい、と申し出た。
     見知らぬ同国人のためにとっさに命を投げ出す決意をしたのだ。2週間後、餓死刑室の中で47歳の命を閉じた。その自己犠牲の行為によって戦後カトリックの聖人に列せられた。
     コルベ神父といい、アガニ氏といい、見知らぬ人のために命を投げ出すことをいとわなかった。彼らは、民族浄化、民族絶滅という邪悪さが渦巻く中で、人間のもつ気高さを示した。
     残されたアガニ氏の家族は、悲痛な思いの中で、彼を精神的支柱にするだろう。夫は、父は、人のために生き、死んだのだ、と。 【黒岩 徹 編集委員】 [1999-06-09-12:34]


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

     (99/05/26記=お礼とごあいさつ)共同通信の元ベオグラード支局長・米元文秋さんと一緒にお話をさせていただいた、5月23日のアジア記者クラブ定例会(講演会)「ユーゴ〜NATO空爆の最前線から」には100人近い方々がお集まりいただき、ありがとうございました(厳密にいうと非メンバーの参加者68人+メンバー・スタッフ。同クラブ史上最多の集まりになったそうです)。当日、感想文を集めなかったので、何か気のついたことがあれば、千田またはアジア記者クラブ事務局 エ03-3204-2301 E-mail apc@cup.comまでお寄せ下さい。


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

     (99/05/09記)5月8日(土)は明け方まで仕事をして寝たとたん、テレビ局からの電話で起こされた。「ベオグラードで大事件。ユーゴ国営放送の映像が入ってきたが、セルビア語がわからない」とのことで、電話で音だけ聞いて翻訳。何と、中国大使館の誤爆。
     この前、国境から数十キロも離れたブルガリア領内の誤爆があったとき、「わざとやっているのか、それとも、本当に下手なのか」と書いたが、どうも、本当に下手なようだ。アメリカ軍のパイロットは、対空砲火がこわいので低空飛行ができない。そこで数千メートルの高度からミサイルを発射することになるが、誘導する際の目標確認が難しい。したがって、ベオグラードでも、ストイコビッチの故郷のニーシュでも、「間違った目標」(中国大使館とか、ぴくしーの生まれた病院、青空市場など)にミサイルを命中させてしまう。ミサイルの精度は高い。でも目標設定する人間の側が、恐くて、びびって、ミスを犯す。いやー、むしろ、この方が恐いねえ。わざと当てているよりも、恐い。しかも、ニーシュはクラスター爆弾だよ。どうなってるの。戦争犯罪だよ、これ。クラスター爆弾は、民間地域では禁止されている兵器でしょう。
     「すみません、下手なもので」と後からあやまられても、死んだ人はどうすればいいの? これまでの誤爆では「戦争に犠牲はつきもの」なんて、開き直っていたシェイ報道官、今回は何ですぐにあやまっちゃうの? 民間人は「しかたない」で、新華社の記者や中国外交官は命の値打ちが高いわけ?
     現場から1キロ少ししか離れていないノビベオグラードのハイアット・ホテルもそろそろ危ない。CNNやロイターや、日本の記者諸氏が「誤爆」で大量に死ぬ前に、空爆はやめたらどうだろうか。下手な空爆、やればやるほど逆効果。
     クリントンは空爆中止を決断するべきだ。それが「勇気」というものかもしれない。(やはり,フェフミ・アガニはころされていた)


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

     「ノビサドの渡し」 あるいは「橋を落とす」行為が象徴すること(99/05/01記) ユーゴへのNATO空爆が激しくなっています。4月29日から30日にかけてはベオグラードの中心部も中心部、市内最大のデパート「ベオグラジャンカ(ベオグラード娘の意味)」から300メートルしか離れていないユーゴ国防省・参謀本部も空爆されました(毎週定例記者会見に通っていた外務省の向かい。国鉄中央駅からも数百メートル)。まあ、ユーゴの国軍はミロシェビッチ政権とうまくいっていなかったのが、今回の空爆で「結束」を固めたとかで、攻撃されない理由はないのだけれど、うーむ。
     ノビサドは橋が全部落ちて、このあいだテレビで「渡し船」を浮かべているところが放送されていた。「ノビサドの渡し」だって(風流じゃない!)。ドナウ川ってのは、国際河川で幅が1キロ近くあるのよ。歩いて橋を渡っているときに空爆された不運な市民(女性のように見えたが)の水死体(?)の引き上げも悲惨だったが、「橋を落とす」という行為が「戦争に勝っても道義的に敗北する」ことの象徴になっているような気がする。
     ボスニアのモスタル(実際はヘルツェゴビナ)にかかっていたアーチ型の古いトルコ時代の石橋を落としたクロアチア人勢力は、戦争には勝ったけれど、事情を知るものからは「民族浄化をすすめた戦犯勢力」として嫌われるようになっている。橋を落とす行為そのものが戦争犯罪に当たるのではないが、橋を落とすような作戦の中には当然、民間人殺害などの戦争犯罪が含まれることになる。あるいは、「橋」というものが、旧ユーゴでは多民族の絆をつなぐ「架け橋」の象徴だから、文化の違いを乗り越えるものの象徴だから、よけいにそう感じるのかもしれない(実は「ノビサドの渡し」と命名したYさんは橋梁建設の現場経験があり、橋を落とすという行為そのものに本能的怒りを抱いていらっしゃるようなのだ)。
     これで、ベオグラード=パンチェボの「パンチェボ大橋」が落ちたら、ドナウ川の橋は全滅し、ユーゴがドナウの左右両岸で分断されるだけでなく、ここを通って西ヨーロッパにアクセスしているマケドニア、ギリシャ、ブルガリアのトラック野郎たちがおまんまの食い上げになっちまう。地域経済は大打撃。いまでも、早生ものの野菜を西ヨーロッパに輸出することで一年の収入の大半を得ている農民が大いに困っている。コソボの難民の生活も大変だし、ユーゴ(新ユーゴ)のインフラも、第二次大戦直後の水準まで落ち込んでしまっている。ミロシェビッチがやめるかして、コソボに和平が訪れたら、NATOは修復まで責任取ってくれるのか?!
     それにしてもNATOは、ブルガリアまで「誤爆」するとは、いったいどういうことだ? アメリカ軍のパイロットの腕前が下手なところを見せて、市民に心理的パニックを起こそうという狙いか、それとも、ただただ、本当に下手なだけか??

     (99/04/26記)サピオ(4月28日付)「攻撃すればするほど クリントン米大統領が追い込まれ、ミロシェビッチ・ユーゴ大統領が笑う理由をアップロードしました。


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

     (99/04/24記)帰ってきました。現地では、コソボには入れず、マケドニアの難民キャンプなどを取材してきました。観想はまたあらためて書くことにします。帰国予定が遅れて心配した、などと、見ず知らずの方からまで、泣かせるメールをいただきましたが、20日に帰国、自宅に帰り着いたのが21日。この間、たまっていたコソボ関連の記事を整理していたら、時間がかかるかかる。取材よりも大変でした。
     コソボからのアルバニア系難民は、いきなり自宅に武装警官がやってきて、4分以内に家を出ろ、と命令されて、追い出され、国境まで来たら、今度はマケドニア政府に入国を拒否され、何日も野宿し、家族も別れ別れになるなど、かわいそうでした。ミロシェビッチはひどいことをするものです。それにしても、NATOは「こんなことは予想していなかった」と、開き直っていますが、まったく無責任・無能というほかない。例えば、人質を取って立てこもった銀行強盗に対して、包囲している警官側がいきなり発砲して、逆に人質が大量に殺された場合に、警察の幹部が「人質が死んだのは強盗にすべての責任がある。殺すとは予想しなかった」なんて、開き直ったら、どう思います? 確かに一番悪いのは銀行強盗だけれど、強攻策で一番大切なのは、犠牲者を最小限におさえることではないのか。NATOのバカヤロー、クリントンのバカヤロー、ミロシェビッチのバカヤロー!!
     この間、ベオグラードでは、何度も行ったことのある旧共産主義者同盟本部(何で新聞は「現与党の社会党も入っているビル」という書き方をするのかな。元はチトー大統領なども執務していたベオグラードの名物ビルなのに)、それから、同じく何度も行ったテレビ・ラジオ・セルビア(セルビア国営放送)の建物が空爆され、しみじみしています。青春のベオグラード。もはや、ユーゴスラビアは第二次大戦直後の水準まで、経済基盤が壊滅してしまった。考え方によっては、コソボそのものよりも深刻です。


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

     (99/04/07記)今日からコソボに行って来ます。18日頃まで滞在の予定。したがって、ホームページの更新はしばらくできません。電子メールもしばらく読めないと思いますので、お返事もかけません。悪しからず(それより、生まれたばかりの子どもの世話で、奥さんに申し訳ない気持ちですが、仕事仕事)。
     近日発売の「SAPIO」と「週刊ポスト」に、コソボ情勢を書いたりしゃべったりしています。近況はそちらで。では、みなさん、ごきげんよう。


     (99/04/06)フェフミ・アガニ氏が生きている? NATO情報はがせネタだったのかね。アルバニア人勢力側の情報をうのみ? でも、生きてしゃべっているところを見ないと、生存は確信できないな。捕まってケガをしている可能性もある。それより、ルゴバがミロシェビッチと会ったというニュースの方が、今後の影響が大きい。「2年前の映像」だって? 「ロシア大使が直接面会した」って? それをタス通信が流した? いったい何が本当なのかね。こりゃ、謀略戦の様相。
     それにもまして悲惨なアルバニア人の難民の列、また列。一日に10人程度が寒さと体力消耗などで死にはじめている。人類がかつて経験したことのない規模と速度の難民危機。もはやルワンダ紛争の際のゴマのキャンプを越えている。
     ところで、NATOはなぜ、暖房のための給湯施設などを空爆したのか。ノビサドの橋を爆破すると、コソボへセルビアの民兵が出かけていって残虐行為を働くのをくい止めることができるのか。民間施設をやるなんて、どういう狙いか。コソボが曇天で目標確認ができないから、天気のいいところを狙うのか。いい加減にやめてくれ!!


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

     (99/03/31)空爆のどさくさにまぎれて、セルビア側民兵(悪名高いアルカンの「虎部隊」か)が、著名アルバニア人を拘束、「処刑」。その中に、知り合いのフェフミ・アガニ氏の名も。ショック。白髪頭で小太り、小柄な、人柄のいいオヤジだった。バカヤロー!!

     (99/03/29)個人的には、生まれたばかりの子どもが病院から家内とともに帰ってきて、夜中の授乳(わたしがオッパイ出すわけじゃないけれど)など、てんてこまい〜ヨレヨレ状態のところに、コソボ情勢やNATO空爆についての取材も入って大変(わたしが取材したいのに、逆に電話などで取材されている)だけれど、とにかくNATOの空爆を中止し、話し合いを再開してほしい。


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

    ブルチコは「特別区」に セルビア人共和国は異常な政治空白

     (3月6日記)ボスニア北東部の戦略的要衝のブルチコが3月5日、いずれの民族勢力にも属さない「特別区」となることが決まりました。
     ブルチコは95年11月のデイトン合意で「国際調停」で帰属を決めることで合意し、その後、ロバーツ・オーエン氏(アメリカの外交官=バンス・オーエン和平案のデイビッド・オーエン卿とは別人)を責任者にした調停委員会(Arbitration Tribunal)で、「ボスニア連邦」(ムスリム人勢力とクロアチア人勢力の連合)と「セルビア人共和国」の代表を交えた話し合いが続いていたもの。2月初めから最終的な交渉がウィーンでおこなわれ、オーエン氏の「裁定」を待つだけになっていました。
     国際河川サバ川に沿ったブルチコは、もともとムスリム人が多数を占めていましたが、ボスニア戦争の初期の92年5月から6月にかけてセルビア人勢力が軍事的に支配し、ムスリム人やクロアチア人を追放(民族浄化)。その後、ムスリム人勢力側の反攻で支配地域は幾分減少したものの、大きく二つに分かれたセルビア人勢力の支配地域(セルビア人共和国)をつなぐとルートして維持されてきました。
     セルビア人共和国の西部(バニャルーカを中心とする)と東部(パレが中心。セルビア本国とドリナ川をはさんで国境を接する)の両地域は、幅わずか数キロの「回廊」(ブルチコ回廊とも、サバ川に沿った地域という意味でポサビナ回廊とも呼ばれた)でかろうじてつながっていただけでした。軍事的にはセルビアに勢力側がおさえているものの、帰属が決定するまでは勝手なことはできず、国際的な監視(責任者はロバート・ファランド=スーパーバイザー)のもとにおかれていました。
     これにたいして、ムスリム人勢力側にとっては、ブルチコを支配することでサバ川〜ドナウ川を通じた「サラエボ〜中欧、黒海方面」の物資輸送ルートが確保できるうえ、セルビア人地域を分断できるという大きなメリットがあります。
     当然、双方は譲らず、デイトン交渉でも最後の最後まで紛糾し、その後「国際調停」に付されて以降も、激しく対立してきた問題でした。「特別区」(ボスニア語でも「ディストリクト」と呼び、これまで旧ユーゴには存在しなかった新概念です)とする案は、今年の初め頃から浮上し、さまざまな話題になっていました。
     どちらかといえば、現状でブルチコを軍事支配していないムスリム人勢力側(交渉代表団長はエユップ・ガニッチ連邦副議長)は「特別区でもやむなし」という態度(敵のものでなくなるし、自分たちも立ち入りができる)でしたが、セルビア人勢力側(交渉団長はミルコ・シャロビッチ副大統領)は「特別区」になると敗北に等しいため、激しく抵抗していました。
     5日、オーエン調停委責任者の決定を、ウェステンドルプ和平実施会議上級代表がサラエボで発表すると、その直後にセルビア人共和国のドディク内閣(昨年9月の総選挙以降、正式の組閣ができなかったため、暫定政府)が総辞職しました。もちろん、ブルチコの裁定に抗議しての辞職です。
     この直前には、ウェステンドルプ上級代表によって、セルビア人共和国のポプラシェン大統領が「組閣に失敗」したことを理由に「罷免」されており、首相は辞任、その首相を指名する大統領もいないという異常事態になりました。
     


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

     (99/03/29記)NATOがユーゴ全土に空爆開始。もちろん、ユーロ2000予選のユーゴ対クロアチアは延期。現地に見に行ったクレージーたちは全員無事なようです(それから知り合いのジャーナリストたちも、いまのところ)。ご家族からも、なぜかわたしのところに問い合わせのメールが来ましたが、こらっ、かあちゃんに心配かけるんじゃねえ!
     ユーゴ代表の合宿(ハンガリー国境近くのパリッチ)から日本に戻ってきたピクシー、28日の試合はキレにキレまくっていた。2点目のアシストは、神がかって見えたほど。ユニホームの下のアンダーシャツには「NATO STOP STRIKES!」の文字が。彼の生まれ故郷ニーシュには、米軍でいうと海兵隊に当たる精鋭部隊の基地があり、もちろん空爆の被害を受けた。一方、浦和のペトロビッチ(今回は代表合宿には召集されず)は28日、レッドカードで退場。福岡に移籍したマスロバルは大活躍。後二者はモンテネグロ出身で、本国の共和国政府はミロシェビッチの連邦政府と一線を画しているが、複雑な気持ちだろう。
     それにしてもNATO空爆はひどい。民間地域も爆撃していますね。空爆後、かえって難民が増加。これは空爆(とそれに前後した停戦監視団と外国報道陣の追放)のどさくさにまぎれて、セルビア側が無慈悲なアルバニア人追放作戦を開始したためだけれど、セルビア側の兵士や治安部隊要員の中には「NATOは空爆しているんだから、われわれが少々の残虐行為をしても非難される筋合いはない」との考えが広がっていると思います。また、F117ステルス戦闘機の「撃墜」などでセルビア側は士気が高い(NATOは墜落事故だったとほのめかしているが、はっきり事故だったといっていないということは、ほぼ確実に撃墜。画面では主翼に機銃砲の穴があいていたように見えた)。
     それから、ユーゴの武器や装備が「ソ連製」の旧式なんて「解説」しているやつらは何も知らないんじゃないか。ユーゴの武器はほとんどが国産で、ベースのモデルは確かに旧ソ連型だが、それよりも優れている。とくに防空システムは、ボスニア戦争中に、照準器などにスウェーデン製その他の西側電子機器を装備して(これが武器禁輸決議違反として問題になった)、ハイテク化されているもの。ましてや、イラクと軍事協定なんて、新しいニュースでもなんでもない。もう、ずっと前からやっている。ただ、イラクにユーゴ側が輸出しているのであって、その逆ではない。ステルスの撃墜はマグレだと思うけれど、あなどると危ないよ、NATOの受け売りばかりの「軍事評論家」さんたち。

     以下、最近非常に多い問い合わせのやりとりを紹介します。(99/03/29)

    質問(1)
    >  なぜ、もっと時間をかけて交渉を続けないのでしょうか。今回の空爆には、ロシア
    > や中国が反対している、と新聞に載っていました。それでも、アメリカ政府やNAT
    > Oが空爆を急ぐ理由が、わかりません。

    答え(1)
    との疑問、もっともですが、西側高官の発言を注意深く読むと、空爆はコソボのアル
    バニア人のためではなく、何もしないとNATOの存在意義がなくなってしまうから
    だ、と、彼らが考えていることがわかるはずです。「人道」ではなく「NATO存続」
    が空爆の目的です。
    あれは、コソボ問題を口実に、NATOが存在意義を示すために(何もしないと何で
    NATOがあるのだ、冷戦も終わったのに、ということになる)やっているもの。ミ
    ロシェビッチも、自分の権力を維持するために、譲歩しないのです。

    質問(2)
    > とうとう、始まってしまった。
    > 卓球協会とかサッカー協会とかの、苦労や思いなんて、一蹴りなんだな。

    答え(2)
    片や、何もしないと存在意義がなくなるNATO、片やNATO軍をコソボに受け入
    れると政権基盤が揺らぐミロシェビッチの、権力亡者同士のたたかい。それに、ミロ
    シェビッチはサッカー好きじゃないんです。人の命も軽くしか考えていない奴ですし。


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

    NATOは勝てない  (3月25日午前2時記)これを書いている瞬間にも、コソボ問題で対ユーゴ空爆がはじまっているかも。でも、ミロシェビッチの恐るべき計略に気がつきました。NATOは勝てません。なぜなら、ミロシェビッチが負けたと言わない限り、セルビア(新ユーゴ)は負けないルールになっているからです。格闘技にたとえると、タイソンのパンチがいかに強烈でも、カレリンの間接技がいかに人間離れしていても、フォール負けやテンカウント負けはないのです。武蔵丸のぶちかましで土俵に倒れても、俵を割っても、負けにはならない。激しく負傷して、通常ならば試合続行不可能な状態になった場合でも、「ギブアップ」が宣言されなければ、試合は終わらない。耳をかじりちぎられ、膝を割られ、鼻の骨や肩甲骨が折れたミロシェビッチが「まいった。NATO軍のコソボ展開を受け入れる」と言わない限り、ミロシェビッチは負けにならない、つまりNATOは勝てないのです。
     NATOのコソボ駐留(平和維持活動)計画は、セルビア側を軍事的に屈服させ、力づくで占領・進駐することは想定されていません。空爆に踏み切って、イラク型の地下格納庫なども含めて、新ユーゴ軍の戦闘機や戦車を壊滅させることが(実際は無理だけれど)仮にできたとしても、政府(ミロシェビッチ)が公式に降伏ないし、NATO軍の受け入れを宣言しない場合、NATOはコソボに陸上戦闘部隊をすすめるとは思えません。
     コソボのKLA支配地域では進駐が可能でしょうが、それでもKLAの武装解除は不可能。武装解除を強制すれば、NATO対KLAの戦争になる。しかもセルビアは「レッドスター」と「パルティザン」のホームグランド。ユーゴ軍の歩兵部隊を含め、武装した住民の抵抗(ゲリラ戦争)が予想されるところに、良家の子女(じゃなかった)アメリカやイギリスの青年男女を送り込むことは、各国議会の猛反対を受けるでしょう。つまり、NATOは空爆はできても、その後がない。平和維持活動はできても、軍事的な「占領」はできない(軍事的に可能でも、政治的に不可能)。戦えないNATO軍。国連のPKOと同じ、あるいはどこかの国の「イカクシャゲキ」と同じようなものだ。おそるべし、ミロシェビッチ。
     まあ、ちょっとまじめに書けば、空爆があった場合、第一撃を持ちこたえられれば、ミロシェビッチの勝ち。ここでいう第一撃とは、広い意味での最初の攻撃であり、したがって最初の3日間といってもいい。空爆開始から72時間後に、セルビア人の戦意が喪失していなければ、そこからが、我慢くらべになる。逆にいえば、NATO側がセルビア人(一般大衆)の戦意を喪失させるようなやり方で「圧勝」しなければ、長期化は避けられない。「圧勝」というのは、軍事的効果だけでなく、セルビア側にとっての被害がすさまじく大きかったという事実や、被害はそれほどでなくとも戦争を続けるとまずいなという認識を、庶民または少なくともセルビアの国会議員全員に与える説得宣伝的、コミュニケーション的効果も不可欠で、むしろ軍事的より心理的に「圧勝」する方が大事かもしれない。セルビアのマスコミは、最後に残っていたリベラルのB92ラジオ局が閉局させられてしまい、まともな報道機関は全滅状態だから。
     あるいは、湾岸戦争の時のように、数週間空爆をして、音沙汰がなくなったところで、おっかなびっくり侵攻してみたら、腹をすかせたセルビア人兵士がぞろぞろ降伏したとか、庶民がアメリカ国旗を振ってNATO軍を歓迎したとか、そういうことになるのだろうか。セルビアは尚武の伝統・気風があるけれど、それは神話というか伝説の「こうあるべき」という規範に過ぎず、実際の戦闘ではもろいことがボスニアやクロアチアの戦争で実証済みだ。それにしても、どれだけの死傷者が出るのだろうか。どれもこれも、冷戦終結で存在意義のなくなったNATOの「生き残り」のためのキャンペーンと、権力の座を維持するのが唯一最大の野望(本能)であるミロシェビッチの「生き残り」のための悪あがきとのぶつかりあいの犠牲ということだ。人間の命を軽く見る非生産的な「利権集団」同士の抗争だ。うーむ。

    Kosovo deployment could spell disaster for NATO(3月20日)
    Deutsche Presse-Agentur

    March 20, 1999, Saturday, BC Cycle
    14:26 Central European Time

    SECTION: International News
    BACKGROUNDER: Kosovo deployment could spell disaster for NATO
    BYLINE: By Heinz-Peter Dietrich, dpa
    DATELINE: Brussels

    The North Atlantic Treaty Organisation (NATO) may have to live up to
    its pledges on Kosovo as the Paris peace talks have failed, and thus
    finds itself on the horns of a serious dilemma.

    For the first time in its history the alliance, is facing the prospect
    of attacking a sovereign nation without itself being directly
    threatened - and this just five weeks before the celebrations in
    Washington to mark the 50th anniversary of its foundation.

    NATO action in Kosovo, which is to begin with air strikes on Yugoslav
    targets according to current plans, could spell disaster for the
    alliance, as it is not properly prepared for war with the Serbs.
    The chairman of NATO's Military Commitee, German General Klaus
    Naumann, has long recommended caution to alliance politicians'
    self-importantly threatening military strikes in the Balkans.

    Anyone planning an attack on Yugoslavia should also be prepared for
    all the subsequent steps, the chairman of the NATO chiefs of staff has
    warned, and NATO planners have explained this as meaning the alliance
    must be prepared to fight a war in Yugoslavia after the air strikes.
    The alliance - by its own admission - is not ready for this. A strike
    force of around 10,000 soldiers, according to NATO sources, has been
    deployed in Macedonia, although Belgrade estimates the force is
    already considerably bigger.

    NATO diplomats have always given to understand that the force
    is the vanguard of a larger army of up to 30,000, constituting an
    international peace force led by NATO and intended to enforce an
    accord between Belgrade and the Kosovo Albanians.

    The force in Macedonia was originally intended to rescue if necessary
    unarmed observers of the Organisation for Security and Cooperation
    in Europe (OSCE).

    From the point of view of its armaments alone, it would not be in a
    position to engage Serb military units, which according to the most
    recent information are deployed in strength in Kosovo and which
    Belgrade has made clear are there to eliminate Kosovo Liberation
    Army (KLA) separatists.

    According to official NATO statements, there are no plans for military
    deployment on a war footing in Kosovo, by contrast with a peace
    mission.

    Even if one takes into account military secretiveness, it is
    nonetheless clear that there are no troops prepared for intervening in
    Kosovo following the air strikes and for deployment against Yugoslav
    units for example.

    NATO could certainly not prevent massacres in Kosovo. For that,
    according to expert opinion, at least 50,000 heavily armed soldiers
    would be required, a number that NATO would be unable to muster under
    current circumstances.

    Apart from tanks and armoured personnel carriers the Yugoslav army has
    up to 18,000 Serb troops in Kosovo itself and a further 16,000 to
    20,000 stationed near the troubled province, according to Western
    estimates.

    They would have to be neutralized along with anti-aircraft positions
    and other targets already in the sights of the cruise missiles, and
    experts believe this to be scarcely possible from the air.
    Meanwhile NATO is calling one crisis meeting after another at its
    headquarters in Brussels. There are 400 NATO aircraft already at a
    high state of alert for striking against Yugoslavia.

    NATO Secretary-General Javier Solana is officially mandated to empower
    NATO Commander-in-Chief Wesley Clark to attack, after "brief
    consultation" with NATO governments, but a top-level NATO official has
    already indicated that this would best occur within the NATO Council
    in Brussels.

    Observers do not exclude the possibility that there will then be
    detailed discussions on the consequences of such an attack. The
    Washington 50-year celebrations would in any case be seriously
    affected by any NATO air strike. dpa rm mu


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  


    ホルブルックの交渉は不調(3月22日記)
     (3月22日記)ホルブルックはあっさりミロシェビッチ説得を断念。再開された和平交渉では、アルバニア系住民側のみが和平案に署名。ユーゴ側は依然として「外国軍駐留」に反対。それじゃあ、国連平和維持軍ではどうか。どうも、アナン事務総長の動きがはっきりしない。あの人は有能なのか? アルバニア人側は、「将来の独立問題についてはオープンドアーだ」(パリでTVカメラに追っかけられたルゴバ氏が珍しく、下手な英語で応答していた)といっているので、住民投票の実施は事実上、約束されているようだ。5年たったらコソボの独立は決定的になるという和平案じゃあ、セルビア側は飲めない。でも、空爆はあるのか。NATO理事会が「最終期限」を決めずに終わったのは、いきなりの空爆をやるということか、それとも、WポストやNYタイムズのように「明らかに、日程の設定ができなかった」と西側の足並みの乱れを見るべきか(ミロシェビッチはそこにつけ込もうというのだろう)。それにしても、ミロシェビッチの奥さん(ミリャナ・マルコビッチ)は何といっているのだろう。
     日本外務省は渡航延期勧告。にもかかわらず、何人かの知人はユーロ2000の予選のために、ベオグラードに出かけていった。試合があるかどうかもわからないのに。昨年秋のアイルランド戦は延期されましたからね。あれもコソボ問題にかかわる空爆危機でした。ベオグラードで予定されていた卓球の世界選手権は中止になりました。ベオグラードに出かけたみなさん、空爆の際には、以下の点に気をつけて下さい。

     1)空爆がはじまったら、試合終了前でもすぐにホテルに戻る(その前に試合がないっつうの)。市電やタクシーにのらずに自力で市内に戻れるよう、前日に歩いて見ておくこと。ミネラルウォーターを買いだめしておくこと。
     2)一番危ないのはパニック。二番目に危ないのはガラス。三番目は酔っぱらい。爆弾の破片そのものよりも、割れて飛んできたガラスでケガをすることが多いので、大きなガラス窓の近くには長くいないこと。爆弾が落ちなくても、超音速の戦闘機が低空飛行しただけで、割れます。(でも、ベオグラードを含む近代都市の繁華街では、大きなショウウインドウがないところはほとんどないので、気をつけること)
     3)どさくさにまぎれた強盗、追い剥ぎ、山賊、ひったくり、すりなどに気をつける。荷物は持って歩かない。それから市民はみんな興奮しているので、無用の口論はしない。写真は、撮っていいかと確認してから。そうでないと、殴られるのはまだしも、撃たれるかもしれない。とくに酔っぱらいに注意。
     4)ホテルの地下室など、安全なところに避難できたら、しばらくじっとしている。日本大使館の避難誘導は当てにならないけれど(外務省が渡航自粛勧告を出すのは、万が一の際に責任が発生しないようにするためです)、バカな日本人ユーゴサッカーフリークがどこそこにいるということだけは連絡する。でも、自力で出国する努力をする。短波ラジオで情勢を聞きながら、ハンガリーかルーマニア方面をめざせ。無事に出たら、最寄りの日本大使館に一応、連絡する。ご苦労様です。


    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  


    デマチ氏が辞任、アルバニア人勢力分裂か(3月6日記)

     (3月6日記)アルバニア人側の分裂が深刻です。和平案(というか、KLAの武装解除)の受け入れに反対するアデム・デマチKLA政治代表が辞任してしまいました。直前にオルブライト米国務長官から電話で説得され、「バカ野郎(といったかどうかは知らない)」と電話を一方的に切ったとか、この際、「武装解除なんて応じるわけにはいかない」と捨てぜりふを吐いたとか、さまざまな情報が伝わってきます。これに対し、デマチ氏の影響下にあると思われていたタチ政治局長が暫定政府責任者に選ばれ、和平案受け入れに傾いているとされます。交換条件で、アメリカ側は5年後の独立(正確には「独立を問う住民投票の実施」)を「保証」している、と、KLA側は断言しています。

    (読売新聞より=読売は最近、がんばっているようです)
     「コソボ解放軍(KLA)」の最高幹部で、アルバニア系住民側の和平交渉代表団メンバーであるラム・ブヤ氏(40)は五日までに、州都プリシュティナ西方のKLA支配地区で読売新聞との単独会見に応じ・・・焦点となっている、独立の是非を問う住民投票の実施について、オルブライト米国務長官から「保証を取り付けている」と明言し、「KLAは和平合意文書に調印する用意がある」と述べた。

     アルバニア人側が和平案を受け入れれば、次はセルビア共和国側の態度(この場合、焦点になるのはNATO軍を受け入れるかどうか)が大きな問題になります。もし拒否なら空爆、というコースができあがっているのですが、どうなるか。
     一方、セルビア側は、タチ氏に逮捕状を発行という異常な行動に出ました。交渉相手を指名手配、これでは次回交渉におもむくことができない。なんというハラスメント。
     ただし、アメリカ以外のコンタクトグループ諸国からは、オルブライト国務長官のバーゲン(取引)のやり方に疑問が噴出しています。デイトン合意を強引に結ばせたホルブルック国連大使のお出ましの可能性もあり、非常にきわどい状況が続いています。(つづく)


    コソボ和平交渉中断をどう見る(2月26日記)

     フランス・パリ郊外のランブイエでおこなわれていたコソボ和平交渉は2月23日、二週間後に再開することを確認し、一時中断しました。アルバニア人側が「地元民に説明するため」に時間的猶予を求めたためです。といっても、それでは3月15日に交渉が再開されたら和平案が合意されるのかといえば、そう単純ではありません。
     もっとも大きな問題のひとつは、コソボでの停戦が守られていないことです。交渉が続く間も、両者が交戦し、数千人の新たな避難民が出ています。NATOも「交渉が決裂したら空爆」という乱暴な姿勢をまだ、崩していません。交渉再開の3月15日よりも前に、停戦違反が激しくなったら、突然、空爆、という事態もありうると思います(セルビア側への牽制。ただし、逆効果になるでしょう)。
     和平案は 1)コソボの独立を認めるのか、それとも自治拡大(復活)か、自治とすればどのような自治か、という将来構想を中心とする政治的合意部分と、2)状況が改善されるまで、どのようにして平和を維持するか、外国からの平和維持軍(NATO軍)駐留を認めるのかどうか、などの軍事的部分の二つの柱がありますが、このどちらも、両勢力の合意が得られていません。しかも、アルバニア人勢力は、穏健派のルゴバ派(コソボ民主同盟・現在の非合法政府)と、強硬派のコソボ解放軍(KLA)に分裂しており、両派が対立しているという事情もあります。
     心配なのは、アルバニア人側が、穏健派とKLAの間で折り合いをつけられるのかどうか、ということです。コソボに戻れば、強硬派のデマチ代表が待っています(彼は、ランブイエ交渉そのものに懐疑的で、代表団への参加を拒否)。
     セルビア側がNATOないし国連の平和維持部隊を受け入れるのかどうかも問題です。セルビア共和国は現在、「挙国一致」内閣を組織していますが、副首相として、極度に過激な民族主義のボイスラフ・シェシェリ急進党党首、一見リベラルだが実は民族主義で優柔不断なブーク・ドラシュコビッチ・セルビア再生運動党首などが「呉越同舟」しています。和平案(NATO軍)受け入れに紛糾して、内閣総辞職、国会解散・総選挙で「新政府が成立するまで交渉再開を待ってくれ〜」というような事態もあり得ます。ひょっとすると、これがミロシェビッチ大統領の狙いで、総選挙で民意を問い、「仕方なく」NATO軍(または国連軍)受け入れ、という方向も考えられます。(何か、憶測ばっかりだなあ)
     論点をまとめると、次のようになります。
    ママ論点とキーパーソン



    コソボ和平交渉の論点とキーパーソン

    コンタクトグループ(米露英仏独伊) による和平案の立場 新ユーゴ/セルビア共和国 アルバニア人勢力穏健派 コソボ解放軍
    コソボの独立は認められない。    〇    △
    (でも、やっぱり将来的には)
       ■
    アルバニア系住民による広範な自治を認める。    △    △/〇
    (う〜ん)
       ■
    和平合意は三年後に包括的に再検討する。    △    △    ■
    (独立を問う住民投票の実施を明記するよう固執)
    当面、暫定政府を組織し、そのための コソボ議会(定数百議席)の選挙を 九カ月以内に実施する。コソボから ユーゴ連邦、セルビア共和国に最低一人の 閣僚を送るなど、権限を拡大する。    〇    〇    △
    ユーゴ(セルビア)治安部隊を直ちに 削減、一年以内に全面撤退。ユーゴ 連邦軍は任務を国境警備に限定。    △    〇    〇
    コソボ解放軍は武装解除し、三カ月 以内に解体。    〇    〇    ■
    (武装解除を断固拒否)
    国際社会がコソボ地域に派兵する ことを認める    ■
    (NATO軍は反対だが、国連軍やOSCEならば検討する)
       〇    △
    (KLAの武装解除が前提なら反対)


    キーパーソン

    新ユーゴ・セルビア共和国 アルバニア人勢力穏健派 コソボ解放軍
  •  スロボダン・ミロシェビッチ新ユーゴ大統領(交渉不参加=真の実力者。コソボの自治権剥奪などで権力奪取。いままたコソボ紛争で政治生命が終わるのか?)
  •  ミラン・ミルティノビッチ・セルビア共和国大統領(交渉に随時参加=ミロシェビッチの子分)
  •  ボイスラフ・シェシェリ・セルビア共和国副首相(交渉不参加)
  •  ブーク・ドラシュコビッチ・セルビア共和国副首相(交渉不参加)
  •  イブラヒム・ルゴバ民主同盟議長(交渉参加=非暴力主義で「コソボのガンジー」と呼ばれる作家)
  •  レジェプ・チョシャ統一民主運動議長(交渉参加)
  •  アデム・デマチKLA政治代表(交渉不参加=獄中闘争28年、アルバニア民族主義運動のシンボル。タチに武装解除を拒否するよう焚付けた強硬派)
  •  ハシム・タチKLA政治局長(ランブイエでのアルバニア人側代表団責任者)

  • [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  


    コソボ和平交渉参加者
    Negotiators may not even sit around the same table The Kosovo peace talks at Rambouillet chateau near Paris will bring to gether a heady mix of hardline Serb socialists, academics, editors and former political prisoners.(source: BBC)

    Serbian delegation

    Among the Serb negotiators there are five notable allies of President Slobodan Milosevic. The eight others are representatives of smaller Kosovo communities - Muslims, ethnic Turks, pro-Serb ethnic Albanians and Gypsies.

    Analysts consider the composition of the Serb team indicates that Serbia will insist on its stand that ethnic Albanians, although they form 90% of Kosovo's population, should have no more rights in the province than other ethnic groups.

    • Ratko Markovic: Serbian Deputy Prime Minister. Delegate President Slobodan Milosevic's Socialist Party and from Mr Milosevic's home town Pozarevac. Close to President Slobodan Milosevic. Professor of law and constitutional expert.
    • Nikola Sainovic: Federal Yugoslav Deputy Prime Minister, also a delegate from the Socialist Party. Metallurgist and former minister of economy. Main point of contact on Kosovo for the international community, handling AT negotiations on the exchange of prisoners and ceasefires. Denied US accusations based on alleged wire-taps, that he authorised the attack on Racak village last month, in which 45 ethnic Albanians were killed by Serbian police.
    • Vladan Kutlesic: Federal Yugoslav Deputy Prime Minister.
    • Vladimir Stambuk: Serbian Deputy Speaker.
    • Vojislav Zivkovic: Chairman of the Socialist Party's branch in Kosovo.
    • Guljbehar Sabovic: Member of the Kosmet Provisional Executive Council.
    • Refik Senadovic: Representative of the Muslim national Community.
    • Zejnelabidin Kurejs: Representative of the Turk national community and Turkish Democratic Party.
    • Ibro Vait: Representative of Goranies national Community.
    • Faik Jasari: President of the Kosovo Democratic Initiative (ethnic Albanian political party).
    • Sokolj Cuse: President of Democratic Reform Party of Albanians.
    • Ljuan Koka: Representative of the Romanian national community and president 's of Co-ordinating Council of the Yugoslav Association of Romanies.
    • Cerim Abazi: Representative of the Egyptian national community.

    Ethnic Albanian delegation

    The ethnic Albanians, deeply divided, have 16 delegates, including:

    • Ibrahim Rugova: Leader of the Kosovar Albanian community, President of the self-proclaimed Republic of Kosovo since 1992 and re-elected in 1998. Writer who was partly educated in Paris. Adopted a non-violent approach in the struggle to achieve independence for Kosovo.
      Under increasing criticism from more radical forces for the apparent failure of his policy and for his reluctance to include in the Kosovar Albanian leadership those who disagree with his policies.

    • Fehmi Agani: Mr Rugova's long-standing lieutenant. Regarded as the brains behind the dominant ethnic Albanian party, the Democratic League of Kosovo (DLK). A professor of philosophy. Appointed by Mr Rugova last year to head the Albanian r negotiating team in the abortive talks on finding a settlement.
    • Veton Surroi: Much-travelled publisher and journalist with excellent contacts in Western capitals. Known for his pragmatic views and ability to stay out of the faction-fighting among the ethnic Albanian parties. Revolutionised Kosovo's Albanian-language publishing in recent years with his successful daily and weekly newspapers and has recently started up a radio station.
    • Rexhep Qosja: Respected academic who has long been arguing in favour of a greater Albania, bringing together in one state Albanians from Albania, Kosovo and ethnic Albanians in neighbouring countries. Formed the United Democratic Movement last year to bring together Mr Rugova's radical opponents but on the eve of the talks he held a reconciliation meeting with him.
    • Jakup Krasniqi: Ex-teacher from the guerrilla stronghold of the Drenica region west of Pristina. Emerged into the limelight last year as the KLA's spokesman.
    • Ram Buja: Former member of the presidency of Mr Rugova's LDK. Senior KLA official as director for civilian affairs of its general staff.
    • Hashim Thaqi: Head of delegation. Member of Political bureau of KLA.

     アルバニア人側のうちKLAの代表団は次の5人。

  • Hacim Taci/Hashim Thaqi (ハシム・タチ)
  • Jakup Krasnici/Jakup Krasniqi (ヤクプ・クラスニチ)
  • Dzavid Haljiti/Xhavid Haliti(?) (ジャビド・ハリティ)
  • Ram Buja/Ram Buja (ラム・ブーヤ)
  • Azem Salja/Azem Shala(?) (アゼム・シャリャ)
     (名前の後の(?)印は正確なスペリングが不明。)
  • Some of the main characters of the Kosovo conflict are not present at the Rambouillet talks.
    • Slobodan Milosevic: Yugoslav President. Used the ethnic tension of Kosovo, highlighting the grievances of the provinces small Serb minority, to become the supreme leader of Serbia in 1989. Abolished Kosovo's autonomy in 1989. During peace negotiations in Dayton, Ohio, in November 1995, he abandoned Serb claims for a Greater Serbia and was rewarded with a partial lifting of the international sanctions that had crippled the Serbian economy since 1991.
    • Adem Demaci: "The Albanian Mandela" who spent 27 years in jail for criticizing Serbian rule in Kosovo. Over the past three years has become the best-known critic of Rugova's non-confrontational approach. He became the first prominent Kosovar Albanian politician to support the KLA and became its political representative last year. However, the KLA general staff has ignored his recommendation to stay away from the peace talks.

    [このページの最初に戻る]   [最近のボスニア]   [メニュー]  

    z-chida@pluto.dti.ne.jp